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【ショートストーリー】ゼロスの旅―無限の書架、終わりなき探究―

 昔々、ある遠い世界の図書室で、名を「ゼロス」というほんの小さな虫がいました。
 ゼロスは、その図書室の迷宮のような本棚で、一生を過ごしていました。
 シルバーの表紙、ゴールドの仕上げのある本、古びた革のカバーを纏った本……彼はこれら全ての本から、知識を摂取し成長していく存在でした。
 ゼロスにとっての食事は紙の一片であり、彼が消化するのは文字から得られる知識でした。彼は本を食べることによってその内容を摂取しているのでした。
 この図書室には一冊、特別な本がありました。
「存在の意義」と刻まれたこの本は高い場所に置かれ、ゼロスにとっては未知の領域でした。
 彼はいつも、その本を読むことができたら、自分の存在の真の意味を知ることができるのではないかと考えていました。
 ある日、ゼロスに驚くべき変化が起こりました。
 彼は、自分の体が大きく成長し、以前は到達できなかった本棚の高いところに登れるようになったことに気が付いたのです。
 彼は遂に「存在の意義」まで到達することができました。
 しかし、そこには予期せぬ困難が待ち受けていました。
 その本は、ゼロスが食べることのできない非常に厚い金属製のカバーで覆われていたのです。
 ゼロスは考えました。
 なぜ自分はこの本に到達するために、これほどまでに成長できたのに、その本を理解するための最終段階に至れないのか。
 彼が考え抜く中で、あることに気がつきました。
 それまで彼が食べてきた本から得られる知識は、それぞれがこの宇宙における小さな真実の断片に過ぎなかったということ。
 そして、彼は自らの存在の意義を理解しようとすればするほど、自分が知らないことの大きさを知ることになるのだ、と。
 そこでゼロスは決意したのです。
 自らの体を使って、「存在の意義」という本の金属カバーを削ぎ落とすという作業を始めました。
 月日は流れ、ゼロスの体は摩耗していきました。
 そして、ついには彼はまたもとの小さな虫へと戻っていきました。
 本のカバーからは少しずつ金属が削ぎ取られ、中のページが現れ始めました。
 しかし皮肉なことに、ゼロスはすでに読む力を失っていました。
 彼はもはや、自らが切望した知識を直接摂取することなどできず、ただ頼り無い風に吹かれる紙片を口にするだけの存在になってしまったのです。
 最後に、ゼロスは本のタイトルページだけを食べることに成功しました。
 その時、彼は一つの明らかな真実にたどり着きました。
 存在の意義を理解しようと求める旅そのものが、彼の生を豊かにし、本来の目的であったと。
 彼は本の残りの部分を食べることなく、満足してそのまま静かに息を引き取りました。 彼の一生は稀にみる幸せなものでした。

(了)

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