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人物裏話——牧田俊介篇。

 作中でも殆ど触れられることのない牧田俊介。
 一番クローズアップされた『甘茶でかっぽれ』ですら、構内で他のふたりと喋っている時だけで、普通なら彼の勤めている東和楽器でもっと科白があってもいい筈なのにひとこと云うだけ。
 『いつもどおりに』では江木澤が語り手となっているのだが、牧田の話は殆ど出て来ない。まあ、あれは江木澤が如何に亮二を気に入っているか、と謂う内容なので仕方がないのだが。
 しかし、この牧田の無視されっぷりは酷いとしか云いようがない。
 慥かに際立った個性はない。彼と同じような扱いを受けているのがglass tubeの長海君(ほら、フルネームすら覚えてない。調べたら秀一だった)だが、もうちょっとましな気がする——ような気がする(注;ましどころか、長見君は存在すら忘れられている)。
 危うくthe cageの車折もそうなるところだったが、「硬派」と謂う一点のみで主役になれた。これはある意味凄い。
 バンドの話が多い中、一番最初に思いついたナナシのベーシストだと謂うのに、ナニ故こうも虐げられているのだろうか。
 先づ、人物設定が甘かった。一番はじめの『つまらないものですが』は亮二の語りで、清世と出会ってなんとなく上手くいきそう……、と謂う話だったので、残りのふたりが添え物にしかならないのは無理もない。
 しかも、この話の中では牧田の方が江木澤より喋っているのだ。亮二が清世を救い出した時も、電話で話した科白が文字になっているのは牧田の方である。そもそも、彼女が女達に取り囲まれているのを亮二に教えたのは牧田だった。
 音楽に対しても小坊主でトリを務められるようになった時、「発展しないのが気に喰わねえんだよ」と、亮二より熱意があるところを見せている。他のふたりがちゃんと就職をしたにも拘らず楽器店でバイトする道を選んだのも、もしかするとプロ志向の現れだったのかも知れない。それは違うか。
 亮二は父親がジャズ好きで家の中で音楽が流れているのが普通、という環境で育った訳だが、何故か興味の向かったのが昔の歌謡曲と「ロックっぽい」曲だった。十二才からギターを始めたのだが、中学一年生が普通の大きさのギターが弾けるのか? と思われるかも知れない。わたしは小学校高学年の頃、標準よりかなり背が低かったが普通のクラシック・ギターを弾いていたので、それより背があった亮二なら重いことは重いが弾くことくらいは出来た筈である。
 江木澤が音楽に目覚めたのは中二くらいだったような(書いたかも知れない……)気がするが、好んで聴いているのがわたしと同じ。まあ、わたしの知識が狭いのでそうなった訳だが。
 何故ドラムを選んだかというと、車折とほぼ同じ理由である。家がさほど裕福ではないので、一番金の掛からない、極端なことを云えば叩くものと叩けるものさえあれば出来るドラマーを目指したのだろう。段ボールを叩いて練習していたと謂う涙ぐましい話まである。
 では牧田は、と謂えば、先輩から貰ったベースギターを使っているとしか描写されていない。当たり前だ、それだけしか考えなかったんだから。
 江木澤が必要以上におとなしく控えめな性格で、見た目も穏やかなのにドラムを叩くという意外性の持ち主であるのに対し、牧田は中肉中背のこれといった特徴のない外見で、ベースの腕も亮二の方が上(悲しすぎる……)だが、明るく剽軽な性格で女の子に人気がある、のに振られてばかりいる(あんまりだ……)と謂う設定。
 書いているうちに気の毒になってきた。
 そう謂えば『他人事は愉しいもので』の中で、glass tubeの三人が亮二の噂話をしている時も江木澤の苛められ話になってしまい、彼については「牧田さんなら拗ねるよね」のひとことで済まされている。なんだ、これは。あまりにも酷いんじゃないのか? 牧田が嫌いなのか?
 亮二、江木澤、水保、長海、樹久尾、玲二、棠野、車折、とちゃんと絵に描いた。ひとり居ない。……牧田だ。
 うわー、生きている人間だったら張り飛ばされてるぞ。頭の中でこさえた人間で良かった。
 ただし、ナナシの内で一番顔がいいのは牧田なのである。ライブのアンケートに「三人とも見た目がいい」と書かれていたように、亮二は黙っていれば苦悩する哲学者みたいな顔をしており、本人は容姿についてあれこれ云われるのを嫌うがはっきり云って美形である。
 江木澤はおとなしく真面目な性格がそのまま顔つきに現れている。牧田は亮二に馬鹿だ馬鹿だと云われているだけに(お互いに云いあっているのだが)、まあ軽薄な感じの顔立ちではあるが、その方が一般受けはいい。
 牧田はその社交的な性格から、バンドの広報担当のような役割を果たしている。因に江木澤は経理担当である。ホームページを作ったのは亮二だが、バンドに関する世間の反応などを調べたりするのは牧田だった。
 亮二が女に持て囃されているので、無断で写真を撮り、それを売り捌いていたこともあった。彼に亮二に対する気持ちを打ち明ける女も居たが、高校の時はマキコが居たし、大学に入ったら清世とつき合うようになったのでその情報が伝えられることはなかった。
 どちらにしても、亮二がそう謂った女に靡くとは思えないので、彼女が居なくても黙っていただろう。
 江木澤が亮二に惚れ込んだように、彼も亮二に傾倒してはいた。生涯妻帯しなかったのも亮二が居たから——ではないか。

 それにしても、碌に知りもしないのに、なんでバンドの話ばかりをようけ書くのだろうか。
 自分なりに考えてみた。まあ、身近にバンドをやっていた人間が居る、と謂うのもある。監督、役者、作家の話も書いたが、こう謂うひと達はプロ志向が強い。片手間にやってるとどうしても不自然になる。
 趣味で映画を作る、といったらホームビデオを撮ってるおとっつあんみたいにしかならないし、誰にも読ませない小説を仕事から帰ってとか休みの日にこつこつ書いているひとなんてちょっとアブない感じがする。ひとりで芝居をしていたりしたら、それはもう完全な気違いである。
 プロになろうとせず、ひとりきりで楽しんでいる状態をこの三つの職業の人物に当て嵌めると、ひとりでやれるだけに異常性が浮き出てくるのだ。なので、狂気のひとを主人公にする時はこれらの職種にすればいいのかも知れない。実際、木薪八郎はおかしなひととして登場した(映画監督)。
 バンドだってプロ志向の強い奴らは掃いて捨てるほど居るだろうが、わたしが書いたのは三つともアマチュア志向(そんなのあるのか?)の奴らばかりである。
 亮二は学生時代から、三十、四十になってまでこんな浮き草稼業をやっている訳がないと考えていた。だから三人とも就職したのだ(四十近くなってもバンドやっとるやんけ)。因に牧田が東和楽器店の社員になれたのは亮二が社長に頼み込んだからである。ギターを散々値切らせてもらったお礼なのか、お礼として更に値切るつもりなのかは判らない。
 glass tubeの三人は、ひとりは天馬企画に、ひとりは石田初子の勤めていた(居る!)衣料品の卸問屋(アパレル・メーカー)、ひとりは薬剤師。バンドはナナシと同じく就職後も続けており、中高年まで幅広く聴いてもらえる間口の広い音楽をやっている。
 このふたつのバンドと明らかに違うのがthe cageの面々。先づ演っている店が違う。
 よく出てくる小坊主というのは、フォーク系オルタナ系グランジ系のバンドを多く掛けていて、ゴリゴリのパンク・バンドやヘビメタ、ヒップ・ホップ系が出演することはない。店自体がそんな如何わしい雰囲気の処にはないので、店内が黒一色の割に女性客も多い。
 此処は新市のライブハウスの中では老舗に入る。店が角にあるのでトラックが突っ込んで来たこともあったが、店舗自体は地下にあるのでそれほど被害は大きくなかった。オーナーはボブ・ディランとドアーズと石川さゆりが好き、と謂う訳の判らない趣味をしている。
 で、the cageは別にパンク・バンドではなかったが、此処から「code6」という飲み屋兼ライブハウスに移った。この店がまた東地区でも一番犯罪率の高い一区の奥まった処にある。だから客層もそう謂う処が平気なひと達が多い。
 小坊主と違って二階に店がある。この店のオーナーの嫁さんは、玲二を包帯でぐるぐる巻きにしたくらいなのでパンク好き。旦那(オーナー)は『ブルース・ブラザーズ』の大ファン。音楽も好きだが映画の方がより好きで、特にアメリカン・ ニュー・シネマとコメディが好きだった。だから店の内装も実にアメリカーンな雰囲気。嫁がパンク好きとは知らない。
 基本的に呑み屋なのでチケット制ではなく、入店したものからチャージ料を取り、支払った印に手の甲に判子を押す。これで以降の入店は自由となる。此処ら辺りもアメリカ式。
 the cageのメンバーは三人とも定職に就かないまま、アマチュアとしてバンドを続けていた。全員高卒。他のふたつのバンドの人間が趣味、というか片手間にやっていたのに比べるとかなり姿勢が違う(そのうちふたりは三十手前できちんと就職するが)。

 ほら、牧田の話を書いていたのに全然違う話になってしまう。危うく玲二の話に行くところだった。
 頭が拒否しているのだろうか。
 喫ってる煙草も他の奴らはマイルド・セブンとかキャスター・マイルドとかなのに、ひとりだけホール・イン・ワン・ライツというその辺の自販機どころか煙草屋でだって売ってるかどうか怪しいのを喫っているのに。
 断っておくが、この世界で自動販売機などと謂うものは明良の時代から既になかった。あんな「どうぞ盗んで下さい」と云わんばかりの機械が路上に設置されている訳がない。
 明良の、と書いたが、世代的に一番古いのは水尾達。彼らは亮二達より十一才年上である。書いた順に記すと、木島(キシマ)→石田初子/水尾(彼は木島の話から居た)/來河地→小島(コシマ)孝次/キハチ →亮二→鬼太郎君……、やめよう。また牧田が疎かになってしまった。
 何故だ、どうしてだ? 出て来れば結構面白いことを云ったりするのに……。
 此処でひとつ詳しく設定しなおしてみよう。


▼名前→牧田俊介(こればかりはもう変更出来ない)。
▼背格好→中肉中背というのがいかん訳だ。普通くらいの背で色白で小太り、というのは既に源一郎で使った。179cmというのは亮二だし、178cmというのは江木澤だし、185cmというのはカナギシと小島孝次だし、そもそも亮二より背が高いと話が合わなくなる。かといって、いきなり160cmにするとやはり話とずれる。困った。
 モデルとして芸能人を考えてみよう。
 明るくて剽軽な奴……、おぎやはぎの結婚していない方? 大泉洋? 癖っ毛は駄目だ。水保で使ったし、もうひとり居るし、実は江木澤も癖毛だ。うーん、ジャック・ブラック?  太り過ぎか。よく考えてみたら芸能人なんてよく知らんかった。キョンキョンの元旦那は慥か167cmだったけど、あれだったら女に振られてばかりいる訳がない。しかもあいつは私服が馬鹿丸出しのロッカー風で趣味悪すぎるし。ううむ。
 170cm、体重は普通に計算したら54kgと出たのでそうしておく。亮二と体重がそう変わらんのは、あいつが痩せ過ぎだからだ。
▼趣味→音楽に関しては亮二、江木澤と話があったのだから取り立てて書く必要はない。ベースが趣味、というのも変。
 ロリコンだとか、年増女しか駄目とか、実はモーホーだったとか。ゴキブリを飼っているとか、アナコンダと一緒じゃなきゃ眠れないとか、ぬいぐるみを作るのが好きだとか。女物の下着を愛用しているとか……。あー、変態にしてどうするのだ。
 楽器屋で働くのが楽しいということなので、あらゆる楽器をなでさするのが趣味。イマイ・オートの兄ちゃんと変わらんやんけ。
 よく考えたら亮二だって音楽以外趣味なんかねえじゃん。時々ぼーっと考え事しているけど、あれは趣味じゃない。本をよく読むが、わたしからすればそんなもんは趣味ではない。江木澤なんか子供が出来てからはその相手をするのが趣味と云えるかも知れんが、ガキなんかすぐにでかくなる。
 うーん、映画鑑賞にしておこう。
▼服装→こればっかりはどうにもならん。わたしの趣味で、バンドをやっている奴は全員普通の恰好をしている設定になっている。フォーキーなglass tubeは兎も角、the cageなんかブランキーみたいな音楽をやっていて、そのうちふたりはバイク乗りなのに、革製品はベルトと財布くらいと謂う奴らである。革パン革ジャン、ブーツ、いっさい禁止なのだ。
 どうしよう。Tシャツ着ないとか……。ボタンダウンのシャツしか着ないとか。アイビー・ルック? 太陽族? みゆき族? いつの時代だ。
 ふんどし愛用してるとか、いつも地下足袋履いてるとか。
 ああ、そうだ、亮二と江木澤がジーパンだからチノパンしか穿かない。出て来たぞ、個性が。

 もういいだろう。これで牧田もちゃんと話になる筈だ。

 これはHP時代に書いたものなので、かなり古い記事である。この後、牧田もちゃんと話にして、『阿呆と山猫』『蟲の飼育』(此処では未公開)と書いた。が、どちらも見合い相手の瑛子視点である。どうも牧田の心理と謂うのが想像出来ない。
 彼の影が薄かったのは、亮二と性格が被っていたからだろう。ひと懐っこくて結構いい加減。
 チノパンを穿くとか書いているが、この設定は採用していない。映画は瑛子にスタンリー・キューブリックの『ロリータ』のことを云っているくらいなので観るのだろう。趣味かどうかは判らないが、亮二が図書センターの社員なのでソフトはただで借りられる。
 絵を描かなかったとあるが、このあとちゃんと描いた。描いてみたら何故か垂れ目だった。わたしは垂れ目の人物は描いたことがなかったのに、牧田だけは垂れ目になってしまった。おかげで描き難いったらありゃしない。垂れ目にしなきゃ済むことなのだが。
 裏話に有名人で似ているのは誰か、と謂うのを書いた時、髪形が普通のオダギリジョーとしたが、似ていない。まったく似ていない。今考えても思いつかない。垂れ目のミュージシャンなんて、ポール・マッカートニーくらいしか知らない。そもそもわたしは垂れ目の奴が嫌いなのだ。目が大きいのも好きじゃない。これは男女問わず。
(注;この文すら、2015年の4月6日に書いたものである。悪しからず)

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