「神様、僕に言葉を下さい!」「hey YOU! 言葉ならおまえはもうもってるじゃないか」

2006/02/20(月) 01:48:49

『Live no media 2006 草原編』@BankArt NYK 14:00open/14:30start
出演:谷川俊太郎、遠藤ミチロウ、真島昌利、知久寿焼、尾上文、オグラ、田口犬男、
平井正也、宮沢章夫、峯田和伸、ぱく・きょんみ、友部正人、New 石川浩司。

友部さん主催で毎年行っている詩の朗読会のイベントです。
ミュージシャンも曲は一曲しか歌っちゃいけなくて
あくまでも詩を朗読する、という濃厚なメンバーによる濃密な6時間でした。
今日は野暮用で朝5時におきたままなのでねむくてねむくて。よー。
だけど頭の中では舌がからまってもつれるくらい
いろんなものをみてすごかった。
愚かな言葉を書き連ねている自分がはずかしくて仕方がないけど
まあ、自分用の記録だからそれは大目にみてもらおうか。
にゃんにゃかにゃかにゃかにゃ-ーーん!
それにしても猫語はどこまで浸透しているのだろうか。


下書きしたままアップしていなかったレポート↓ 2月21日 午前9時45分

朝早くおきていろんな言葉を頭から浴びて
人間は生まれてから少しヅツはなせるようになって
大人になった今はべつにあたりまえのように
口を動かせば言葉がでるように
思い悩んだすえに吐き出す言葉もあるけど
なんの気なしに使っている言葉もある。
目の前の人に伝えたいのにうまうく伝えられないとか
思っている気持ちのままここのまま差し出すから
どうか伝わってくださいと思うこともたくさんある。

普通の人よりもたくさんの言葉を知る人たちだって
熱と汗とそのこころをむき出しにしなければ
わたしたちに伝わらないのでは、と
あの手この手で言葉をみせてくれる。
ああ、なんて素晴らしいのだ。
同じ人間同士がわかりあうために
言葉を伝えるためになんやかんや。
たしかに詩、となるとものによってはちょっとうっとおしい。
独特の言い回しになってしまうものもある。
でも、最後のひとことではっと
目がさめるような答えをみせてくれたりもする。
友部さんは歌に近い世界を一定の声のトーンで。
歌声よりもやや一段低い声になる。
ひだまりのような世界の中に
いきなりひわいな言葉をまぜこんだりする。
友部さんの中の「君」はいつだって奥さんのユミさんで
この日はわたしの中の妄想のユミさんが目の前にみれたからうれしかった。

たまの石川さんは素晴らしいお笑いのショーみたいだった。
詩の朗読なんてもんじゃなかった。
あーなんであんなにおもしろいんだろう。
今思い出しても笑ってしまう。涙がでるほどに。
いちにっさん、いちにっさんの準備体操が
ほんとにたまらなくおかしくて。いや、でも全部が全部おかしかった。
着ていた服までおかしかった。
同じくたまの知久さんもよかったなー。
歌も二曲歌ってくれて
あの独特のでっかい歌声をひさびさに聴けて
うれしかった。
41歳になっていた。イカ天の歴史。
詩は日常の中にありそうなSFみたいな
普通の生活なのに、どこかねじれた小説のようだった。

峯田くんは体育館の舞台で発表する子供みたいだった。
ローファーとくつしたを舞台の段差のところでぬいで
もじもじしていた。
真ん中にたってあいさつをしてから
峯田和伸プロフィールを読んだ。何かのときにいつも書いてあるやつだ。
竹やぶのところで笑いが起こった。
ちょっと最近のところまで付け加えられていた。
それから「ねこのうた」という詩を読んだ。
それはプロフィールに続く銀杏BOYZのテーマのような
絵本のようなストーリーで
銀の船にのって世界に旅立っていくようになっていた。
それを聴いていたら
その船がたどりつく先は
友部さんが書いていた無人島のように思った。
絶対そうだ。アンサーソングのようだなあと思った。
偶然かもしれないけど。
あの無人島の話は一生忘れないよ。
それから「あわせ鏡」「きもちよくなるために」
「きもちよくなるために」ではマイク片手に
会場の人のなかにはいりこんでいってマイクをむけた。
会場の温度が一気に上がった。
全員が釘付けになった証拠だ。
それからまたおとなしくマイクの前にたって
自分の書いた日記を読んだ。二日分。
7月の9日と10日のやつだ。
ずっとリアルタイムで読んできた人には特に
たまらない日の日記だろうな。
画面で読んでいた文章に、本人の声。
そのことに鳥肌がたった。
ああ、わたしたちが感じていたことは
本当にこの人から発せられた言葉そのものなんだと。
あの日記はこの人そのものなんだと思った。
リアルすぎてなんともいえない気持ち。
感動したとか泣けるとかそんなんじゃないな。
どうしようもない気持ち。
どうしようもない気持ちばっかりだよ。いつも。
それから「BABY BABY」を歌って
それから最後にひとこと神様に語りかけ頭を何度もさげて
台から下りていった。

そういえば、最後の4名の中、三名の詩には
みんな神様がでてきたな。
田口犬男さんは谷川さんに捧げる詩を読んだ。
谷川さんは前にでききて目を閉じて聞いていた。
そのあとは遠藤みちろうさんで、最後は谷川俊太郎大先生。
みちろうさんはすごかった。
詩をふたつと歌を一曲で一番短かった。
でも声を発した途端にものすごい世界にひきずりこまれて
血なまぐさい匂いやら影やらが舞い降りてきそうだった。
でも目の前にいるみちろうさんは
ただTシャツをきてニット帽で銀縁のめがねで
なんだかやさしいお父さんみたいな佇まい。
なんだかちょっと影がうすくてたよりない感じなのだ。
それがずっと気になった。
歌もすごかった。みんながツバをごくりと飲み込む音が
きこえてきそうだった。
ものすごい大きな拍手がおこって
その中をみちろうさんはにこやかに足早に去っていった。

そう、合間合間に友部さんがでてきて
次の方を紹介するのだけど
それがまたいいのだ。
みんなが不安そうに友部さんをみていたり
友部さんがものすごくうれしそうだったり
最後は谷川俊太郎先生。
テレビでみるのおんなし顔だ。
大きな木からはらはらと葉っぱが落ちてくるかのように
次から次と美しい選ばれた言葉がおちてくるのだ。
これあっぱれ、と思ってきいていた。
声もいいもんな。
詩人の墓という詩がメインで
それは谷川さんご自身のこととも言える、とおっしゃっていた。
だけどそんなのが全部ぶっとんでしまったのだ。
最後の詩を読み終わって大拍手のあとに
司会である友部さんはギターをもってやってきた。
それをみて谷川さんはこういった。
「あれ、あなたこれから歌うの?」と
友部さんが答えるまもなくつづけてこういった。
「さっきからみんな最後に歌を歌うでしょう。あれが憎らしくてね。」
そういった谷川さんはふてくされた子供みたいだった。
「わたしも歌おうかな。歌おう」といって
でも、誰も知らない曲だから、といってアカペラで歌い出したのだ。
それはそれは度肝をぬかれた。
どっから出てくるのかわからないような
か細い声と不思議な音程。
神様にまつわる歌で「宿題」という歌だった。
息子さんがメロディーをつけてくれたのだそう。
目をとじたら神様がみえて
うすめをあけたら神様は消えた
では目をはっきりと見開いたら
かみさまはみえるかな
それがしゅ~く~だい!
って歌だ。
歌の力っていうのは「歌いたい」って気持ちがすべてなんだろうな。
うまいとか下手とか技術じゃなくて。
なんでもそうだね。
どうしてもやりたいっていう気持ちにはかなわない。
ほんとにすごかった。
あー。すごかったよ。
びっくらプレゼントだよ。おじいさんの思いつきがさ。

それから友部さんとオグラさんで「水門」という曲を演奏してくれた。
はじまる前に入り口の路上でやっていた曲だ。
わたしが生できいた初めての曲になるなあと思ってきいた曲だったから
これはもう今日のテーマ曲になった。
6時間におよぶ巨大な朗読会だったけど
不思議とあきなかったしあっというまだった。
かえりはナリちゃんと関内でなぜかカレーとカレーうどんを食べて
興奮さめやらぬ感じで家に帰ったよ。

家にはキャンディしかいないから
それがなんかちょうどいい感じで
ふたりでわたしの小さな部屋でぬくぬくしていた。
途中からキャンディはいびきをかいて寝てた。
はらを出して。へんなかっこうで。
それからしばらくして
キャンディをちょっとはしに追いやって
わたしも寝た。
ぐーぐーぐー。

日曜日がおわります。

そうそう。
峯田とミチロウさんが外で話してるとこが見えて
それがなんかよかったな。

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