いろいろ要再考

こないだ書いた(というか、前に書いていて書き直しをしていた)
誰かのする誰かの話、について。
書いた直後も「いったい何様?」という気がして公開しなかったけど
書き直してもやっぱり何様だなと思う。
別に自分は賢者でもないし、ぶっちゃけ「なんとなく嫌い!」とか
言ったりしてるわけだし。
なんだかんだそういうことを言いたい時は自分が弱っている時だ。
何かをわかってほしい時だ。
怒りは第二感情というのを聞いたことあるけど
いきなり怒りの感情が来るのではなく、
さびしかったり、雑に扱われたり、理解されなかった原因があり
それが怒りに変わるそうだ。
ただ怒りに到達することはないそうだ。
確かに、うれしいとかにも理由はあるわけだけど
さびしいはさびしいだけじゃなく、それがつのると怒りが生まれる。
あまり怒らない人というのは、そこまでの距離が長いのだろうか。
私はつまらないことで短気に怒ったりもするし
最近学んだことでは「ジャッジしない」ということが
自分らしく生きるコツだそうだ。
他者をジャッジしない。自分のことも?
ジャッジしない、と聞いて思い浮かんだのはなぜかヒロトだった。
チバもそうかもね。バカだよなって思っても、そうだよなって言ってやりたい
って言ってたもんな。50代ってそうなるんだ!と印象的だった。
自分本来の性格があって、自分がこうありたいという理想があって
そこに近づきたくていつの間にか無理をしている。
ああ、本来の自分でよかったんだって思えた時、地球を一周回ってきたようなきがする。
で、まわりも実はそう思っていた、とかね。
おっとり、温厚、朗らか、大人しい
そう言われるのが嫌で、もっと激しい自由奔放な人に憧れた。
いろんな好きなものを集めていくうちに、自分の内なる感情には
そういう部分があるのがわかってきた。温厚じゃないし
結構無鉄砲で、わがままで、激情家だった。
でも、唐突だけど、チャラいヒットソングではなくて、
今大好きだと思えるような音楽を好きな自分であることが本当によかった。
本当の自分でなんだろう。考えてもキリがないけど、そこに(音楽)
少しヒントがあるように思ったから。
人生もう完全に折り返してるわけだし、
自分くらいは自分を大事にしてあげないと。
欲を言えば、そのままでぜんぜんいーよって言ってくれる人がまわりにいてほしい。
そしてダメなことはダメって言ってくれたらありがたい。
わたしの知る一番のやさしいキングのように、必要な場面でやさしさを出せる賢さを身につけたい。
それが憧れかも。

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