発掘されたメモ

2023.0606

私の思ったこと。↓2014年9月8日
絵に向き合う時間
今思うとなんだか因縁というかいずれ意味があるのかなと思った。
思い切って何かをやりきること。時間を割くこと。集中すること。
プレッシャーを感じること。不安なこと。そしてそれらから解放されること。
そのあと大事な人と過ごせること。
心が解放されて、笑うこと。
時間を気にせずそこにいること。
輪郭が濃くて、季節も色濃さが残っていて
だけど宇宙からみたらほんの針穴以下の空間に
ひしめきあっているわたしたち。
だけど、地上からみれば
数億の流れの合間をぬって出会った私たちだ。
小さなことに頭を悩ませ、心を痛めながらも全力で生きている。
その日々に感謝せずにいられようか。
ステイタスなんかじゃない。
自分がどこに立っているかだ。
うわっつらの器だけのステイタスなんてクソだ。
自分の中にあるものだけで闘うしかないのだ。

こんな未来を描いてたかな。
いつまでもどこかで二人きりで生きていたいなんて
バカみたいに思い描いていたけど
それはもう精神がもたなかっただろう。
ひとりじめしたくて、一緒にいたくてあっというまにボロボロになっただろう
わたしはやっぱり、パンとお菓子を作りたい
おいしい飲み物やスープを作りたい
または手芸的な手から生まれる何かをやりたい

あなたはわたしの畑を耕し、わたしはあなたの畑を耕す
教えてもらってから、ずっと心の奥にある言葉だ。(屋号の意味)
大好きなひとたちのしあわせと健康と共に自分がありますように。

メモ。ネパールの家庭料理で出てくる黒豆の丸いパンはミャオ(Myao)。
ミャ:黒豆 オ:丸いパン 

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