しがみつく普通

幼稚園から小3くらいまで、毎朝泣いていた。
出発の時間になるとなぜか家を出たくなくて、行きたくなくて、泣いた。
ときには行きたくない!!と癇癪?パニック?のようにわめいて、
父も母も困り果てていたし、普通に怒鳴られていた。

行った先でいじめられるわけでもなく、友達もいるし行けば普通に過ごせるのに、なぜこんなに行きたくないのか自分でもわからなかった。
わからないのに出発するのがものすごく嫌で、涙が出て、泣き止みたいのにコントロールできないこともものすごく嫌だった。

本人にも理由がわからないので親も理解できず、
親としたらめちゃめちゃ困るしイライラするし、こっちはそれを感じるしで最悪だった。

ほかにもなにかと一筋縄でいかない子どもだったためか、
「なんで他の子と同じようにできないの」
というようなことを複数回母から言われた、ような気がする。
なんでと言われましても。
今となっては親の気持ちもわかるけど。

そしてこれが自分の人生にこびりついてしまっている。

自分はちゃんとできないんだ、とか
自分にはなにもない、と思っていたから
なにかと出てくる「将来の夢を書く」場面が苦手だった。

思春期を過ぎると、「普通」のレールから逸れたら終わりだという思いが強くなった。
めちゃめちゃバカだったけど塾通いのおかげでそこそこの成績になったので
そこそこの高校からそれなりの大学に行って、大企業に入って寿退社したいなぁと中3くらいで語っていた。
今思うともっと自分に期待して、いろんな選択肢を現実的に捉えて、必要に応じた努力をしていればよかったんだけど
「普通」でいられる努力までしかしなかった。

そして今、「普通」から落ちてしまった。

社会の落ちこぼれだ、と感じる。
もう「普通」のツラして働く自信がない。
一方で、私は普通なのに!とも思う。思いたい。

適応障害でつまづいた他人のことを
あーもうおしまいだな、
なんて全く思わない。
なのに、自分にはそう思えない。

肩書云々じゃなくて
自分の人生を愛している人が勝ち組だと思うし
所属先や学歴や稼ぎとその人の価値は比例しない。
頭ではわかるし、他人に対してはそう思うのに。

「有益な人材ではなくとも、大企業で普通に働けていた自分」
に戻りたい。
たぶん、それがプライドみたいなもので、
その肩書が自分を支えてくれていたんだと思う。
会社を辞めたら、自分の能力ではここまで稼げない。
お金を稼げなくなったら、自分には価値がない。

偏った、ものすごくしょうもない考えだと思う。
別に高給取りというレベルでは全くないのに。
ていうか努力していろんな武器を身に着けてこなかった自分が悪いし、
そもそもそんなこと言うなら休職という選択を取らなきゃよかったのに。

ぐるぐる考えては苦しい。
もう考えるのやめたいし、早く人生終わらないかなとか思ってしまう。
新婚でなに言うてんねん。
人生を愛せるようになりたい。

いいなと思ったら応援しよう!