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【縄文人が書いた文字】古代オリエントと日本の共通点【アナ二ヱシ ニウヘ ヤシコタハ】〜古書から日本の歴史を学ぶ〜

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ことばというのは時代と共に変化する特性を持っています。例えば万葉集・古事記時代のイモという言葉は「妹」という意味と「妻」という意味の双方がありました。またアガイモ(吾の妹)はアギモとも連音して使用されていました。一方、食べ物の芋は奈良時代、ウモと呼ばれていました。このように同じ日本語ではありますが、時代によってことばの音は変化します。

ところが時代も国も違うのに、音も意味も変わらない言葉があることはご存知でしょうか。例えば紀元前30世紀のエジプト語の「タ」と日本古語の「タ」はどちらとも「手」という意味があります。袂(たもと)とはタ(手)の元という意味から成立した言葉です。

同じく紀元前30世紀ごろのメソボタミアではウル語とシュメール語で「手」を表す言葉は「シュ」です、中国古語の「手」を表す言葉も「シュ」で共通しています。

エジプト語の「マ」と日本古語の「マ」は「目」という意味があります。「まぶた」は、ま(目)のふたで瞼です。

次に「足」という言葉を見て見ると、ウル語とシュメール語、日本語、中国古語の「足」の間には一見、関係性があるようには思えません。

しかしオリエント語の間にはdとbが対応しており、ウル語・シュメール語がduで「足」、古代エジプト語がbuで「足」を意味しており、全ヨーロッパの言語、インド語、インドネシア語、フィリピン語、朝鮮語などの「足」という言葉は、古代エジプト語とウル語・シュメール語の「足」を重層させたbu-duからの転訛と伝播であることがわかります。伝播とは2つの集団や文化が接触した時、一方から他方へ文化要素が移る事をいう文化人類学の用語です。

英語のフットfootやフィートfeet、インド梵語のパァドゥ、インドパーリ語のパァダ、インドネシア語のビンタング、フィリピンタガログ語のパァ、朝鮮語のタルなど、全てbu-duからの転訛・伝播です。

手足のような基礎的な語彙は手と足でバラバラに伝播せずセットで伝播した事例が多いです。恐らく上下や左右の言語のルーツもセットで伝播しているはずです。

【日本語とタミル語】

日本語のルーツを追求していくとインドのタミル語を知ることになります。このタミル語と日本語の研究をした人物に大野晋という学習院大学の名誉教授がいます。大野教授は日本語とタミル語の共通語をたくさん紹介していますが、ここでは一つ例をご紹介します。大野教授はタミル語のアチ(足)を日本語のアシ(足)と対応させました。その説明として先ほどのウル語・シュメール語の足のduを使って説明しています。タミル語を含めた現在のドラヴィダ語の足にはbu-du系のタール、カール、カラル、クヘッド、クヘッタなどがありますが、動詞の「走る」から派生した「足」もあり、そしてその「走る」はウル語・シュメール語の「足・スル=走る」du-agからのドラヴィダ式転訛でした。日本語の走ると足の間にもこのようなドラヴィダ語と同じような関係があり、さらに中国語の走(ソウ)と足(ソク)の間にも同様な関係が認められます。

ドラヴィダ語で足を意味するタールが現在の朝鮮語のタル(足)になっており、さらにパーリ語の「足」パァダが現在のフィリピンタガログ語のパァ(足)になっている以上、タミル語のアチ(足)と日本語のアシ(足)が同系語であることが推測出来ます。語法的にいっても走ると足の相関関係がタミル語と日本語とで同じです。さらに中国語のシュ(手)とソク(足)、ソウ(走)が共にウル語・シュメール語起源なので、やはり手足はバラバラに伝播していなかったと言えます。ただし、日本語の場合はなぜかタとテ(手)が古代エジプト語起源でアシ(足)がウル語・シュメール語系のタミル語と、バラバラに伝播しているように思えます。それは古代インドにおいてメソポタミア系とエジプト系がすでに混合し、その状態の言葉が日本語へ伝播したと言うことになります。

これはこじつけではなく、紀元前25世紀ごろの古代インドにおいてメソポタミア系とエジプト系が入り混じったことがインダス河のモヘンジョダロ印章文字から推測できます。

モヘンジョダロ印章文字の中にウル文字系のひし形を象徴するP、王冠型のgal、男を象徴するluなどがあります。エジプトのヒエログリフ系の農園を意味する象形のshaもありました。つまり、このような文字の混交が古代インダス文明に見出せたため、言葉の混合も同時にあったと推測できます。

タミル語と日本語については音韻対応、語彙対応、文法対応と三拍子が揃っています。日本の神名がタミル語で読み解けたり、さむい・さぶい、さみしい・さびしい、などのm/v交替もタミル語と対応しており、未解明だった言葉の語源がタミル語から読み解くことが出来ます。

「丹後国風土記 残欠」の神話部分には次のような言葉があります、「アナ二ヱシ ニウヘ ヤシコタハ」

これをタミル語で読み解くとアナニが実に、ヱシが嬉しい、ニウヘが稲植え、ヤが大いなる、シコが繁栄、タハが証明された。つまり「実に嬉しい、稲を植え、大いなる繁栄が証明された」という意味になります。

しかし日本語の全てがタミル語起源なのではなく、日本列島に辿り着いた複数の民族のうちの、一つの言語だと言えます。タミル語自体が古代オリエントの影響を強く受けた言語です。

【言葉と文字の記録】

言葉は単独で伝播するものではありません。商業・産業・宗教・習俗などと一緒に国から国へ伝播するのが原則です。そしてまた、言葉は文字によって記録されました。

世界最古の文字は紀元前3400年頃、メソポタミア南部のウルク市・ウル市でシュメール人によって作られたとされています。ウルとは旧約聖書にあるカルデアのウル王朝のことで、当初石に彫られていた絵文字が次第に楔形文字へと発展し、書材も石から粘土板へと進んでいきます。そこから5000年以上経ち、文字の解読が進みこれらの文字が読めるようになりました。その結果ウル市を中心として東のシュメール、北のアッカド・バビロン・アッシリア、西のフェニキア・ヘブライ(ユダヤ)、さらにはナイル川流域のエジプトへもウル語が伝播して行った軌跡を、古代文字を通して辿たどれるようになったのです。

楔形文字は絵文字からの発展型でしたが、紀元前2500年頃、エジプトにも突如として絵文字が完成された形で始まります。この絵文字のことを象形文字や聖刻文字、ヒエログリフなどと呼びます。ファラオを讃える石碑や神殿、墓などに刻まれていました。

紀元前1800年頃にはアラビアのシナイ半島で西セム人が、エジプトの聖刻文字(ヒエログリフ)を母字として22個のシナイ文字を作りました。

古代オリエントには以上のような経緯で、楔形文字、聖刻文字(ヒエログリフ)、シナイ文字(アルファベット・表音)の3種類が生まれました。そして紀元前30世紀から紀元前10世紀間の文書や印章、壁画の説明文や岩などに彫られた祈願文などが書かれました。

【古代オリエント文字の伝来】

先ほどのシナイ半島で作られたシナイ文字はシナイ半島の銅山の石に彫られた祈願用のアルファベットがあります。

一例をあげると「ニンティル・バール・チチン・イル・ガガ」という言葉で意味は、神・バール・捧ぐ・祈る と言う意味です

神のニンティルはエジプト語、バールがセム語・バビロニア語、捧ぐがエジプト語、祈るのガガがウル語・シュメール語で構成されている祈願文なのですが、まさに古代オリエントの混合を表しています。

日本で見つかった古代の石文もこれと同じようにウル語・シュメール語、セム語、ハム語・エジプト語の混合です。

これまでは漢字伝来以前の日本には文字がなかったとし教科書にもそう書かれていますが、これはいわゆる五十音図式の神代文字に惑わされた結果であり、私たちの国日本には中国の殷の時代の甲骨文字の構成要素となった古代オリエント文字が伝来し使われていました。


【日本から出土した石文と比較】

では日本から出土した石文と比較していきます。先ほどの祈願文の一例ではウル語・シュメール語の「イル・ガガ」という言葉は祈るという意味がありました。祈願文には石でも土器でも必ずイノルという言葉が入ります。

古代オリエントの祈願文にはこのような文があります。

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① はウル絵文字、②は楔形文字、③はシナイ文字です。まず水と目で泪や悲嘆の意味を表し、「イル」といいます。このイルにガガを加えると「祈る」という言葉になります。これは当時の造語であり、この背景には雨が降らず飢餓になり、そこで「神よ恵みを我に与え給え」と泪を流して司祭(泣き男)が祈るという古代の風習があります。

ウル語・シュメール語にもこの「神よ恵みを我に与え給え」という言葉があり「ドゥ・マ・マ」という言葉ですがドゥマーとも読まれています、これがエジプトへ伝播するとd—s転訛が起こりスマになります。エジプト語の祈るという意味のヒエログリフを見てみるとこのようになります。

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このイル・ガガとスマが日本の縄文時代の線刻礫(せんこくれき)に刻まれています。

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この写真は静岡県沼津市尾上(おのうえ)イラウネ遺跡から出土した線刻礫です。

この右側に注目して頂くと文字が彫られているのですが、わかりやすく書き出したのがこちらです。

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1から8の番号がふられていますが、この6は目の形をしています。7と8でも目を表しています。6の目は古代エジプト聖刻文字(ヒエログリフ)の泪を表すイルと同一字なのでわかりやすいと思います。

一方7と8を合わせた方の目はウル文字の泪を表したイルです。

祈るという意味の「イル・ガガ」のイルが、一つはエジブト系、もう一つはウル系の文字で同じ石に刻まれています。

1と2でカァブ、345でグブブと読み、1がエジプト聖刻文字、2から5がシナイ文字で意味はどちらも古代エジプトの「大地の神」を意味しています。

古代エジプトの代表的な「大地の神」はカァブやグブブと言われ、大亀や大蛇で表徴するのが風習になっていました。

静岡県のイラウネ遺跡から出土した線刻礫にはこのカァブやグブブの神に対して祈る。という祈願文が刻まれていたのです。

中国の文字でも、水の氵と目の合成で「泪」としています。この造字法も古代オリエント発です。

水と目で泪とした古代文字は日本国内に30箇所以上見つかっています、群馬県榛名町の石上神社の境内にあった「御柱石」や東京都西多摩郡瑞穂町で出土した縄文時代の点刻石、などが有名です。

榛名町にある巨石・巨岩の一つにこのような文字が彫られています。

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これはシナイ文字のgと手の象形文字のsh、エジブト文字の大蛇を表すnで

g-sh-nでガシャンと読みます。本来はウル語・シュメール語の「主」という意味なのですが、途中の中国の周に置いて文字の形体が変化し「祈」に派生されたものです。

漢字の成立するはるか以前の周時代の文字が榛名町の巨石に彫られてあり、この近くには縄文住居跡があります。この周辺に住んでいた縄文人は文字を書けたということです。

【祈りと願う】

日本語のイノリ、イノルとネガヒ・ネガフ(願)のルーツについて見ていきます。

古代のオリエント周辺ではウル語の「主」(神)をシナイ文字のg-sh-nで表したという話をしましたが、この字音はガシャンからクシャンになりクシャンからクヒン、クイン、キンになったとされています。

日本語ではクシャンがクシに転じ、霊妙という意味になります、漢字の当て字は色々ありますが、クシという音が付く日本の神様はたくさんいますね。

では日本のイノリ、イノルはどこから来たのでしょうか。それは「水」と「目」のガガからきています。

紀元前30世紀前半のウル語・シュメール語では祈るをイル・ガガと読んでいましたが紀元前30世紀の後半になるとセム語では「ウンニーヌ」とよんでいます。

そしてウル・シュメール人とセム人の混血民族の間では両語を重層させて、さらに約してよんでいました。

その一つが先ほどの静岡県で線刻礫が出土した場所の地名、イラウネです。

イルガガウンニーヌのイルガガからgが脱落してイラとなり、ウンニーヌのinuがneに転訛されウネとなりイラウネとなります。

Ir-ga-ga-unninu→ir a unne

日本語のイノリ、イノルの語源もこのイルガガウンニーヌからの転訛が複数回あって生まれた言葉だと歴史言語学者の川崎真治しんじ氏はいいます。

朝鮮語ではb-ir沖縄古語ではm-ir-ga-gaが「祈る」でありこの両語の語源は共に紀元前30世紀前半のウル語・シュメール語だと云います。

日本語のネガヒ・ネガフ(願)はウル語・シュメール語の「祈願」を表すsag-ne-gubシャグ・ネ・グブに起源しています。シャグが心、ネが冠詞、グブが蛇神という構成でシュメール人は「祈願」という言葉を作りました。伝播先の日本では語頭のシャグを省いてネ・グブとして伝わりネ・グブが、ネ・ガブ、ネガフになりました。祈願のガンの字音も同系です。

百科事典で「願う」の語源を調べてみると、「ねぐ」の未然形に継続の助動詞「ふ」が付き「願う」となった。神の心を和ませてその加護を求めるの意。と出てきますが、この「ねぐ」はネ・グブのネグです。

考古学から日本での「蛇神」の存在を見ると、縄文時代の土偶で頭に蛇を巻いた土偶が多数出土しています。蛇を神として祈願する習俗は縄文時代から日本列島にあり、東京の青梅市根ケ布(ねかぶ)という地名もネガブからきていると云います。「延喜式」にも載っている虎柏神社の祭礼には大蛇神(おろちがみ)の渡御があり民俗学や神話の面からも蛇神信仰が証されています。

タミル語では蛇のことを「トト」と言います。第七代孝霊天皇の娘であった倭迹々日百襲姫(ヤマトトトヒ モモソヒメ)は霊能力があり巫女として活躍した女性ですが、この名前をタミル語で読み解くと「ヤマトの蛇の霊を崇拝する姫」となります。

今回は古代オリエントと日本語についてお話しさせていただきました。

他にも様々な学説があると思いますので、いろんな視点から日本語のルーツを調べてみて下さい。今回参考にした書籍・資料は概要欄をご覧ください。最後まで読んで頂きありがとうございました。



参考書籍

川崎真治著書「世界最古の文字と日本の神々」「古代史は身近にあり」 

大野晋著書「日本語はどこからきたのか」「古典基礎語辞典」 「日本語はいかにして成立したか」

 杉勇・尾崎亨著書「シュメール神話集成」

 田中孝顕著書「日本語の真実」 

河合望著書「古代エジプト全史」

 前田徹著書「古代オリエント史講義」

 鹿島曻著書「日本ユダヤ王朝の謎」「日本ユダヤ王朝の謎続」 

尾上イラウネ遺跡発見の線刻礫調査報告書


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