The Beginning Place ここから / 青森県立美術館
まだ要調整。書き足すかも。
自分が書くまで他の人の感想や記事を見ないようにしていて、でももう見たい!
し、キリがないから一回開放!笑
10月14日の初日に行ってきました。
トーク前の時間と、トークの後にも駆け足で閉館まで。
本当に本当にこの展覧会を楽しみにしていて、そのたのしみをキャッチしたメーターは、2つ目の部屋でもう振り切ってしまった。
豊田の時に感じた、その作品を見た時の自分にタイムトリップするような懐かしい気持ちとは少し違って、新しい目線で違う年代のものを見ることが新鮮で楽しかった。
気づけば長い時間、奈良さんの作品を見てきたから、もちろん今回もノスタルジックになったり、絵の前でしばし考えさせられることはある。
でも、今回はそう言う感情の波を超えて、トップギアのまま最後まで見てしまった。それをまだまだ消化できるわけももなく、やっと静かに心を漂わせている感じです。
今回の展示がいつもと大きく違うのは、展覧会の舵取りが、20年来のおつきあいのある学芸員の高橋しげみさんと言うことだ。まず高橋さんによって大きな5つのテーマが決められ、それに沿って奈良さんが作品を選び構成し、それをさらに天才的に展示されたとのこと。
初日のトークショーで、奈良さんが、実は自分は決められたスペースに並べる才能が天才的なのではと言っていたのが面白かった。何も決めずに展示を始めても不思議とちょうどぴったり収まるそうだ。そしてとにかく悩まないから早いそうだ。そこで数cm場所が違ったところで、作品の持っているものは何も変わらないからと。本当にそうだと思う。
数センチにこだわるのはおそらくデザイナーとかだけど、その目線と奈良さんの目線は全然違う。作品のポテンシャルに変わりはないのだ。それはわかっていたようでわかっていなかったかも。だけど、位置や組み合わせに
深読みしてしまうことは時々ある。でもそれはものすごく意味があるわけでも無いのかもと思うと、なぜか少し気持ちが楽になった。って早くも話がそれたかな。
作品について。
一つ目の部屋。家のモチーフの絵は元々大好き。
奈良さんの作品に出会う前から好きなものだ。絵だけではなく、ミニチュアのような家の形をしたものが好きだった。だから絵のモチーフの絵たちをもっともっと集めて見たくなった。
ずっと昔のThere is No Placeもあった。
二つ目の部屋。
まず新作の「Midnight Tears」に圧倒された。すごかった。
紙に印刷されたものを見ていたのとは別物だ。一番最初は奈良さんの投稿で見たのかな。印刷はまた別の凄みを連れてきたけれど、現物は当たり前だけど全然違った。
見ているうちに体が吸い込まれていくような、はたまた絵が飛び出して来るようなどの部分を見ていても発見があるし、己の心の中から懺悔のような気持ちが湧いてきたりもした。絵の子が涙を流しているから、悲しい気持ちや泣きたい気持ちを思い出すというのとも違う。絵の前に立つだけで、自分だけの些細な気持ちから、大きな祈りのようないろんな気持ちが飛び出してくる。
昔のこと、今のこと、ざわざわして、少し混乱して、
でも、しばらく絵の前にいると静かに心が満たされる。包まれて、願ったりもした。最終的には静かであたたかい気持ちに包まれる絵だった。
Hazy Humid Dayにもやっと会えた。
いつか台湾でも観たいな。
前にはすごくさびしい気持ちを楽にしてくれた絵とも、この日はまた違う気持ちで再会した。
No Warの部屋もすごかった。祭壇のような塔がいくつも立ち、その周りをくるくる歩く。まだ初日なのに、すでに大きな魔物が住んでいるかのようだった。
自分の奥底にある何かをいいと思う絶対的な気持ちの全部がこの部屋にはあった。
壁のドローイングの並びもよかった。ライブドローイングの時の絵にも
再会できてうれしかった。壁にかかっているとまた違う印象だ。
奈良さんはドローイングは呼吸するように、手が勝手に動いて衝動的に短かいフレーズが生まれるのに近いと言うようなことを聞いたことがあるけれど(言葉は自信なし)、それでもいつも思うのは、奈良さんが衝動でスピーディーに引いたと思われるその線も、1ミリたりとも引かれるべき位置からずれることはなく、最初から
思い描く引かれるべき場所に引かれていのだと思う。
私はいつもそれを辿っていくのが楽しくて気持ちよくて仕方ない。
2001年のI DON’T MINDのインスタレーションもまるで色褪せない。
(あの中に入らなかった子たちはどこへ行ったんだろう)
この作品ばかりは2001年当時のことを思い出して、あの横浜の展覧会を丸ごと見なおしたくなった。
そして話は飛ぶ。
ここ最近は他のトークでも奈良さんの作品のレイヤーについて聞くことが多いが
今回の場合は、この展示の全てが作品のレイヤーを紐解くものになっていた。
しかも展示されているのはごく一部の選ばれたものたちだし、形になったものだ。本当はその形になる前のものすごい数のレイヤーこそが、経験であり旅(芸術以外のこと)であり、薄い羽のようなレイヤーがやがて木の年輪のように確固たる歴史となっていく。そこから出てきた樹液のようなもので作品はできているのかも。
内省的だけど、外交的と言う奈良さんの性格があってこそ、道のりが昇華されているなあと思ったりもした。
でもって(かなり端折ります)最後の部屋の復刻版ロック喫茶33 1/3もサイコウでした。(他の部屋に感想が無いのではありません)
奈良さんの歴史の中で、かけがえのない伝説の場所。そんな時代に生きてみたいなあと何度も憧れた場所が、まさかの復刻。その場に自分がいることがただただうれしかった。スターマンがお出迎えしてくれたのもうれしかった。中に入れるだけでもうれしいけど、本当にあの中でお酒を飲んだり、お喋りしたり、皿洗いしたりしているところを想像してみた。やっぱり羨ましい場所だった。
そして、展示の中にあった手書きのフリーペーパーの奈良さんの星の詩がめちゃよかった。この当時に自分がこのフリーペーパーを見ていたら、これを書いた人はめちゃ素敵だなあと思ったはずだ。それはなんとも不思議な気分で、のちにこの感性からたくさんのものが生まれるのだから、今回、このロック喫茶のここまで掘り下げられたことは必然だったのだと思う。そしてこんな資料を残していた方に感謝した。
ああもう限界だ。
書けん。笑
奈良さんや奈良さんの作品に興味のある方は、絶対に見にいくべき展覧会です。
これをみなければ始まらんです。奈良さんの頭の中にある巨大な地図を、高橋さんの目線でわかりやすく、目に見えるものにしてくれたような展示です。
奈良さんはすごく不思議で、巨大なのに、それはとても小さい小さいものから得たもので構築されている。いずれにせよ、巨大である事は確かなのだけど、広いというより深い。とてつもなく深いところに湧き続けている泉から、5つの星をすくい上げてきたような5つの部屋でした。
自由に生きたいと思い、そうやって生きてきた。アーティストになりたいと思ったことはないという奈良さんは何になりたかったのか。
奈良さんは全ての時間とエネルギーを「自分との旅」に使っているように思った。何かを知るためだったり、誰かに会いに行く旅だったとしても、
最終的には自分との旅なんだ。どこに行っても奈良さんのまわりには人が集まってくるし、人を拒まないし、一歩外に出れば常に人に囲まれているけれど、
「一人で世界一周をする。大人になってもこの夢は持ち続けたい」という子どもの時の夢をずっと本当に叶えている。好奇心の凄さは子どもの時に衝撃を受けたデヴィッドボウイともそっくりだ。奈良さんについて24年くらい見てきているけれども、まだまだ驚かされることがたくさんある。というか、やっと腑に落ちるというか。
奈良さんの「自分との旅」を見ていると、全ての旅は誰もが本当は自分との旅なのかもと思えてきた。
その旅の始まりと工程を惜しみなく見せてくれている青森の個展。
奈良さんは常に孤独と隣り合わせのように見えるが、本当は常に自分のことを知っていてもらいたい人だ。だけれども、奈良さんは人に会って話してそれを満たすのではなく、その後に時間を経て作品に語るのだ。だから、作品の前に立った時、自分だけに話しかけてもらえたような気持ちになるのだと思う。
どんなに展示を観てきても、決して慣れることはなく、自分の頭の中がシンプルであればるほど作品ときちんと向き合える気がする。
しかし作品を作り上げる力ってどれくらいのエネルギーなんだろうか。
そこにはものすごく魂が消耗するものがあることはわかっているつもりだった。
そして今回、さらにその構築された数え切れないほどのかけらと、決して揺らぐ事のない胸の真ん中ある心のありかを見せつけられ、
わたしはいつももらったものを一生返せない気持ちになる。
そしてすべての絵の後ろには、音楽が流れているんだなぁ。
いつかそれらを集めた(つまりロック部の定番曲)レコードが出来たらいいな。
ひとつだけ読んでしまった展覧会記事に、「今回の展示はベストアルバムではなく、壮大なフルアルバム」と書いてある記事があって、まさしくその通り、その言葉自分で思いつきたかった!と生意気にも思い、自分の思いをまとめるまでは誰かのレポートを読むまいと思った。それでも、結局はとっちらかったものしか書けなかったけど、自戒の心を忘れないためにもアップしておこうと思う。
また雪の季節に訪れてみようと思う。
おまけ
トークで好きだった話。
・さっきも書いた展示がピシッと枠やスペースにはまった話
・最後までやってみないとわからない(例えば文字を最後まできちんと描いたけど、やっぱりそれはいらなかったことがわかり、それをちょっと消したところで写真を取ることに気づくとか)→それによって次にプラスになることに気づく
・絵は考えないと描けない
・絵のフレームの裏に並べてあったその日聞いたCDやみた映画、読んだ本を並べた写真!(これだけで本にしたのが見たいです)
・人がどう見るかは関係ない
・変わろうと思って変える事は全く無い(目の描き方なども)
・羊がいたから回覧板を持っていくのが楽しかった
・遠くに行けば行くこほど故郷に帰ったような気持ち
・自分にしか関係ない旅。
・目に見えないものを参考にしている
・文集のしょうらいの夢