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猫日誌、其の陸。

 コロが死んでから猫に対して屈託がなく、とはいかなくなった。向こうは邪気なくつき合ってくれるのだが、わたしの方がどうしても「いつかは死んでしまうのだ」と、心の何処かで思う。そんな風に思うと、無邪気ではいられない。
 無邪気な年でもない。もう四十七だ。腰を痛めるお年頃である。今のところ痛まってはいないが。
 ゴンタも十四才で、コロが死んだ年を越した。同じように日がな一日、窓際で香箱を作っている。クツシタも十二才になり、若い時ほど神経質ではなくなった。コメは七才で緑内障に罹り、現在は隻眼である。はじめから片目のタンゲは、猫たちとの生活にすっかり慣れた。
 コメが緑内障に罹っていることが判ったのは、手遅れになってからだった。動物は彼処が痛い、此処が辛いと謂うことは云わないので、なかなか察することが出来ない。獣医も此方から云わなければ検査をしない。
 片方の目からいつも涙を流し、瞳孔が開きっ放しのようになっているのに気づいて、病院に連れて行くと、目薬を処方されただけであった。当然、そんなことでは効果は現れない。それは人間とて同じであろう。
 半年、様子を見た。
 右目が左目より大きくなり、見ただけだと目全体が真っ黒で、何う考えてみても異常だった。予防接種の際に相談したら、これは緑内障で、もう殆ど見えていないだろうと云われた。そして、片方見えなくても、室内で飼っているなら大丈夫だという。
 果たしてそうだろうか。慥かに家の裡には危険なものはない。しかしそれは人間にとってであって、猫からすると危険なものは幾らでもあるだろう。本の角で目を突くかも知れない。ギターは必ずスタンドに立てるようにしているが、弾いている合間は床などに横にしておくこともある。ペグから飛び出した弦が目に入ることがあるかも知れない。
 緑内障に関して調べたところ、この病は治らないそうだ。人間の場合は頭痛がしたり吐き気がする。完全に治すとは、すなわち眼球を摘出することなのである。それを治療と謂うのか何うか判らないが、それしか現在は手がないらしい。
 医師と相談して、このままでは癌に移行する可能性もあると謂うので、手術をすることになった。詳しい検査がうちでは出来ないので、と、眼科の専門医を紹介してもらった。猫の眼科があるとは知らなかった。
 隣の市にあるその病院へ行ってみると、実に近代的な建物で、人間の適当な病院よりも立派な処だった。そして料金も立派であった。金が惜しい訳ではないが、場所が遠い。猫の為に仕事を休める訳もなく、近くで目の手術をしてくれる医院を探したら、あった。
 棄てる神あれば拾う神在り。
 検査をした病院より気さくな感じで、町医者の風情である。
 検査結果の書類を渡し、手術は翌週に決まった。これでコメの片目は取り除かれてしまう。可哀想だが、癌になって寿命が縮むのはもっと可哀想だ。
 帰宅してからコメに手術に対する同意を得る為の対話を試みた。要するに、インフォームドコンセントである。
「コメ、君の目はたいそう悪くてね、手術をせねばならないのだよ」
「手術ってなに」
「刃物を使ってだね、君の目をえぐり出す」
「やだ」
「厭だろうけどもよ、やだっつってもやんなきゃなんねえんだよ」
「痛いの?」
「麻酔をするから大丈夫だ」
「やったことある?」
「ない」
「そんならなんで痛くないって判るの?」
「知識がある」
「代わりにやって」
「無理だな」
「みんなもやるの?」
「おまえだけだ」
「えー。なんで」
「だから、目が悪いからって云ってるだろ」
「悪くないよ」
「片方の目、見えてないだろ」
「そんなことない」
 左目を手で覆ってみた。
「あれー、なんにも見えないや」
「判ったか」
「タンゲみたいになっちゃうの?」
「……そうだな」
「カッコいいかも知んない」
 やる気になってくれたようである。恰好が良いとは思わないが、彼の考えることは能く判らない。


 手術は滞りなく済み、念の為、二日入院することになった。会社帰りに病院へ寄ってコメを引き取った。あまり様子は変わらず、元気だった。疵口には黒い糸があり、三針縫ったという。疵口を掻かないようつけられたエリザベスカラーが鬱陶しいようで、首を振ったり壁に擦り附けたりしている。
 家に戻ると他の猫たちが彼の周りに寄ってきて、匂いを嗅いでいた。
「片目になってしまいましたね」
「仕方がない。ほかっとくと癌になるらしいからな」
「不自由ではないのでしょうか」
「もう見えなくなってたみたいだからな。慣れてるだろ」
「抜糸はいつですか」
「再来週の今日だってさ。疵口が塞がるまでエリザベスカラーは取れないし、他の猫が引っ掻いたりしないように気をつけてくれよ」
「判りました」
「あと、薬をもらったから、一日に一回やらなきゃならんけど、それはおれが帰ってからやるよ」
「なんの薬ですか」
「化膿止め」
 プラスチックの薄い板をラッパ状にしたエリザベスカラーが相当邪魔くさいらしく、時々わたしの処へ来て不満を漏らす。
「この首に巻いてあるの、邪魔」
「しょうがない。それがないと、おまえ、掻き毟るだろ」
「そんなことしないよ」
「するね」
「しない」
 仕方がないので外してやったら、いきなり掻き毟った。再びつけると、不貞腐れてまた文句を云った。
「これ、まじで邪魔だよ。自分もつけてみたら判るって」
「そんなにでかいプラスチックの板がない」
「ぼくにばっかこんな目に遭わせて、酷いよ。卑怯者、うんこ、クズ、カス」
 云いたいだけ云って、コメは何処かへ行ってしまった。四十五才の時に実家を譲り受け、アパート暮らしのように狭苦しくなくなったのである。猫にとっては難有い話だった。人間ふたりには広過ぎる家なのだ。
 抜糸が済み、エリザベスカラーが取れると、コメは以前のように動き廻れるのが嬉しいらしく、若い頃のように撥ね廻っていた。そして阿呆なので、手術した処とは別の場所を掻き毟って、血を流していた。
「掻くのをやめんか。こんな赤禿にしたらおまえだって痛いだろ」
「痒いんだもん」
「痒い訳あるか。手術したとこじゃねえし、虱も蚤もおらん筈だ」
「じゃあ、痒くなくして」
「薬でも塗るか」
「どんなの」
「ムヒしかない」
「見せて」
 救急箱からムヒを取り出し、蓋を取って鼻先に翳したら、コメは飛んで逃げた。まあ、逃げるだろう。人間が嗅いでも刺激的な匂いである。そもそも、猫にこんなものを塗ってはいけない。猫には猫用の薬がある筈だ。
 しかたなく、急造、手製のエリザベスカラーをコメに装着した。
「なあ、あのエリザベスカラーに代わるもんはないかな」
 妻に相談してみた。
「邪魔そうにしていますね」
「あんなエリマキトカゲみたいなのをくっつけてたら、そりゃ邪魔くさいだろ」
「あちこちぶつけていますしね。ご飯とお水の器は下に台を置いて高くしたので閊えることはないと思うんですけど」
「掻き毟らないようにするにはどうしたらいいのかな」
「そうですねえ。爪が当たらないようにすればいいのですから、靴下でも履かせたらどうでしょう」
 なるほど。しかし、猫の足に合う靴下などあるのだろうか。薬局へ行ってあれこれ見た結果、指先に嵌める包帯のようなものがいいのではないかと思い、購入した。
「コメ、ちょっとこっちに来い」
「なに?」
「後ろ足にな、これを嵌めればその首の板は外せる」
「これ、なに」
「まあ、靴下みたいなもんだな」
「クツシタさんのこと?」
「彼女の名前はそれからとった」
「へえ。で、それをどうするの」
「これを足に嵌めて、取れないようにテープで留める」
「痛くない?」
「手術に堪えたおまえだ。こんなもん、屁でもない筈だ」
 顔を掻き毟るのは後足なので、その二本にサック状の包帯を嵌め、医療用のテープでぐるぐる巻きにした。ひとつ誤算があったのは、人間と違って猫には毛がぼうぼうに生えていることであった。テープの粘着力が殆ど意味をなさない。
 テープとテープが重なるまで確乎り巻いたら、ゲートルのようになってしまった。
 エリザベスカラーを外すとコメは思い切り伸びをして、やれ、せいせいした、と謂った表情をした。
 しかし、獣は獣。足につけられたものの意味するところを正確には理解しておらず、と云うか、まったく判っていないようで、一時間も経たないうちに喰いちぎって取ってしまった。
 おまえの為を思ってやったのに何を考えているのだ、と腹を立てても意味がない。足につけられた包帯なぞ、猫からしてみればエリザベスカラーと大差ない。同じように邪魔くさいのだ。
 仕方がないので、再びカラーをつけた。コメは迷惑そうにしていたが、仕方がない。掻かぬよう説得しても無理な話だし、そもそも痒くもない処を掻いているのだ。
 何故、痒くもないのに掻くのだろうか。
 猫は謎の多い生きものである。

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