鬼滅の刃から学ぶ!世界中を敵に回しても、たった一つの約束を守るために生きよう
「自分が生き残るために生きるものは『鬼』となり、惚れた人のために死のうと決めたものたちは『柱』となる」
大ヒットした『鬼滅の刃』の中心にあるエッセンスだ。
そしてこれは、日本に古くからある武士道精神の、現代アップデート版でもある。
「武士道とは、死ぬことと見つけたり」
新渡戸稲造が著書「武士道」の中に書いたこの言葉、昔はピンとこなかった。
「死んだら意味ないじゃん」
そう思っていた。
でも、違った。
人の命は、自分の命よりも大切だと想えるもの、美しいと感じるもの、守りたいものがないと、輝かないんだ。
そして、それが見つからないと、人はいつの間にか「鬼」になる。
「鬼は悲しい生き物だ」
炭治郎は、自ら切り落とした鬼の最期を看取りながらそうつぶやく。
昔を生きた武士たちも、人の心の弱いことを知っていたようだ。
「人は時に、悲しい生き物だ」
日本に古くから伝わる武士道とは、人が鬼にならずに人として生きていくための道を指し示していたのだった。
鬼滅の刃の「鬼」と「柱」の対比を、さらにワンフレーズで言い表すなら、「損得」か「約束」か。これだろう。
鬼は、「損得」のために生きている。
目の前の状況が、常に自分の「得」になるように動く。
だから「得」すれば上機嫌で、「損」すればイラつく。
それが鬼の行動原理だ。
一方、剣士である柱たちは、「約束」のために生きている。
「鬼殺隊」という名前の通り、柱は鬼を抹殺するために命をかけている。
その根っこには、鬼殺隊の「親方さま」への忠義がある。
彼ら彼女ら柱たちは、どんな身の危険に晒されても、親方さまへの「忠義」を果たすために戦う。
その時、柱たちの命は輝いている。
「武士道」なんてもう誰も知らない令和の時代でも、その美しさは少年少女たちのハートを鷲掴みにして離さない。
僕らの体は知っているんだ。
命が輝くときの美しさを。
本能として。忘れちゃいけないものとして。
柱たちの「忠義」は、親方さまとの「約束」であると同時に、自分自身との「約束」でもある。
そこに「損得」はない。
その態度を、鬼はせせら笑う。
「意味のないことだ、命の無駄使いだ」と。
しかし、柱は折れない。
「お前の方がバカだ」と。
「命の使い道を知らぬ愚か者だ」と。
命は、惚れた人のために使うんだ。
その人との約束のために使うんだ。
だから、鬼よ。お前は馬鹿野郎だ。命の使い道を知らない大バカ者だ。
使い道のない命になど、なんの意味があるというのか?
命の使い道を教えてくれた人。
その人への約束を「忠義」という。
そうして見つけた己の命の使い道。
その約束のことを「使命」という。
そうして人は、「損得」を超えて「約束」のために生きる『柱』となる。
僕らの暮らしは「選択」の連続だ。
人は1日の中で、なんと35000回もの選択をしているらしい。
食べ物に関する選択だけで、226回しているという研究結果すらある。(3食しか食えないのに…)
そのほとんどが脳で行われる。僕ら現代人はこの脳による絶え間ない選択の連続に疲弊しているのだろう。
こうした僕らの「選択肢の奴隷状態」はまさに『鬼』だ。
「これを選ぶことは自分にとって損か?得か?」
そんな脳内の振り子に、人生の手綱を握られてしまっている。
でも、映画館で煉獄さんの「俺は俺の責務を全うする!」姿に涙した時、そこには「損得」なんてなかったはずだ!
ただただ、自分よりも美しい人の姿がそこにはあった。
そして、その姿に共感した少年少女たちの胸の中にも、煉獄さんはいたのである。
いたから響いた。だから涙があふれるのである。
彼ら彼女らには、剣士としての素質がある。
でも、それあくまで可能性にすぎない。
映画館を出れば、その少年少女たちも、また脳内の「鬼」につかまってしまう。
「損得」を気にする大人に囲まれ、「損得」を正義とする街を歩き、「損得」を刺激する広告にさらされてしまう。
だから、「約束」することが必要なんだ。
「損得」を超えるために。「鬼」にならないために。
僕らの人生は「約束」でできている。
「損得」なんてただ言葉だし、見方や時代が変わればひっくり返るくらい、もろいもんだ。
絶対性も普遍性もありゃしない。
僕らの人生をドライブさせるのは、むしろ「約束」の方だ。
「約束すること」は、一見不自由に見えるかもしれないけど、そうじゃない。
約束し、縛られることこそが、自由への入り口なんだ。
それは「縁を結ぶ」という日本語としても残っている。
「約束」することで、他者との「ご縁」が結ばれる。
「縁(えにし)」って響きの方が、僕はなんだかカッコよくて好きだな。
僕らは、約束によってあらゆる人・モノ・場所との縁(えにし)が結ばれて、自由を獲得するんだ。
そして、君の住む近代国家とは、この「約束」を「自由に結んでいいよ!」ということが認められている空間なんだ。
つまり、「自分で自分を縛る相手を選んでいいよ!」
そう言われている。
一番気持ちいいSMを推奨してくれている。
大いに楽しめ。
自分なりの自由への道が保証されている。命の使い道を誰もが見つめることができる。
しかし、さっきも言ったように、僕らの暮らす空間は「鬼」だらけでもある。
その中で、僕らは鬼のせせら笑いをガン無視して、本当に尊いと想える「約束」を結びに行かないといけない。
自分と呼ばれるこの体と、どんな約束をするか?
目の前の人と、どんな約束をするか?
この学校やチームや会社と、どんな約束をするか?
この街や地域や国と、どんな約束をするか?
この星と、どんな約束をするか?
それが今、この瞬間も君は問いかけられているんだ。
この問いかけに応える権利のことを、僕は「自由」と呼ぶ。
「自(みずか)らに由(よ)らしむ」
「自(おの)ずからの由縁(ゆえん)」
君自身につながる、遥かなる時間を超えた約束の糸を、君がその大切な体で、意識で、頭脳で、胸の感情でもう一度どたくり寄せた時に、その糸がつながる先にいる「誰か」も見えてくるのかもしれない。
たるんだ糸に、人は気づかない。
ピン!と張った時に初めて、人はそこに糸があったことに気づくんだ。
だから、手繰り寄せるんだ。君自身の糸を。
今、なにが知りたい?
なにを学んでみたい?
どんなことが気になる?
いったん、鬼の損得なんて無視しよう。
かまうもんか。鬼は鬼だ。
世界中を敵に回したって、君には守るべき約束があるかもしれない。
だから自分に問いかけるんだ。
緊急事態宣言なんて関係ないよ。
君の大切な約束を忘れて鬼になる方が、よっぽど人生の緊急事態だ。
君の大切なものは、君が守れ。
君のねずこは、君が背負え。
生殺与奪の権を、他人に握らせるな。
大丈夫。君とっての富岡さんも、鱗滝さんも、善逸も、伊之助も、その約束の先に必ずいるから。
助けてくれる人は必ずいるから、大丈夫だ。
応援してるよ。
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