スキップして思い出さないようにしていた時間を思い出した
音楽は色々助けてくれるけど、時々油断していると余計なものまで解凍しちゃう時があるよね。でも昨日のロック部で「過去を思い返す行為はつらい時もあるけど嫌いじゃない」というのを聞いて、そうだなと思ったしその中に大事な何かがあるから思い出すんだと思う。あと、必ずその過去にはいいことと悪いことが半々位づつあるというのも、いまになったら少しわかる。
昨日は25年前によく行っていたハンバーガー屋に行ってハンバーガーを食べた。ぶりの店でハンバーガーを食べた。渋谷のあっち側は再開発で半分くらい無くなっていた。でもそのバーガー屋さんは多分値段も変わってない。めちゃ安いのに続いていてすごい。もうそのお店が好きとか嫌いではなく、あの日々が確かにあった、ということを証明してくれている。そんな感じだった。道も変わっているし、なんならビルも改修されていた。同じ道に、1997年の自分と重ね合わせて立って見た。そしてあんな地獄だったのに「一応青春時代だったんだから」って一緒に言える人がいてよかった。あの時はほんとにひどかったよね。だけどありがとうね、と言えること。トラウマのような日々をやむ得ず思い出すことでむしろ許された気持ちになった。節分というのは区切りだったり、ある意味新年の本当の切り替わりというけれど、年末年始や誕生日などで幾分回顧的になっていたところにいつもなら決して覗かない窓を開けてしまった。それはでも悪いことは一つもなく、ありがたいことしか思い出されなかった。(己の愚かさは変えられない過去だけれども)
自分はつくづくコスパ?の悪い人間だし、整理するのに時間がかかる。(コスパというのはもちろんお金ではなく強いていうなら時間?)でも、なんかいちいち引っかかるところに自分が存在しているのだし、好きなものは変わらないし、同じ穴にハマる。そのかっこ悪さみたいなのが本当に嫌いだったけど、でも自分がそれを気に入ってあげなくてどうするの?という新発見もあった。これがひらき直りというだろうか?でもなんだろ。今はちょっと少し自由になれるような気がしている。あの絶望した気持ちで歩いた最終日の徹夜明けの太陽が、暖かくてまぶしくてきれいだったこと。あの時はそのあとにどんなうれしい事がたくさん待っているかなんて1ミリもわからんもんなぁ。だから尚更、あとはどれくらい感謝を返していけるかと、悔いなく生きれるか。じゃないか!な!
あとね、会いたい人には会いに行かないと。行きたいところに行って見たいものを見る。人の期待には答えず、自分の期待に答えたい!2022年。
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