ジストニアとの闘い
ジストニアについて、ほとんど書いてこなかったけれど、もうそろそろ書こうと思う。
舌が捻れて顎が勝手に動くので、何度も口の中を切った。それを防ぐために、口の中にガーゼを四六時中突っ込んでいた。
足は大きく投げ出され、膝を痛めるので両膝にサポーターを巻いていた。
体はびょんびょん勝手に跳ねるので、さらしを巻いて凌いでいた。
目は竹串を刺されたような痛みで、ジストニアでぎゅっと閉じたまま。
道を歩けば真っ直ぐに歩けず、斜めに歩く。
お尻に下着が付くとあり得ない痛みでギャーっとなり、いつもすっぽんぽんで寝ていた。
それでも私は欠片さえも飲む気にはならなかった。
たとえ顔がぐちゃぐちゃになろうとも、手術など論外だった。
むしろ、これでもう薬とはおさらばなのだと思うと清々しかった。
こんなことを書けば、「根性論を振りかざしている‼️」とか、「安全な切り方ではない‼️」など必ずアンチが湧いてくる。
しかしこれは麻薬以上の兵器だ。
あと、どうやって切れと?
私はヘロイン、コカインを簡単に断ち切る自信がある。あの孤独と絶望を乗り越えれば、怖いものなど無い。
あのケチョンケチョンに人を貶す事しかない内海先生が、「断薬者の精神力には、目を見張るものがある」と珍しく誉めたような事を言っていたけれど、結果的にそうならざるを得ないのだ。
断薬者は地獄の底をくぐり抜け、「人間は絶対的に孤独である」という大前提を、身をもって知る。
そして、この薬がただ単に肉体を傷つけるばかりでなく、魂を根絶やしにするものであると知った時、二度とこれを口にすることはない。
しかし現実に、ここまで辿り着いて生還する者は少ない。
あるいは大多数が簡単に切れてしまうため、精神薬の真実に気付かない。
精神薬を薬と見なすか、兵器と見なすか、不毛な論争は永遠に続くだろう。
人々の間に断絶を生み、不幸、破滅しかもたらさない精神医療、精神薬に、私は1ミリたりとも賛同することは出来ない。