誉められること。
先日、祖母の訃報を書いたが、昨日が四十九日だった。ふと夜に思い出して、母にメールしたら返信がきた。
暖かい日で、雨雪もなく晴れ間をぬって納骨出来ました。ラッキーでした。よく覚えていましたね。ありがとう😊-------------
母は、ここ数年歳をとってからか、よく誉める、ありがとうと言う。もしかしたら以前からそうだったのかもしれないが、気づいたのはこの数年である。
子供の頃に、こうあって欲しかったのに。と思うが、当時の母の忙しさ等を鑑みたら難しかったのだろうなと、自分が仕事をしてから思う。同時に、その頃の自分といえば、30歳を過ぎたら専門的な仕事をして役職もついて、いっぱしの部下もあるだなんて思い描いていた。そんな風になれるように頑張っているから、誉めて励まして欲しいと母に願っていた。
いま、その夢とはかけ離れた現実を生きていて、当時の自分からしたら、ふがいないばかりだ。しかしいま、それとは全く別の場面で母に誉められている。そしていままでも、つまづいてきた時は彼女なりのやり方で助けてくれてきた場面を思い出す。望んでいた事は、彼女は理解はしてくれていたのではないか、そう思うと、ふっと嬉しさが湧いてくる。
立派じゃなくても、誉めてくれることは嬉しいが、立派になる事でほんとは誉めて欲しいとずっと思ってきた。いまもその気持ちは変わらない。立派になりたかった。立派になりたいのだ。