猫日誌、其の伍。
クツシタがわたしの許へ来て、或ることで抗議を申し立てた。
或ることとは、先だって仲間に加わったコメのことである。彼はまだ子供で、人間だと小学校の低学年ほどの年齢である。雄なので元気もいい。はち切れんばかりの溌剌さで、走り廻り暴れ廻る。
先住猫は、それぞれゴンタはおっさん、クツシタは人間年齢で申せば二十代の娘さん、タンゲはまだ青年である。ゴンタは中年ではあるが、人間にすれば働き盛りだ。タンゲはまだ若いが、もともとそう元気な方ではない。そしてクツシタは、結婚適齢期とも謂える妙齢のお嬢さんである。白猫だからなのか、気位が高い。なかなか他人と馴染まぬ、孤高の猫なのだ。
「あのコメとかいう子、ちょっと鬱陶しいんだけど」
「いやね、それは我々もそう思ってるよ。しかし彼はまだ子供だ。大目に見てやってはくれまいか」
「冗談じゃないわよ、あたしが何されてるか知ってるでしょ」
そう、コメは親愛の情なのか、相手を捉まえ後足で蹴りつける癖がある。悪意があってやる訳ではなく、本人としては遊んでいるつもりなのだ。しかし、やられた方は堪ったものではない。腰の辺りを抱えられ、足で顔面を蹴られることを考えてみるがいい。
痛いしムカつく。
クツシタの憤りは当然のことと云えよう。仕方がないので、わたしがコメと話し合うことにした。
「コメ、君はナニ故にひとの顔や腹を蹴るのかね」
「だって愉しいじゃん」
「蹴られた方は愉しくなかろう」
「えー、そうかなあ」
この性格、誰かに似ている。
つらつら考えて思い当たった。社長の息子である。本能と脊髄反射で生きているような子供で、現在高校生だが、幼い頃と殆ど変わっていない。彼が跡を継いだならば、さすがの上条グループも傾くであろう。まあ、そんなことはしないだろうが。
「ゴンタとタンゲは兎も角、クツシタは若い娘さんだ。やめなはれ」
「タンゲさんにはもうしないよ、相手にしてくんないから。クツシタさんはキーってなるから面白いんだよね」
「取っ組み合いはゴンタとやれよ、男だから相手してくれるだろ」
「ゴンタさんはおとなしいけど、いざとなると恐いんだよねー」
「恐いものに立ち向かってゆくのが男だ。兎に角、女性に乱暴なことをしてはならぬ」
判ったのか判っておらぬのか、コメは無言で立ち去った。
これで事態が改善されたかと謂うと、何も変わらなかった。コメは相変わらずクツシタをつけ廻し、タックルをかまして腹や顔をげしげしと蹴る。クツシタは怒り狂い、びんたを喰らわす。それを遊んでくれていると思ったコメは、更に蹴る。ケルナグール。
髪を振り乱し吊り上がった目をしたクツシタが、憤懣やるかたない、と謂った様子でわたしの許へやって来た。
「ちょっと、あいつに注意したの? なんにも変わってないじゃない。ってゆーか、前より酷くなったんだけど。もう、あたし我慢出来ない。出て行きます」
「そんなに腹を立てないでおくんなまし。ちゃんと云ったんだがね、どうもまだ子供だから理解が足りないようだ」
「判るまで説得すればいいじゃない。あんたそれでも人間? 脳味噌あるの? すかぽんたん」
猫に罵倒されて黙っている訳にはいかない。再びコメとの対話を試みた。
「おまえなあ、いい加減にしろよ。おれが代わりに叱られたじゃねえか。蹴るなっつっただろ」
「興奮するとついやっちゃうんだよねー」
「これ以上クツシタに乱暴を働いたら他所にやるぞ」
「あ、おとーさん。子供を棄てるつもりなの? それはないんじゃなーい」
「誰がてめえの親父だ」
すべてを傍観する立場の同居人は呑気に構えている。喧嘩をやめてー、くらい云えんのか。
「清世、コメのことをどう思う」
「元気ですね」
「元気が良すぎると思わんか」
「過ぎることはないんじゃないですか。男の子ですし」
「クツシタが参ってるんだよ」
「そうですねえ。敏感に反応するので面白いんじゃないでしょうか」
「クツシタは面白がってねえよ」
「じゃれているんですよ。怪我をさせる訳ではないんですから、大丈夫です」
そりゃそうだけどさ、あなたがわたしに抱きかかえられて顔を蹴られたら何う思いますか。不愉快だと思いますよ。
仔猫の行動として、じゃれ合いながら喧嘩の作法を学び、していいことの限度を知る、と謂うのがある。コメはまだその段階なのだろう。度が過ぎている嫌いはあるし、学んでもいないようではあるが。一応弁えて、片目のタンゲには手を出さない。
大人になるのを待つしかないのかも知れない。猫は一才半で人間の成人に達する。光陰矢の如し。人間が二十年掛かるところを、たった一年半で到達してしまうのだ。五年で現在のわたしと同じ年齢になる。彼らは駆け足で生きているのだ。それを此方の勝手な都合で抑制を掛けてはならぬであろう。
猫は猫同士の道理と理屈でやってもらうしかない。所詮、猫は人間とは別の生きもの、判り合える筈がないのだ。
と、達観していたら、またクツシタがやって来た。
「もう、あたし堪えられない。今度こそ出て行きます」
「ちょっとお持ちなされ。そもそも出てくったって、どうやって出てゆくつもりですか」
「どうやってでも出てくわよ」
「まあまあ、落ち着いておくんなまし。コメもじきに大人になる。さすれば今のような体力もなくなる。やんちゃな盛りなのですよ」
「同じ男だからコメに甘いの?」
「そんな性差別は致しません」
「どうだかね。一週間猶予をあげるわ。それで改善されなかったらあたしにも考えがあります」
恐い。どんな考えがあるのだろうか。まさか殺すつもり?
白猫の呪い。飼い主の怠慢に腹を据えかね、先祖の悪霊を呼び出した美貌の白い猫。北陸の岸壁で謎を解く女探偵、その謎の人生。
火曜サスペンスですか。タイトル長えよ。
「おい、おれの云ったこと判ってねえな。なんで態度を改めんのだ」
「だってえ、遊ぶものとかないしー、退屈だしー」
「遊ぶもんがありゃいいんだな」
「まあね」
そこでわたしは考えた。猫の玩具を購ったことは殆どない。無駄な気がするし、高価だからである。すぐに襤褸襤褸になる消耗品に五百円も六百円も、ましてや千円も二千円も払えんわい。
ケチなのではない、合理的なのだ。コロもゴンタもクツシタもタンゲも、そこら辺にあるものかわたしで遊んでいた。一度買ってみた市販の玩具には、誰も興味を示さなかったのだ。
能く考えてみたら、コメはあまり人間にじゃれつかない。猫まっしぐらである。つまり、猫っぽい動きをするものが好きなのであろう。
そこでわたしは、古タオルを引き摺ってみることにした。これの示唆を得たのは、友人が娘の相手をする時に、ぬいぐるみに紐をつけて引き廻していたことに依る。その娘はそれを追いかけて歩くようになったという。そこまでの教育効果があるならば、やってみるに如くはない。
で、やってみた。
神よ、感謝致します。アホーのコメは、まんまと古タオルに喰いついた。ついて歩くついて歩く。何処までもついて来る。振ればじゃれつき、抱え込んでげしげし蹴っている。蹴るがいい、殴るがいい。タオルは文句を云わぬ。
猫との生活は試行錯誤である。
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