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商店街を歩こう

「紘君、起きて」
「んー。…… ああ、今、何時?」
「九時半」
「もうそんな時間か。何時に起きたの」
「六時」
「早いねえ。何してた?」
「朝ご飯作って、洗濯して掃除した」
「まめだなあ」
「今日はどうするの」
「そうだね、センターの近くの商店街に行こうか。行ったことある?」
「ないよ。なんか物騒だって聞いてるから、すぐ帰ってた」
「午間はそんな物騒じゃないよ。女の子ひとりだと危ないかも知れないけど、それはこの辺でも同じだから」
「この辺りもちょっと恐いよね」
「まあ、町工場が多いからね。外国人労働者が多いし、低所得者層がたくさん住んでるから。影郎のうちの近くは住宅街だから安心出来るよね」
「近所の家が空き巣に入られたことがあるけど、犯罪はそんなにないね」
「空き巣かあ。このアパートでも去年あったな」
「そうなんだ」
「瓦斯の検針員装って這入り込んだんだけど、何も盗らずに逃げたみたい」
「恐いねえ。此処は七階だからそういうひともあんまり来ないんじゃない?」
「うん、その点は安心していいよ」
「紘君じゃ撃退出来そうにないからね」
「そんなことないよ、泥棒のひとりくらいは自分で対処出来る」
「無理だよ、殺されちゃうって」
「みくびるなよ」
「うわっ。すごい、柔道でもやってたの?」
「高校の時、体育の授業でね。参ったか」
「参りました」
「逆らうと恐いよ」
「割と細いのに」
「見た目で判断しないように」
「ほんとだね」

 ………………。

「これ、香ばしいね。玄米茶に入ってるのみたい」
「玄米だもん。炒ってグラノーラっぽくした。売ってるのは油と蜂蜜なんかを使ってるけど、これはただ乾煎りしただけ」
「へえ、シリアルまで出来るのか」
「ヨーグルトに合うと思ったんだけど、どうかな」
「美味しいよ、食感がぽりぽりして面白い」
「普通に炊くよりたくさん食べられないんだけど、応用範囲が広い」
「他にどんな風に食べられるの」
「スープの浮き実にしてもいいし、サラダに混ぜてもいいし、これを擂って米粉に練り込んで焼けば煎餅になる」
「なるほどねえ、米なのにそれだけのものになるのか」
「炒るとなんでも香ばしくなるしね」
「このサラダも美味しいね、ナッツが入ってる。中華街で買ったやつ?」
「うん、カシューナッツを叩いて砕いたのをドレッシングに入れてみた」
「中華風だね。麺はビーフンかな」
「そう。ビーフンはぱさぱさしてるから、食べ難いと思って短めに切った」
「いろいろ工夫するねえ」
「そういうこと考えるの、愉しいんだ」
「いいことだよ、なかなか考えつかないようなことやるからね」
「一応、思いついたことはやってみるんだけど、ひとに食べてもらうまではそれが良いのか悪いのか判んないんだよね」
「まあ、概ね成功してるよ。びしょびしょのピザは味だけが救いだったけど」
「あれはゆるいトマトソースを景気よくかけ過ぎちゃった」
「不味くはなかったけど、ピザじゃなかったなあ」
「慥かにね。あれは明白地に失敗作だった」
「そのあと作ったのは美味しかったから、大丈夫」
「ピザは普通、失敗しないもんだからね。他所で食べるピザがあんなに高い理由が判らない」
「まあ、クラスト生地とソースとチーズくらいだからねえ。何にお金がかかってるんだろう」
「イメージ戦略じゃない?」
「そうか。イタリアンっていうだけで価格が高く設定してあるのかもね」
「意味ないような気がするけどね。最近はフライパンで出来るピザ生地の素とか売ってるし」
「家で作った方がなんでも安いし美味しいよね。まあ、作る時間がなかったり、面倒くさいひとは宅配とか出来合いで済ませちゃうのは仕方がないけど」
「紘君はそうしてるんでしょ」
「料理出来ないから」
「出来るようになった方がいいよ」
「影郎が泳げるようになったらね」
「それ、関係ないじゃん」
「やれないことっていうのが共通してるじゃない」
「狡い云い訳」
「なら泳げるようにしたら?」
「やだ。溺れる」
「溺れないようにする為に泳ぐんだよ」
「泳いで溺れたら馬鹿みたいじゃない」
「屁理屈ばっか捏ねて」
「紘君だって、料理が出来ないことをなんとかしようとしないじゃん」
「料理くらいは作れるようになれるよ」
「じゃあ、なんか作って」
「そのうちね」

 ………………。

「休みに日にこの辺りに来たのははじめてだなあ」
「新鮮?」
「新鮮ではないな、毎日通ってるから。でも車じゃないから、それは新鮮だった」
「車はいいよね。左人志は電車で通勤してるから」
「中央区の方は渋滞するからね」
「バイクで行けばいいのに」
「ああ、バイクは渋滞にあんまり関係ないか」
「商店街はどの辺?」
「もうちょっと行った先にある。アーケードになっててアーチがあるからすぐ判るよ」
「……あ、あった。古くさい感じ。東六区商店街。彼処がおかず横町なの?」
「そう。スーパーの総菜コーナーがずらっと並んでると思えばいいよ」
「ほんとだ。うわあ、コロッケが安い。一個三十円で採算合うのかな」
「人件費がそんなに掛かってないんじゃない?」
「此処で食べていけるの? じゃあ、もらおうか。ふたつ下さい。え、お茶まで出してくれるの」
「サービスいいねえ。ああ、懐かしい味だな。ちょっと甘くて」
「揚げたてで美味しい。……おばちゃん、ごちそうさま」
「干物がたくさんあるね」
「蠅取り紙が下がってる。いまだに売ってるんだ」
「見たことのないものもあるなあ。竹麦魚とかメルルーサとか」
「メルルーサはないな。深海魚だよね」
「うん。美味しいのかな、買ってみようか」
「二枚でいいよね」
「いいよ、ぼくが払う」
「隣は総菜屋さんだ。おふくろの味って感じ」
「煮つけが多いね。里芋、蓮根、南瓜、肉じゃが、きんぴら……。(影郎の作るやつの方が美味しそう)」
「(見るからに味が濃そうだね)」
「金物屋さんだ。孫七荒物店、名前からして年季が入ってるなあ。ああ、此処に蠅取り紙が売ってるよ」
「鼠取りもある。アメリカの漫画に出て来るバネ式のじゃなくて籠なんだ」
「これ、どうやるか知ってる?」
「どうやるの?」
「此処に餌を引っ掛けて、扉を開けとく。鼠が餌を取ると扉が閉まって出られなくなる。で、籠ごと水に漬けて殺す」
「残酷……。まさか紘君、やったことあるの?」
「ないけど、お爺さんがやってた」
「おれは絶対出来ない」
「ぼくも無理だな」
「レトロなパッケージの石鹸がある。バーコードが印刷されてるってことは、現行の商品なんだ」
「この絵はなかなかインパクトが強いね」
「今時こういう絵はあんまりないよね」
「色使いも独特」
「隣は練りもの製品だ」
「薩摩揚げだけでこれだけの種類があるんだねえ」
「枝豆が入ってるの、美味しそうだな」
「ほんとだ、白いから色がきれい」
「買おうか、これと、あとは……」
「鱧のちくわなんかいいんじゃない?」
「じゃあ、これとこれ。ふたつづつ」
「なんかもう、今晩のおかずは買えちゃったね」
「ねえ。また揚げもの屋さんだ。串カツが多いな」
「レバカツがある。これは東京に行った時食べた」
「あ、それ知ってる。月島にあるんだよね。もんじゃ焼きも有名じゃない?」
「もんじゃ焼きは食べなかったな。ほんとに通りすがっただけだから」
「通りすがりにレバカツ食べたんだ」
「一緒に居たひとに勧められてね。さくさくして美味しかったよ。凄く薄くて、旗みたいにしてあった」
「へえ、此処のは串はついてないね」
「ああ、懐かしい感じの喫茶店」
「此処でちょっと休もうか」
「そうだね。カウベルがついてる。ほんとにレトロ」
「卓子も使い込まれてるねえ、黒光りしてる。何にする?」
「コーヒー」
「好きだねえ。インスタントじゃなくて、ちゃんとしたコーヒーメーカー買ったら?」
「うーん。そこまで凝ってもねえ」
「コーヒーメーカーなんかで凝ってるとは云わないよ。何がいいかな。……番茶がある、珍しい」
「そんなのがあるんだ。老人向けかな」
「これにしよ」
「あられでもついてくるのかな」

 ………………。

「ほんとにあられがついてきた」
「コーヒーにはピーナッツがついてきた」
「名古屋の喫茶店みたい」
「そうなの?」
「らしい。モーニングサービスとか凄いんだって。味噌汁に焼き魚もついてくる処もあるって」
「それ、喫茶店なの?」
「喫茶店。ちゃんとコーヒーもついてくる」
「なんか、それこそ番茶の方がいいような気がするけど」
「そうだね。名古屋のひとはお得感がないと受け入れないんだって」
「何処のひとでも得するのは好きだけどね」
「まあ、そうだけど」

 ………………。

「漬けもの屋さんだ。いろんなのがあるなあ」
「蕪のワイン漬けだって。セロリの漬けものもある」
「葱味噌か。これは作ったことがあるな」
「油揚げに挟んだの、美味しかったよ」
「あれは冷や奴にかけてもご飯にかけても美味しいんだ」
「漬けものはなんでも作っちゃうよね」
「だって、切って漬け込むだけだもん。簡単」
「料理で出来ないことってあるの」
「うーん。ウエディングケーキとか本格的なフランス料理は出来ないんじゃないかな」
「やれって云われれば出来るんじゃない?」
「どうだろ、出来るかな」
「シェフになればいいのに」
「それほどの腕はないよ」
「あるような気がするけどなあ」
「隣も漬けもの屋さんだ。おんなじようなものばっかだけど、二件並んでる意味があるのかなあ」
「この小茄子の芥子漬けはなかったよ」
「これ、美味しそうだな」
「辛くないかな」
「唐辛子みたいな辛さではないと思うけど」
「買おうか」
「自分で払う」
「いいよ、ぼくが出す」
「ありあとやんす」
「いえいえ」

 ………………。

「はあ、結構歩いたから疲れた」
「車ばっかだから、足腰が弱ってるんじゃない?」
「そうかなあ。影郎は意外と健脚だね」
「何処に行くのも歩きだからね。エレベーターもエスカレーターも使わないし」
「ぼくもそうしなきゃなあ。つい、そういうのに乗っちゃうから」
「左人志も歩くの好きだから、エレベーターには乗らない」
「スポーツマンなの?」
「スポーツはそんなにしないけど、バイクで海とか山に行って、写真撮ったり釣りしながら歩き廻るみたい」
「アウトドアが好きなのか」
「うん。紘君は見るからにインドア派だよね」
「まあ、そうだね。学生時代は運動系の部活をやってたけど」
「へえ、意外。読書クラブとかに入ってそうなのに」
「運動は得意だったよ。特に球技が好きだったな」
「おれ、駄目。キャッチボールもまともに出来ない」
「……見た目を裏切らないね」
「悪かったね。魚焼こうか。お酒はなんにする?」
「ビールでいいんじゃないかな」
「冷えてるよ。じゃあ、魚焼いてる間、漬けものでも齧ってて。薩摩揚げはトースターで焼けばいいかな」
「ちょっと座って、ビールでも飲んだら」
「日本酒がいい」
「一杯だけだよ」
「はいはい」
「茄子、美味しい。ぴりっとしてるけど、唐辛子の辛さとは違うね」
「ガツンとくる辛さじゃなくて、鼻に抜ける感じ。山葵もそうだけど」
「和芥子はそうだよね。何でこんなにとろとろにしてあるんだろ」
「なんだろ、茄子の水分じゃないかな。あ、薩摩揚げが焼けた。生姜醤油でいいよね」
「うん。……結構油が使ってあるんだ」
「練りものを揚げてあるから。熱でぴちぴちはじけてる」
「ビールに合う。枝豆って、如何にも夏のものだよね」
「外国では早生の大豆を食べる習慣がないから、日本に来たひとは珍しがって食べるんだって。居酒屋とかお通しで出すじゃない、あれで好きになるらしい」
「大豆より食べ易いからね。塩水で茹でるだけなんでしょ」
「そう、紘君だって出来るよ」
「冷凍のを買ってくるくらいだなあ」
「生の方が美味しいよ。庭で作ったこともあるけど、割と簡単だった。山ほど生るからやめたけど。魚、もうそろそろひっくり返さないと」
「いい匂いがする。どっち焼いたの?」
「メルルーサの方。さっぱりしてるんじゃないかな」
「深海魚なんて食べたことないなあ」
「鮟鱇は?」
「それなら食べたことがある、魚すきで」
「鮟鱇も深海魚だよ。デメギニスなんか凄い姿してる。頭が透明で、目が脳味噌にめり込んでるんだよ」
「気持ち悪いなあ。食べられるの?」
「海の生物はだいたい食べられるよ。川魚ほど生臭くないから」
「岩魚のひれ酒は美味しかったけど」
「いちいちおっさん臭いなあ」
「悪いかったね」

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