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モデルガンを握りしめて

 指で拳銃の形を作る。ひと差し指と中指を合わせてまっすぐ伸ばし、親指を立てて残りの指を折り曲げる。そして、銃口を顳顬に当てる。
 ——ばん。
 巫山戯てそういうことをたまにする。自殺願望がある訳ではない。子供の頃からの癖である。本物の拳銃には興味がない。寧ろ嫌いだった。
 あれは猟銃と違ってひとを殺す為だけに作られた武器だ。そんな物を考え出す人間の神経が判らない。離れてひとの命を奪うなんて卑怯な行為だと思う。ぼくが特別人道的な人間という訳ではなく、そうした行為に嫌悪感を覚えるだけである。
 ひとを殺すなら、その人間の呼吸が感じられるようなやり方をしなければフェアじゃないだろう。相手がどんな表情をするか、冷や汗をかいているのか、平然としているのか、こと切れる時に躰がどんな動きをするかを、確乎り見届けなければいけない。

      +

 東三区のアパートは、安いだけに襤褸だった。六階建てなのにエレベーターがない。ぼくはそこの505号室に住んでいる。階段を下りた処に駐輪場があり、そこにいつも野良猫が二、三匹居た。日陰で環境がいい訳でもないのに、何故こんな処に集まってくるのだろうと、いつも不思議に思う。時々、近くのスーパーマーケットで猫缶を買ってきて与えるが、ぼくが立ち去るまで警戒して食べに来ない。
 自分が拒絶されたような感じがして、その反応に気持ちが削がれた。しかしそれは、勝手に己れが与えたものに対する反応が思い通りでなかっただけのことで、通常の社会では当たり前のことなのだ。
 期待してはいけない。
 すべてのことに、期待してはいけないのだ。己れの行動に何かの反応を期待するのは、傲慢極まりない。傲慢とは即ち、貪慾である。貪慾は罪なのだ。宗教とは関係ない。ぼく自身の考えだ。
 ぼくは何もしていなかった。高校へは実家から通っていたが、大学には進学せず、働いてもいない。それなのに何故ひとりで呑気に暮らしていられるかというと、親が気前よく金を寄越すからだ。家に居られるより、金をやってでも出ていって慾しいようであった。別に悪さをした訳でもないし、傍目を憚るような病気や障碍がある訳でもない。
 物心ついた頃から親の愛情は弟だけに注がれており、ぼくの存在はまったく無視されていた。しかしその弟だけは、ぼくに懐いてきた。家を出る時は泣いて引き止めたし、このアパートにもよくやって来る。
 だから、ぼくの話し相手といえば弟だけである。名前は英という。エイではなくスグルと読む。これでぼくの名が劣とかつけられていたら、望まれない子供だったのだとはっきり判るが、研一という普通の名前だったので、両親が嫌っている理由が図れない。片親が違うとか、貰われ子という可能性も低かった。何故ならば、ぼくと弟は実によく似た顔立ちをしているからだ。
 六階にケンジという名の男が住んでいたが、大学を卒業するのを待たずに死んでしまったらしい。不健康そうには見えたが、あっさりとしか云いようがないくらい、ぽっくり死んでしまった。それがぼくには少し羨ましかった。
 ひと死にが出た後にはなかなか部屋の借り手が現れないだろうと思っていたら、三ヶ月ほどで貧乏そうな若い男が越して来た。六階には変人しか住んでいないと云われているが、やはりこの男も変わっていた。何が変わっていると云えば、引っ越し荷物がまったくなかったことである。手ぶらでやって来て、そのまま住みついた、という感じだった。
 そして、ぼくの部屋に響くほどの音量で音楽を聴いている。取り敢えず音を鳴らす機械だけは持ち込んでいることが判った。ただ、かけているのが同じバンドの音楽なのが迷惑極まりない。
 最初はかっこいい曲だな、とは思ったが、それを延々と聴かされたらいい加減厭になってくる。だが、 変人ばかりというだけあって、同じ階の住人は文句を云ったりしないようだ。
 ロックの類いの音楽で、一番響いてくるのがリズム音だった。普通に聴いていたら気にもしないベースの音がぶんぶん響いてくる。遊びに来た英が、「なにこれ」と驚いたほどだ。
 彼は音楽が好きなのだけれども、さすがに天井越しの騒音に我慢出来なくなったらしく、「なんで誰も文句云わないの」と苛々した口調で云う。得体が知れなくて怖いからだろ、とぼくが答えると、黙って部屋を出て行った。
 暫くして弟が戻って来たのはいいが、陰でぽっくり号室と呼ばれている部屋の住人、騒音の主に銃をつきつられている。
「コルト・ガバメントMK-IV」
 その男は呪文のような言葉を呟いてにたりと笑い、銃をぼくに放って寄越し去っていった。
 なんだあれ、と英に訊ねたら、「巫山戯てたんだよ」と答えた。「悪いひとじゃないよ。音が煩瑣いんですけど、って云ったら『今度ヘッドホン買ってくるよ』って普通に答えた」と笑う。実際その後、部屋は静かになった。
 放って寄越された黒い銃は精巧に出来ていたが、当然、偽物である。彼が呟いたのはその銃の名前だった。アメリカのコルト社が作った民間用の銃である。精巧に出来ているだけあってずっしりと重く、いかにも凶器という感じを与える。こんなものを民間に販売するなんて、アメリカという国は狂っているのだろう。
 最初は目にするのも厭で、足でベッドの下に蹴り込んだが、銃の上に寝ていると思うと落ち着かず、或る晩それを取り出した。冷たくて鈍く光る単純な殺人機械を。
 窓から放り棄ててやろうと思ったのに、何を思ったのか夜の闇に沈んで鏡のようになった窓に映る自分へ、その銃口を向けていた。
 ばん。
 一瞬、窓ガラスが割れたような錯覚がした。
 ——ぼくはとうとう、銃を手に入れてしまったのだ。
 コルト・ガバメントMK-IV、マーク4シリーズ70型。現在では手に入れるのが困難な銃だそうだ。勿論、本物の話である。ぼくの手にあるのは偽物だ。
 別の日にまた弟がやって来て、あのひとが聴いていた音楽が判ったよ、と云った。どうやって調べたのか訊ねたら、笑って先刻駅前で本人聞いたのだという。一曲だけ歌詞のデータを転送してくれた、とぼくに携帯電話を渡した。題名は記されていなかったが、小さな液晶画面に表示された文字にぞっとした。

 モデルガンを握り締めて ぼくは自分の頭を撃った

 そう書かれていた。
 ぼくは必要がないので、携帯電話もコンピューターも持っていない。だからその歌詞を書いたのが誰なのか、なんというバンドなのか、どんな曲なのか調べられなかった。調べようとも思わなかった。

 モデルガンを握り締め ぼくは自分の頭を撃った
 そのままベッドに倒れ込み 死んだふりをして遊んだ

 空で覚えてしまった。自分と同じことをしていた、あるいは想像していた奴が存在した。それだけで充分だったのだ。
 銃を放って寄越した男はいつの間にか越してしまった。ぼくの手には黒い精巧な偽物の銃が残された。
 顳顬に銃口を当て、引き金を引いてみる。当然、何も起こらない。かちっという幽かな音がするだけである。そして、あの歌詞と同じようにベッドに仆れ込み、ひとりでくすくす笑った。
 拳銃を売る時は買い手に一筆書かせればいいのだ。この銃は自分以外には向けません、と。弾もひとつしか売らなければいい。死に損なったって、自分でやったことなのだから文句は云えないだろう。
 拳銃は自殺専用にすればいいのだ。
 夜の闇に写った自分の姿は、既に死んでいる人間のように見えた。顳顬に銃口を当て、引き金を引く。
 ばん。
 ベッドに仆れ込み、死んでいないことを不思議に思う。

      +

 ぼくは帰る場所がないので、そのアパートにいつまでも住んでいた。六階の住人は601号室を除いて皆、入れ替わった。そして或る年の春、605号室にひとりの青年が越して来た。無造作に伸ばした長い髪の、背の高い痩せた若者である。時々ギターケースを持って出掛けるので、音楽をやっているのだろう。
 或る日、彼と階段ですれ違った時、小さな声であの歌詞を口ずさんでいた。ぼくは思わず、彼の腕を摑んだ。青年は吃驚した顔で振り返った。暑くなってきたからなのか、髪を結わえている。
 今の歌、誰のですか——と訊いてみた。冷たそうな外見とは似合わない気さくな感じで、「え、口に出して唄ってたのか。恥ずらかしい。……あー、今のはですね、ブランキー・ジェット・シティの『冬のセーター』ですけど」あれ、違ったかな、と呟くように答えた。
 あの歌詞からは想像もつかない題名である。曲のデータを持っているかと重ねて訊ねたら、「勤め先にならありますけど……。インターネットでも配信されてるんじゃないかなあ」と、青年は小さい声で云った。パソコンを持っていないと云うと、少し考えて、
「わたくしでよければ唄いますが、こんな階段の途中では、いくらなんでも羞恥のあまり悶絶死してしまいます」
 と、青年はくすくす笑って云った。
 彼の部屋で、若干掠れた歌声の『冬のセーター』という曲を聴かせてもらった。
「聴くに耐えないと思ったら、遠慮なく止めて下さい」と前置きをし、アパートの部屋なので声を抑えて唄い出した。

 モデルガンを握り締めて テレビに向かって引き金を引く
 それにもかかわらずニュースキャスターは 全国に向かって喋り続けた
 核爆弾を搭載した B-52爆撃機が 北極近くで行方不明になったって
 モデルガンを握りしめ ぼくは自分の頭を打ち抜こうと思って引き金を引いたのさ
 モデルガンを握り締めて 窓から外を見下ろせば
 冬の香りが僕のほっぺたを 冷たく染めたよ
 今年の冬はとても寒くて長いから
 おばあさんが編んでくれた セーターを着なくちゃ
 今年の冬はとても寒くて長いから
 おばあさんが編んでくれた セーターを着なくちゃ

 そこで彼はギターをかき鳴らし、「なんでいきなりこんなビンボ臭くなるのー、森進一みたい~」と、明らかに違うことを唄いだした。
 笑いながらぼくの方を見て、「どうしてこんな暗い曲が好きなんですか」と青年は訊ねてきた。曲は知らなかったのだと答えたら、「暗い。暗すぎる」 と大笑いした。「でもおれも暗いから、この手の曲が好きなんだよなあ」と云う彼は、どう考えても暗い人間には思えなかった。
 ぼくは誰が歌詞を書いたのか訊ねた。
「ベンジー。浅井……、ケンイチ」
 その言葉を聞いて不気味なつながりを感じ、悪寒がした。ぼくも研一という名だと伝えたら、「まあ、ありふれた名前ですからねえ、一緒でも驚きはしませんが」因縁があんのかな……、と青年は呟いた。唄ってる時は抑えていたのだろうが、彼は喋る時も声が小さい。
 煙草に火を点け、「何処で知ったんですか」と彼はぼくに訊ねてきた。随分前にこの階に住んでいた男が聴いていたのだと説明すると、ふーんと顎に手を当て何か考えている。モデルガンを置いていったことを話したら、興味深そうに「どんなのですか?」と訊いてきた。
 久し振りに他人と話したからか、彼が外見とは違ってひと懐っこい人物だったからか、自分でも思いがけなかったが、その銃を見たいかと聞き返していた。青年は屈託のない笑顔で「見てみたいですねえ、そういうのと縁がないから」と云う。
 銃を部屋から持ってくると、彼は別の歌を唄っていた。

 ガードレールに座りながら
 コカコーラ飲み干して
 君に打ち明けたのさ
 おれの夢

 彼の唄い方は怠く緩い調子だったが、同じ人物が作ったものだという気がした。銃を渡しながら、同じバンドの曲なのかと彼に訊ねた。
「あ、やっぱり判りましたか」作った奴が悪いのか、おれも悪い~、と先刻のメロディーで唄った。どうもこの青年は替え歌をする癖があるようだ。銃を眺め廻し、これは素人目にも高そうなしろもんだなあ、と呟きながら顳顬に銃口を当て、「ばーん」と云った。同じ仕草でも彼がやると巫山戯ているようにしか感じられない。
 そして本物のように思えていた黒い銃も、ただの玩具にしか見えなくなった。
「たぶんこれ、売ったら結構な金になると思いますよ」ぼくにモデルガンを返して彼は云った。

 モデルガンを握り締めて ぼくは自分の頭を撃った
 そのままベッドに倒れ込み 死んだ振りして遊んだ
 今年の冬はとても寒くて長いから
 炬燵から出ないでリビエラでバカンス
 今年の冬はとても寒くて長いから
 パチンコする振りして温まるんだ
 パチンコ屋なんて行ったことないけどねー

 やはり歌詞を変えてギターを弾きながら彼は唄っていた。
 なんだか憑き物が落ちたように、銃へのこだわりも歌詞への思い入れも消えてしまった。この銃、あげましょうか、と云ってみたら、「丁重にお断り申し上げます」物騒だもーん、青年はそう云って笑った。彼は歌を唄っている時は見た目通りなのに、喋ると別人のように呑気で明るくなる。
「暗い気分になった時にはこの曲を思い出して下さい」と、再び彼はギターを弾き出した。

 ビデオ買ってよ OLなんでしょ
 お金あるんでしょ?
 お別れの記念に 買ってくれるでしょ
 それくらいかまわないでしょ?
 ぼくの部屋にない物
 それはかわいいビデオ
 ぼくのテレビが待ってる
 可愛いビデオ! ビデオ!
 ららららららら
 ビデオ買ってビデオ買って
 ららららららら
 ビデオ買ってビデオ買って
 ビデオ買ってビデオ買って
 今時ビデオないよねー

 それは今作ったのかと訊ねたら、「いくらぼくがあほうでも、こんな歌詞は考えつきません。最後だけ変えたけど……。これ、先刻のバンドとおんなじ時代の歌なんですよ」馬鹿でしょー、と彼はげらげら笑った。
「先刻の言葉、取り消します。やっぱり銃、譲って下さい。好きそうな奴に売りつけることにします」悪戯っ児のような顔をして、彼は手を差し出した。ぼくは笑いながら、悪用しないで下さいよ、と銃を渡した。彼は銃を受け取ると器用にくるくると廻し、
「一回くらい銀行強盗でもしてから売ろうかな、『レザボア・ドッグス』観たばっかだし……。あ、あれ、最悪の結末だった」
 小声でそう云いながら銃口で頭を掻いていたが、ふとその手を止めた。そして古ぼけた座卓の上にモデルガンを置き、「こういうの知ってますか」と細い指でくるっと廻した。
「銃口が指した奴が指定されたことをやらなきゃならない。この場合はカーテンが何かをしなきゃなんない」無理ですね、それは、と彼は笑った。

 ——よかったら来て下さい。
 帰り際、何かのチケットを渡して彼は云った。そこには『ナナシ 就職万歳LIVE(ひとりフリーター)』と印刷されている。知り合いなど居ないので、弟と一緒に「小坊主」という小さなライブハウスへ出掛けた。
 店内はほぼ黒一色である。ぼくらのような年代の者など居ないのではないかと思っていたが、客の年齢層は意外に幅広い。無論、若者の方が多いのだが、中年の客もちらほら目につく。
 客席の電気が暗くなり、舞台に出てきたのはあの青年である。青いライトに照らされた彼は、胡座をかきギターで弾き語っていた姿が想像出来ないほど近寄り難いオーラを放っている。
 死ぬほど暗くて怠い曲ばかりなのに、鼓膜をつんざくような爆音がライブハウスを揺るがすようだ。青年はギターを弾きながら唄い、時々どうでもいいようなことを呟いていた。
 観客は踊り狂ったりせず(そもそも、踊れるような曲調ではない)、ただ突っ立って体を揺らしている。こうした処に来るのははじめてだが、音楽を演奏する場所にしては狭く思える中に熱気が充満し、噎せ返るようだった。

 その後、特に理由もなく長年住んだアパートを引き払い、別の場所へ引っ越すことにした。何かが自分の裡で微妙に変化したようである。そして、ぼくを呪縛から解き放った能天気な青年と会うことは二度となかった。

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