【九鬼文書】ノア皇都の祭りに参列【神代系譜】前期出雲王朝と後期出雲王朝〜古書から日本の歴史を学ぶ〜
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今回は九鬼文書に基づき、月夜見天皇、素戔嗚天皇の系譜を辿っていきます。よろしくお願いします。
九鬼文書の「神代系譜」によれば、前期出雲王朝第2代月夜見天日嗣身光天皇の直裔に天児根命またの名を天八意思兼尊(あめのやごころおもいかねのみこと)が出ており、これが大中臣の祖神とされています。
また、天児根命の弟神に天那可登美命、経津主命(ふつぬし)があり、前者は「黒人根国中興ノ祖」とされ後者は「春日ノ大神也」と記されています。
もう一人、弟神で武御雷命(たけみかずち)がいますが、この神は「常陸大中臣ノ太祖也」と記されています。
月夜見天皇の嫡男である天那可登美命はインド地方に赴き黒人根国中興の祖となっていますが、
それに対する白人根国中興ノ祖とは一体誰なのでしょうか。九鬼文書の系譜を見ると、素戔嗚天皇の第三子天佐登美命が欧州に赴きこの地方を統治し白人根国中興ノ祖となったとあります。
天佐登美命の嫡男である大国主命はインド・朝鮮を経由して出雲に帰り、後期出雲王朝を建てました。
島根県仁摩町大国に八千矛山大国主神社がありますが、この由来書には次のように書かれています。「八千矛山にご鎮座の大国主神とて出雲国より高麗に渡り給い、帰途当村のつづき邇摩の海、韓島(からしま)に着き給い(中略)それより八千矛山に宮居を定め給うた。(この宮居はみこもり穴と称す)これによってこの地を大国と申す。」とあります。
また、同じ仁摩町に韓島神社があり、スサノオ尊を祀っていますが、ここはスサノオが出雲と朝鮮を往復した時の寄港地の一つです。
九神文書の神代系譜の末尾にも、大国主命が欧州「伊駄国(いだこく)」より帰途の際、朝鮮に立ち寄ったことが伺えますが、祖父であるスサノオ尊の居る朝鮮に立ち寄る事は不思議なことではありません。
イダ国とはエダ国(枝)のことであり「本国(もとつくに)」から分かれた自治領のことだと云われています。
スサノオ尊も大国主命も出雲と朝鮮を往復していたことになります。
なお、スサノオ尊に関して「宮下文書」によれば、スサノオは多加王という新羅王の四男であり日本を征服しようとして来寇した朝鮮の王族であったと記されています。
以前ご紹介した歴史学者の吉田大洋氏もスサノオのことを朝鮮から渡来し移住した族長で出雲神族を征服したと見なしています。
スサノオに関しては異論や仮説が後を絶たない重要な存在です。
九神文書では天佐登美命の子に野安押別命がおり、その子孫が母宇世で、さらにその末裔が伊恵斯(いえす)であると伝えています。しかし竹内文書のように日本に来日したとは記されていません。
アメノナカトミ命の兄にあたる皇子で天日太身
(あめのひなたみ)命がいました。
「神史略」によれば彼は南海諸国の祖であり、その子孫から楠氏が出たとあります。楠一族は葛城山系に勢力を振るっていました。彼が天下の大軍を引き受けた千早城は山伏の修験道場である金剛山でした。おそらく祖先は熊野に漂着したインド系の渡来民であった可能性が高いです。
楠木正成が千早城で善戦出来たのは、彼の戦術が騎馬民族系のもので、鎌倉武士団にとっては初体験のものだったからです。
楠木正成の戦術は熊野経由の南海インド系のものだった可能性があります。
つまりアメノヒナタミ命が赴いた「南海国々」とは東南アジアというよりも、さらに西方、インド及びその周辺諸国ということになります。とすればアメノナカトミ命が「中興」したという黒人根国はインド半島を中心とした地域だったと推測できます。
このアメノナカトミの子孫から迦毘羅飯(かびらい)命と悉達留多(釈迦)が出ます。
釈迦とはカスピ海沿岸に広く活躍していた「サカ族出身の聖者」という意味です。
このサカ族とはカスピ海東方に移住していた遊牧民の総称です。
イラン東北のサカ族がバクトリア滅亡の際アフガニスタンに移動し、さらにガンダーラ地方に移動、以後、西北インドに威力を振るいました。シッタルタが生まれたカピラ王国もこのサカ族の立てた国です。
従って釈迦の一族は元はイラン系だったと考えられます。
サカ族が北インドに入った時はインドのほとんどがアーリア人によって支配されていました。
従ってシッタルタは身分的にはカピラ王国の王子でしたがバラモンを頂点とする先住アーリア人のカースト制のもとでは上位から2番目のクシャトリア階級でした。
釈迦の体が黄金色に輝いていたという仏教の伝承から、彼をイラン系ではなくネパール土着の黄色人だったという推測もあります。
それだけにシッタルタはカースト制の元に苦辛する多くの人々に、救いの解放である副音を伝えようとします。
インドでは現在も2000種以上のカーストがあって多くの人々が差別に苦しんでいますが、あのガンディーさえもカースト制廃止については沈黙をしたまま差別撤廃のみを叫びました。
カーストの語源はポルトガル語のカストからきていますが、元々はヴァルナ制と言い、ヴァルナとは色、特に人間の肌の色を指す言葉です。つまり皮膚の色を基準とした人種差別を意味していましたが後に職業差別を意味するようになります。
これはインドに征服者として乗り込んだアーリア人が持ち込んだ風習です。
カーストの頂点に立つバラモンの権威がいかに高かったかというと、インド最古「マヌの法典」には世界のいかなるものでもバラモンの所有物である。バラモンはその生まれの卓越性から全てに対する権利を持つ。など、こういう感じの文章が淡々と続きます。
釈迦はこのカースト制に挑戦したのですが、後世の仏教は釈迦の属したクシャトリア階級を「王者階級」と呼びバラモンよりも上位に置くなどという釈迦泣かせの愚かなことをしています。
結局、階級の呪いは解けず、やがて仏教はバラモンに吸収され、インドではほとんど消滅してしまいました。
これは釈迦の「色即是空(しきそくぜくう)」という精神の本質を忘れてしまったための報いと言えるかもしれません。
九神文書の神代系譜の中で、天那可登美命に続く迦毘羅飯命、悉達留多(釈迦)の箇所は取って付けた様な感じもしますが、
「天ノ神祭リ」という箇所では次のようにも記されています。
神紀七万三千六百二十三年十月二十一日
天御中主天皇 始メテ天日嗣 皇位ニ登リ給ヒ、天ノ下万世ヲ治メ給フヤ、茲(ここ)二皇位ノ典儀ヲ行ヒ給フ。越根中津国皇都ニ集リ給フ神々幾数千神 中ニモ、黒人根迦毘羅飯命。白人根野安押別命ハ各々六個宛(ずつ)ノ宝玉ヲ奉リ典儀二列ス。此宝玉ヲ日嗣ノ玉又ハ三光ノ玉ト称シ、紫光四個、黄光四個、紅光四個、全十二個ニシテ、皇位ノ宝玉ト成ル。
とあります。
越根中津国の皇都での神祭に迦毘羅飯命と野安押別命が出席していたと記されています、後半の皇位の宝玉についてはどういう意味かよくわかりません。
私たち日本人のご先祖がこのような精神性の高い「万教同根」に基づく古文書を代々大切に保管してきたこと。神代系譜が日本の土地に残っていることは、偽書とされながらも、必然的な意味がありそうです。
概要欄に記載の参考書籍もぜひ読んで見てください。
最後まで読んで頂きありがとうございました。
📖この動画の参考史料📖
吾郷精彦著書「九鬼神伝全書」「日本建国史全訳」
三浦一郎著書「九鬼文書の研究」
佐治芳彦著書「謎の九鬼文書」「倭人大航海の謎」
吉村武彦著書「新版古代史の基礎知識」
吾郷清彦・鹿島曻著書「古史古伝体系」
渡瀬信之著書「マヌ法典」
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