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普通だった社会人が世界のポーカートーナメントで5000万円溶かした話。

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どうして普通の社会人が5000万円も溶かすことになったのか?

序章~酒のサカナに~

ポーカー、それは孤独なゲームだ。

複数人で卓を囲み、時に冗談なんかも言いながら和気あいあいと進んでいくゲーム。
ポーカーは、一見社交性が高いゲームにも見受けられる。
しかし、駆け引きによって卓上のチップを全員で奪い合うのが、ポーカーの本質。
もちろん冗談は冗談のままだし、相手にしているプレイヤーが何者なのか、どんな人生を歩んできたかなんて分からないまま、卓はお開きになる。

私もそんなポーカーに興じる1人だ。
ポーカーで勝ったり負けたりしながら、刹那的な社交を楽しみ、毎日を過ごしていた。

あるとき、卓がお開きになってから、そのメンツでご飯を食べたりお酒を飲んだりしながら、ふと空虚な孤独感に苛まれた。

誰も、私をしらない。

私が、なぜポーカーのトーナメントのために世界中を回っているのか、
なぜ5000万円を溶かしてしまったのか。
私がたどってきた過去。

誰もしらない。

私は遺産で得た5000万円を1年で全て溶かした
このことは当時のポーカー界で小さなニュースになった。
大事な遺産をなぜ、という声も、もちろんあった。
一般的な意見として、尤もだと思う。
そのうえで、私は、言い訳かもしれないが、私なりの理由をここに認めておきたいと思う。

そうすることで、少しでも、私という人間を知ってもらえたら。。

アダルトチルドレンと複雑な家庭

私が相続した遺産は、母方の祖父のものであった。

祖父の一人娘になる母は健在で、妻となる祖母はすでに亡くなっていた。
つまり、法定相続人は母のみになる。
しかし、生前に私が祖父から「母と孫(私)とで財産を二分割するように」との遺言を預かっていたため、私にも相続の権利が生じたのである。

私の母は昔からトラブルメーカーで、生前の祖父ともいざこざが生じていたようだ。そのため私にも相続の権利が回ってきたと推察している。

「推察している」とあるとおり、私自身も母とは絶縁している。
これは私が高校まで虐待され、その後もつきまといを受けていたところから逃げ出したためである。(本当はこんな一言で終わらないようなトラウマ、コンプレックスを植え付けられているのだが、これはまた別の記事で。)
相続の際ももちろん争いになり、少しでも金銭を多く得ようとしている様子がうかがえた。実際に顔は突き合せないように配慮してもらったが、何回か手記が届いており、中には到底見ることがはばまれるような記述もあった。

私は、内面が子供のままで育ってしまった、いわゆるアダルトチルドレン
社会で通用する精神を持っているとは到底思ってないし、古のFacebookなどでシェアされる同年代の出世事情には確実にかなわないと感じている。
そんな私は数年前に、母の支配から逃れ、大人としての生活を一歩踏み出すために、住居と職を変えて逃げ出したのだった。
結果として新しい住居は探偵によってあぶりだされ、数人で2回ほど押しかけられた。
私はすでに別の場所にいたので無事だったが、110番をして警察に追い払ってもらってからも未練がましく家の近くをうろついていたそうだ。

檻から逃げ出した先は

私は上記の一件があってからずっと、さらに新しい住居に引っ越し、居場所を隠して生活している。きっと母はいまでも私の居場所を探しているはずだ。
もちろん私を見つけた暁には、また私を支配しようと、あわよくば相続した遺産すらも横取りしようとしてくるだろう。

これらのことから理解してもらいたいのは、
私が生活している「日常」なんて、ほんのかりそめの事象に過ぎない、
私が認識しているということだ。
いつ私の住居が見つかって襲われてもおかしくない。
いつ平穏な生活が脅かされてもおかしくない。
そういう不安を抱えて毎日を過ごしているのだ。

そんな状況で、遺産を貯蓄に回すという考えは、あまりなかった。
何かの拍子で殺されすらしてもおかしくないと常に考えている人間が将来のことを考えられるわけがない。

ポーカートーナメント遠征は、私の状況ととても相性がよかった。
お金がかかる。
世界中を飛び回る。
何かしらの生きた痕跡を残せるかもしれない。

「奪われる前に、勝ち取った自由を謳歌したい」

私はいつもそう思って過ごしていた。
いわゆる刹那主義に近いのかもしれない。
もしかしたら、将来のことを考えられない馬鹿だと思われるかもしれない。
そうだ。私は今しか確実なことはないと考えている馬鹿だ。
一度私になってみればいい、なぜだかきっと解るから。

5000万円溶かして思うこと

もしかしたら、私がなぜこのタイミングで執筆をしたかお判りになっているかもしれない。

昨今、「普通の大学生」が一日で100万円溶かした記事が話題になり、それをうけた「ポーカーに人生を奪われるな」という趣旨の記事を目にしたのである。

確かに私はポーカーに出会って人生が大きく変わった。
社会人としての生活から、遠征中心の生活になり、
出費も桁違いにかかるようになっていた。

きっと、私はポーカーに人生を奪われた側の人間だろう。
でも、私は母に人生を奪われて過ごすより、ずっと幸せだと思っている。
横取りされるかもしれなかったお金は、自分の体験に使うことでもう存在しなくなった。そのことは一種の安心材料にすらなっている。

私は、何が正で何が悪かは人によって変わると考えている。
だからどんなことも、私個人の物差しだけでははかれないと思っている。
もちろん、法の物差しで追及されるものはやむを得ないと思うが。

私は他人目線で、「家族が大事にしてきたお金を瞬間で使う馬鹿」に見えていることは重々承知である。
知ってほしいのは、その馬鹿も馬鹿なりに考えがあっての行動であったことと、ここに書いていないだけで、もしかしたら他にも様々な要因が絡んでいたかもしれない、ということまで想像してみると見方ががらっと変わるかもしれない、ということである。

実際ここで書ききれなかった内容はいっぱいあるし、この記事だけで書ききれるとも思っていない。

今回は挨拶代わりに、遺産5000万円を溶かしたことについて言及してみた。
他にも、
親が実質いなくて、実家も売られて存在しない話、
高校時代に青春を謳歌できなかったコンプレックス、
私にとっての健康について、
などなどいろいろネタはあるので、気が向いたタイミングで執筆していきたいと思う。

ここまでお読みいただきありがとうございました。
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