ベイビー!逃げるんだ。

2009.05.10

中学3年の頃、大人っぽくて美人のSちゃんがとなりの席になったとき。
「わたしの好きな人、明日教えるね」といって教えてくれたのが清志郎だった。
「ほんとうは栗原清志っていうの」って言ったときのSちゃんはいつものクールな感じじゃなくて、てれくさそうでちょっぴり顔が赤くなっていた。
わたしはなんとなく知っていたけど、その奇抜なおじさんがそんなにカッコいいとは思えなかった。
で、わたしは「この人、何歳?」って聞いた。
「35歳。20歳上なの」って。わたしは今度はSちゃんにぶっとんだ。

だけど、わたしは心のどこかで、Sちゃんの好きなRCサクセションが気になっていた。
そして、レンタルレコードやさんでRCサクセションを探した。
古ぼけたレコードを何枚か借りた。シングルマン、ラプソディ、EPLPだったと思う。
優しくて悲しい声だと思った。たぶんそのときのわたしは、
まだどんな言葉で受け止めたらいいのかわからない気持ちがたくさんあった。
「エリーゼのために」も図書館で読んだ。
そして、いつの日からか、わたしもRCが好きになり、Sちゃんとニューアルバムを心待ちにしたりした。
「十年ゴム消し」を何度読んだかわからない。

ついこないだ、奈良さんが「君が僕を知ってる」という曲の歌詞をブログに書いたとき
わたしはそのフレーズを歌ってみたと同時に、いつぶりかわからないくらいぶりに
「十年ゴム消し」を読みたいと思って、夜中に読んだ。
おそらく、30代になってからははじめてだったと思う。
なんだかあまりのことに動悸がして、ドキドキして、記憶のあいまいさを恐ろしくおもった。
私があたかも自分で出してきたと思われる答えや、考え、想い方なんかが
この本の中にあった。フレーズまでもだ。
それなのに、わたしはそのことを忘れていたのだ。
こんなにも、大切だったことを忘れていた。
たくさんのものに出会い、たくさんのことを知り、いままで来た。
その中に形成されたものの中に、影響されたものの中に
こんなにも色濃く、清志郎がいたことを。
愕然とした。

もちろん、常に好きなアーティストではあったのだけど。

それから、わたしはたくさんのことを思い出した。
野音でRCを観る夢は叶わなかったから、
友達と夜中に野音にしのびこんで、清志郎が立ったステージに登ったこと。
清志郎みたいなサングラスをライブでかけて歌ったこと。
「僕の好きな先生」をやるのを決めた時、Sちゃんが喜んでくれたこと。
免許をとったら「スローバラード」を車で聴きたいと思ってたこと。
もっともっと、清志郎にまつわる思い出を思い出したかった。

そんな矢先だった。
清志郎が亡くなったニュースをきいた。
ユニコーンのライブに行っていて、
その日の夜だった。
電源が切れていた携帯を充電したら
たまっていたメールの半分が清志郎のことだった。

胸の奥がずんと重かった。
「ショックだな」と声に出してみたら
自分がショックを受けていることがわかった。
でも、どこかで筋金いりのRCファンではないという自負があったから
はじめはなんか理由がわからなくて
でも、とにかく残念で悲しかったのだ。

次の日、熱が出た。
なきたくなった。
友達とあう約束をしていたのだけど、どうにも支度ができなかった。
で、キャンセルした。
少しねた。
でも、すぐ起きてカセットを探した。
ウォークマンで聴いていたからたいがいカセットになっていた。
で、コンポにカセットを入れて聴いたら
部屋中に音楽がまわった。
無意識に枕と逆側に頭をおいてねころがった。
そしたら、窓から風がはいってきて
空がよく見えた。
わたしが、まだいろんな自分の気持ちを
人に話したりできなかったころ。
よくそうやって、ねっころがって考えていたころを思い出した。
日曜日の空だった。

そう、ユニコーンをリアルタイムで聴いていたころまでは
安易に戻ることができるのだ。
なつかしく、思い出すことができる。
だけど、
わたしにとって高校である友達にであう前の私には
なかなか戻れなかった。
今でも言葉にできないような孤独と不安と絶望が
ましてや、その理由なぞ
永遠に、この不安定な4月、5月が永遠に続いていたかのような。
そんな毎日から逃げるに逃げられないような日々だったから。

RCはそのころに出会っていたものだったのだ。

わたしには、15歳以前を思い出す必要があったのだ。
それはやはり、発熱するくらいの気持ちが蘇ってきた。
だけどでも、もう、好きだったものを忘れたくないと思った。
今、自分の中にあるものを一つ残らず大切にしたいと思った。

まだ、記憶が鮮明に戻れるときに思い出せてよかった。

鮮明に思い出した途端にお別れなんて
とても皮肉でさびしいけど。

清志郎がもういないなんて
それでもぴんとこないけど
でも、音楽はいつまでも残っていく。

きのう、弟の家族がきて
みんなでRCやら、清志郎の歌を聴いた。
甥っ子も一緒に、みんなでデイドリームビリーバーを
口ずさんだりした。
なんだかそれはそれでしあわせだった。

そう。
悲しんでいるこっちのほうが
歌になくさめられている。

ラプソディやら、デイドリームビリーバーやら
トランジスタラジオなんかを口ずさんでは
元気をもらっている。

元祖「ベイビー」と「ハロー」なのだ。

子どもながらに度肝をぬかれたCM。

そして、わたしもほんの少し大人になり、

タイマーズを知った頃は人生で一番無敵だと思っていた。
タイマーズは同士だと思っていた。笑

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