アパレル業界・繊維産業の未来
「星の商人」が1年に何度かオフィスに来る。
といってもそれは特別なあだ名を持ったビジネスマンが来るということではない。
私は伊藤忠商事株式会社の広報誌「星の商人」を見るのが好きだ。特に繊維カンパニーに関わるコラムと掲載の部分。この広報誌おそらく相当なお金がかかっている。写真も綺麗だし、ゲストも毎回豪華だし。過去にはスーパーモデルの冨永愛さんも出演していたりする。
写真にも載っているが、繊維産業に少しでも関わる方なら誰でもこの2つのビッグフェイスを知っているだろう(ビッグフェイスとか言って失礼でしたら申し訳ありません!)。柳井正と岡藤正広という2つのビッグネーム(多分この使い方が正しい)は言わずと知れた日本繊維産業のドンたちだろう。
前者は2022年現在、世界のアパレル市場でZARAなどのブランドを保有するインディテックスに次いで2位の売上規模を誇り、ユニクロなどのブランドを傘下にもつファーストリテイリング株式会社の会長兼CEOであり、後者は大企業の中でも優秀な人材が集まる総合商社業界で三井、三菱に並び存在感を出している伊藤忠商事株式会社の会長兼CEOである。
最初この表紙を見たとき、2人が笑顔で並んで写真に写っているのを見て少しだけ驚いた。というのも、山口県の零細企業をグローバル企業にまで育て上げた男と総合商社一筋叩き上げで商売をしてきた男というイケイケドンドンな2人がこんなに笑顔で1つのカメラの前に立っているなんて、と思ったからである。同時に毎日超多忙そうな2人の貴重な時間を割いて、対談が実現しているのが貴重だなぁと感じた。というわけで、こんな貴重な対談に見合わせる機会もそうそうないと思ったので、彼らの言葉を自分なりに整理して、思考のかけらでもちょこっともらおうというのが今回の趣旨である。個人的に繊維業界にも興味があるので。
余談なのでこの段落は読まなくてもいいですが、そもそも僕の新卒の第一志望が伊藤忠商事の繊維カンパニーだった。というのもファッションとかブランドとかに興味があって、その上でバリバリビジネスもしたいし、海外(できればヨーロッパ)にも行きたいし、、、と思っていたので。総合商社の中でも伊藤忠は非資源部門(繊維、食料、IT、物流 etc.)に強みがあって、中でも繊維部門は伊藤忠のDNAともなっている部門。だけど蓋を開けてみると、新卒採用は年間110~130人くらいで繊維カンパニーに配属されるのはほんの2~3人ほどと言われた。その狭き門をくぐろうと思ったが選考の途中で落とされてしまった。新卒の就活では本当にここ以外に行きたいと思った会社や部門がなかったなぁと今しみじみと感じている。今は今で楽しいんだけれども。
そんな余談はさておき、この繊維産業のドンたちが何を話すのかとても気になっていたので読み進めることにする。
繊維産業はこの先どこへ向かっていくのだろう?
前がき
先に自分の思考の整理と備忘録を兼ねて個人的な見解を書く。地球温暖化に最も影響を与えている産業第2位が繊維産業と言われている。ファストファッションはファストフードを買うような感覚での消費を拡大させ、世界中のバカ娘たちがーセクシストと言われたら嫌なのでバカ息子と言ってもいいがー1度着たら2度と着ないような服を大量に買い、消費している。またラグジュアリーブランドなどはブランド価値を保つために売れ残ったものはセールなどせず、そのまま捨ててしまったりしている現状がある(アウトレットとして売っているブランドもあるが)。何年か前にそれでバーバリーが炎上していたのも記憶に新しい(違うところ炎上してるし)。また2013年に起きたバングラディシュの「ラナ・プラザ」での事故は繊維産業の暗い部分ー発展途上国での劣悪な労働問題ーも露呈することとなった。この事故では縫製工場が入った商業ビルが崩落し1,000人以上が死亡した。昨今では、良い傾向としては大手のラグジュアリーブランドが新規に生産する服には動物の毛皮や皮革を使わないことを約束するブランドも出てきている。ヴィーガンレザーといったものまで流行り始めていたりもする。さらには裕福な人は1人だけで服を何百着も所有する人がいる一方で貧しい国では服を買うお金がなく、不衛生な服を切るのを余儀なくされ病気にかかる人もいる。このように繊維産業については、このような環境問題・倫理的問題・社会問題に関わることを挙げれば枚挙にいとまがない。
上記のような多くの問題を繊維産業が内包しているのは明らかであるが、衣服とは、人々が生きている限り必ず需要されるものであり、繊維産業がなくなることは考えにくい。衣服は衛生を保つものとしての機能的な側面を持っていたり、自分の個性を表現するものとしての文化的な側面を持っていたり、自分の階級を示すものとしての政治的な側面も持っている。このように重層的な側面をもつ商品を扱う産業も珍しいであろう。それゆえ僕はある種の深さをこの産業に感じ、そこに引き込まれそうになり、この業界に惹かれ続けているのである。
2人の理念
さて、前置きが少し長くなってしまったが、2人の対談を見ていくことにする。まずは一般論的な話をされていたので、そこについても触れようと思う。まずは2人の仕事観について。そもそも2人は普段どんな思いを持って仕事に情熱を注いでいるのか?なぜこんなにも圧倒的な結果を出せているのか?1人の人間として学べる側面、真似できる側面、吸収できるエキスのようなものがあるのではないかと思う。何か皆様にも参考になるようなことがあれば、それはここで僕がお伝えする意味があるのではないかと、少し傲慢なことを考えている。何よりもまず真似できることがあれば、まず先に僕自身が実践者となるべきである。
商人としての心構えと極意
国や業界が違っても組織を率いることや商売の原理原則は変わらないと言うのは柳井さん。シンプルに生きていく上で正しいことをする、と言う倫理観や心情が大切であると。これに続いて岡藤さんはビジネスで最も大切なことは信頼であるとおっしゃる。一緒に歩み、お互いに利益をあげる精神を基本的な心構えにしているとのこと。
しかしながら、そんなことを言ってもうまくいかない時もあるのでそういう時は失敗から学んでいくことが大切だと。柳井さんは自身の経験をこう語る。小郡商事(ファーストリテイリングの前身)は山口県出身の企業で東京進出までに30年かかり、銀行に融資していチェーン展開も行っていたため資金繰りも大変だった。ところが東京に進出してからビジネスを軌道に乗せ、世界に出るまでには3年しかかからなかった。30年間苦労を経験した分、今の方が楽に思えて海外進出も力を抜いてやれているのかもしれない、と。岡藤さんは横から、それは逆境を逆境とも思わない強さを身につけられたということではありませんか?と一言。
最後に柳井さんが語ったのは、生きていく上で失敗をすることは常である。そもそも変化の激しいファッション業界では、毎日新しいことをしていれば必ず失敗する、100の挑戦をして99の失敗をする覚悟を持っている。逆境を面白いじゃないかを考えないと到底やり切れないですね、と答えた。
これまでのファッション業界とこれから
さて、ここらへんが本題なのだが、まずは「昨今は繊維業界にとって逆風とも言われる時代ですが…」ということに対して岡藤さんが意見を述べている。彼曰く、繊維業界にはまだまだ伸び代がある、人間というものは必ず服を着るし、何かを切るにしてもどこかに自分らしさを出したいと思うはずだ、と。繊維関連業界では、資金が豊かでなくても知恵を絞り、完成やアイデア、行動力で伸ばしていける会社が現れ続けている、つまりイノベーションの余地がまだあるのだ、と。これに対して、柳井さんの言っていることも非常に興味深い。岡藤さんの言われたことを言い換えると、自分で考え、自分で創意工夫しなさい、ということなのだと。今の時代はビッグデータなどを企業が保有することができ、どんな企業でも流行や売れ筋の発見はできる。しかしながらデータが流行を示しているからと言って、全てのブランドがそこに寄っていってしまってはどのブランドも似たり寄ったりのものになっていってしまう。このような情報化社会こそ「ブランドらしさが求められる」のだ、と。
同感です。デジタルは答えではなくあくまで手段。人間の試行錯誤と想像力がますます必要になるでしょう。日頃から売り場や人の動向を見るなどして仮説を立て、情報はその検証のために使わないといけない、と答える岡藤さんでした。
ファッション産業を超えて日本の産業について
「日本の企業はコロナ禍を経て、どのような未来があると考えるか」という問いに対して、岡藤さんはこう答える。日本は法律の規制が強いのだ、と。若者が起業するにしろ、企業が海外で戦うにしろ、ただでさえ日本人はルールを守ろうとする気質があるのに規制があるとますます萎縮してしまう傾向がある、もっと自由に商売できるよう国も後押ししてくれたらいいな、と。柳井さんは、商売する人には挑戦の気持ちを持って欲しい、と。内に籠もらず世界を見れば、繊維に限らずあらゆる産業にチャンスがある、皆この世を去るのだからその前に一発勇気を出して動いてみて欲しいとおっしゃっていました。この辺は人生観にも通じるものがありそうです。
あとがき
人生一回、と晩酌をしながら考えていると、俺は人生でこういうことがしたいんだ、よし明日から行動を起こすのだ、と唐突に思う。そして次の日の朝を迎え、その日の時間がすーっと流れていく。こんなことを何度繰り返したことか。そんなことを何回も繰り返している内に人生など終わってしまう。柳井さんの言葉は多くの人がその言葉だけなら言えるかもしれないが、それを実践するのはかなりの精神力・行動力が必要になる。ありがちな言葉というのは、ある意味本質的であり、同時に偽善的でもあるのだなと。そんな言葉をほざいても実践が付随しないとただの言葉という音に過ぎない、意味を持つことはないのである。自らの経験に意味を肉付けされた言葉だからこそ、重く聞こえ、説得力がある。
自分がなりたい未来、創りたい世界を想像しながらそこに行くにはどのような道を通らなければいけないのか、それを30年後、10年後、5年後、3年後、1年後、半年後、1ヶ月後、1週間後、明日、今日何をしなければならないのかを逆算する。そういうことをする必要があるのであろう。
とはいっても、自分の人生の目標をあらかじめて決めて、日々鍛錬し、意識し努力するというのは息が詰まるだろう。また自分の人生の目標というのは多かれ少なかれ変わっていくものだと思う。
しかしながら、夢想をするよりも現時点で自分が目指すものを追いかけることが大事なのだろうと思う。一旦めざした山を登り切ってみることが大切だろう。今自分が目指している場所に至れば、またそこから新たな景色が見えてくるだろう。今この場に立って夢想するだけでは何も起こらない。
2人の対談を読みながら、背中を押されるような、そんなことを考えさせられた対談であった。今後も2人の経営する2社の動向に目が離せません。
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