ロック部とは

郡山でのロック部はすごかった。
6時間という時間もすごかったけど、その謎とも思える空間がすごかった。
DJ、トーク、スライド、音源、YouTube、全部を駆使しつつ
ただのラジオでもなく、ただのトークショーでもなく、スライドショーでもない。
(ただの、という言い方は違うかもだけど、それも十分すごいから)
絵を使わずに、絵と同じくらいの魂を惜しげなくわけてくれる。
わかりやすく、やさしく、びっくりプレゼントのような言葉もくれる。
みんなの味方であり、自分だけの味方でもあり、
いつも同じ場所に居てくれると思わせてくれる。
そして、最終的には「もらいすぎでは?なんのお返しが出来るだろうか」と
思ってしまうくらいに。
一体何なんだろう。当のご本人は逆にその場に感謝していると言う。
遠くまで移動する間に考えたいと思ったけれど、
とても温かい(時に熱く!いつもか)、まあるい空間であると言うことと
唯一無二ちゃん、と言うことくらいしか思いつかなかった。
今読んでいる「教師 宮沢賢治のしごと」と言う本の中で
「教師も本当に誠実に心を賭けてやったら、芸術である」と言う文章があって
それはちょっとロック部に似ている気がした。
ロック部は授業と言ったら部長は嫌がるかもしれないが、あくまでも部活なんだけど、どうしたって部長から教わることが多いから。
でもって、元々のロック部も仕事ではなくボランティアだったけど
そこには引き受ける責任はあったと思うから、自分の為と言うことではない。
結果的には部長にとっては膨大に自分を振り返る時間でもあり、聴く側にも膨大な情報がもたらされた。それは「ボランティアでラジオをやりました。楽しかったです」と言うことでは済まされない純度と濃度だった。心を賭けてしまったから、疲弊してしまった。やめて正解だったと思う。
人の魂の尊さを蔑ろにする人は、回り回って天罰が下ると思う。気づかない場合が多いのかもだが。
その後、不定期で行われた海賊ラジオ的部活はさらに密な関係となり、一気に結束した。でもやっぱり、そうでない人の耳にも届いてしまうと言う現実は何かが違うし、そこからは守るべきものだと思うから、形を変える必要があると思う。
ロック部はきっとこれからも不定期では開催されると思っている。
でも、なんと言うか、部長にとっての絵、ドローイング、写真とも横並びにならないような作品(表現)なんだと思うから、その価値を守るべきだと思う。
本や映画も表現だけど、そこにはどうしたって他の人の手が介入する。
それをせずに、たった一人で完結できる方法での自分史がそこに作られているんだと思う。私は時々、この先の未来に奈良さんのことを映画にしたいと思う人が必ず出てくるように思っているのだけれど、その軸を形成している様々な枝葉をきちんと描ける人なんているのだろうか?と思ってしまう。それを無しには語れないし、一体誰が全てを理解してるのだろうかと思ってしまう。伝説の何とか、で語られる人々にも語られていない事は山ほどあるのだろうな。(だからデヴィッドボウイのムーンネイジみたいに、本人の語り映像をなるべく多く残して置いた方がいいと思う。はまちゃん!〈追記〉)
だからこそ、目撃していた自分たちにはそれを伝える責任があるような気がしてならない。一人の人間を理解することですら難儀なのだから、人生はとても短い。
だからせめて、自分に正直に生きることとはどういう事かを教わったことは忘れないでいたいし、誰かに伝えたい。とても強くて大きいお守りになるからだ。
でもって、自分の好きなものを誰かも同じように好きってことが、どんなにうれしくて勇気になるかってこともたくさん味あわせてもらった。
わたしは、ショートカットの共有は今でも大嫌いだけど、惜しみなく放出してくれる部長が傷つくことがないように、がんばってそうじゃない共有にすることが大事だと思う。

「あなたはきっと幸せになれるわ だって、私たちを幸せにさせてくれたもの」

まだ時々気づいたことあったら直すかも。

追伸
そして、今回の会場となった郡山の素敵なお店
「Go Go Round This World ! Books & Cafe」
こんなにもすばらしい夜になったのは、このお店を切り盛りされている舟部さんと渡部さんの存在は欠かせない。奈良さんがいかにロック部を大切にしているかを繊細に汲み取り、この夜に集うメンバーを大変な労力で決めていた。集まった20人の方々もそれなりの覚悟を持って集まったに違いない。パワーがパワーを呼ぶ場面に立ち会えたことに感謝します。ありがとうございました&おつかれさまでした!!


#真夜中のロック部
#yn
#奈良美智

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