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AI小説・『迷子の夜』


第一章: 深夜の駅

 終電を逃した駅は、思った以上に静かだった。電車が発車してしばらくすると、改札の向こう側にはわずかな人影しか残らなくなった。タクシーを待つサラリーマン、ホームレスの男、酔っぱらってベンチに座り込む若者たち――。そんな光景の中、佐伯陸は立ち尽くしていた。

 どこへ行こうか。帰る家ならある。けれど、帰りたくなかった。自分の部屋の、あの沈黙の中に入り込むのが嫌だった。誰もいない家の、薄暗い廊下や、鳴りもしない電話。そこに戻ったところで、何も変わらない。

 陸はため息をつき、駅前のロータリーを歩き出した。自動販売機の光だけが、やけに明るく感じられる。冬の空気は冷たく、コートの襟を立てても体の芯まで寒さがしみ込んできた。

 少し歩くと、駅前のカフェがまだ開いているのが目に入った。チェーンのコーヒー店ではなく、個人経営の小さな店だった。ガラス越しに中を覗くと、客はほとんどいない。カウンターの奥で、白髪混じりのマスターが新聞を読んでいた。

 陸は、何かに導かれるようにドアを押した。カラン、と鈴が鳴る。

「いらっしゃい」

 マスターが視線を上げ、軽く会釈する。陸は入口近くの席に座り、メニューも見ずにコーヒーを注文した。

 店内は暖かかった。木製のテーブルと椅子、壁には古びたポスターや写真が並び、落ち着いた雰囲気を醸し出している。遠くでジャズが流れていた。

 コーヒーが運ばれてくると、陸はカップを手に取った。湯気が立ちのぼる。小さく息を吹きかけ、一口すする。苦味が舌に広がる。

 その味は、どこか遠い記憶を呼び覚ますものだった。

 ふと、昔のことを思い出した。中学生の頃、父親と一緒に喫茶店に行ったことがある。父は、黙って新聞を読みながらコーヒーを飲んでいた。何を話したのか、覚えていない。ただ、父の横顔がやけに大人びて見えたことだけは、今もはっきり覚えている。

 ――あの頃の自分は、未来をどう考えていたんだろう。

 今の自分はどうだ?

 中退した高校、途切れた友人関係、家族とのすれ違い。何もかもが中途半端で、何もかもが投げやりだった。自分はどこに向かっているのか、どこへ行けばいいのか、分からないまま時間だけが過ぎていく。

 カップの底を見つめながら、陸は思った。

 ――どこか遠くへ行きたい。

 でも、どこへ?

 カフェの時計を見ると、午前二時を回っていた。マスターは新聞を閉じ、こちらをちらりと見た。

「夜は長いな」

 陸は答えずに、もう一口コーヒーを飲んだ。

第二章: 夜の街

 店を出ると、冷えた空気が頬を刺した。カフェの扉が閉まる音が、夜の静寂の中に小さく響く。駅前のロータリーにはもうほとんど人影がなく、わずかにタクシーのヘッドライトが路上に光を落としていた。

 陸はコートのポケットに手を突っ込み、歩き出した。行き先は決めていない。ただ、このまま家に帰る気になれなかった。駅から少し離れた道を選び、街灯の下をゆっくり進む。

 ネオンの明かりが、遠くでちらちらと瞬いている。深夜営業の居酒屋から、酔っ払ったサラリーマンの笑い声が聞こえた。大通りから一本入った裏道には、コンビニの明かりがぽつんと灯っている。陸は足を止め、自動販売機で缶コーヒーを買った。

 蓋を開けると、わずかに湯気が立ちのぼる。カフェで飲んだものとは違い、缶コーヒーの味は安っぽかった。それでも、冷えた指先を温めるには十分だった。

 ふと、近くの路地から話し声が聞こえてきた。

「なあ、マジでやめとけって」
「別にいいじゃん。ちょっとくらい」

 声のする方をちらりと見ると、街灯の下に数人の高校生らしき少女たちがいた。制服のスカートは短く、派手なメイクをしている。一人がスマホの画面をいじりながら笑い、もう一人がコンビニの袋からタバコを取り出した。

「誰かライター持ってる?」

 彼女たちは、深夜の街に溶け込んでいた。大人のふりをしながら、本当の大人になりきれずにいる。どこか昔の自分を見ているようで、陸はなんとなく目をそらした。

 その瞬間、少女の一人と目が合った。

「兄ちゃん、何見てんの?」

 軽く笑いながら、彼女は歩み寄ってくる。口元には、幼さの残る悪戯っぽい笑み。

「どっか行くの?」
「さあな」

 陸はそう答え、缶コーヒーをひと口飲んだ。

「暇ならさ、ちょっと付き合わない?」

 少女は軽い調子で言う。陸は、一瞬だけ考えた。

 こうして適当に誰かと時間を潰すのも悪くないかもしれない。でも、結局、それで何かが変わるわけでもない。そんなことはもう分かっている。

「悪いけど、俺、行くとこあるんだ」

 嘘だった。行く場所なんてない。でも、こう言うことで何かが決まるような気がした。

「ふーん。つまんないの」

 少女は肩をすくめ、手にしたタバコを指で回す。その仕草を見ながら、陸は歩き出した。

 背後で彼女たちの笑い声が聞こえる。街の喧騒に紛れて、すぐに遠ざかっていった。

 陸はポケットからスマホを取り出し、画面を見た。通知は何もない。母親からのメッセージも、友人からの連絡もない。

 どこかへ行きたい。そう思いながら、陸は歩き続けた。

 やがて、街灯の光が途切れ、暗い道に出た。そこは昔通っていた高校の近くだった。学校の前の通りを見下ろしながら、陸は立ち止まる。

 夜の街は広がっているのに、行き場がない。まるで、自分の人生そのもののように。

第三章: 偶然の再会

 陸は高校の近くの道を歩いていた。もう通うことのない学校の前を通るのは、どこか奇妙な気分だった。金網のフェンス越しに校舎を見上げると、いくつかの教室の窓にまだ灯りがともっている。深夜まで残っている教師がいるのだろうか、それとも生徒が忘れ物を取りに戻ったのか。

 ――あの頃は、何もかもが退屈だった。

 授業はつまらなかったし、教師たちの説教もうるさかった。友達とバカをやるのは悪くなかったが、それでもどこか冷めた気持ちがあった。高校を辞めてから、その「退屈」だった日々が、実はずっと温かい場所だったことに気づいた。

 陸はフェンスに指をかけた。金属の冷たさが指先に伝わる。

「おい、佐伯か?」

 突然、後ろから声をかけられた。

 振り向くと、そこに立っていたのは隆二だった。

 かつての親友。いや、もうただの「昔の知り合い」かもしれない。

 隆二は高校を卒業し、大学に進学したはずだ。すっきりした短髪に、黒いダウンジャケット。手にはコンビニの袋を提げている。

「なんだ、お前こんなとこで何してんだよ」

「……ちょっと散歩」

「散歩? 夜中にか?」

 陸は曖昧に笑い、缶コーヒーを軽く振った。「そんなとこ」とでも言うように。

 隆二はしばらく陸を眺めていたが、やがてため息をついた。

「久しぶりだな。連絡くらいよこせよ」

「お前もよこしてねぇじゃん」

「……まあな」

 二人の間に、短い沈黙が落ちた。陸は視線を逸らし、フェンスの向こうの校舎を見つめた。

「どう? 大学、楽しいか?」

「まあ、それなりに」

 隆二は適当な調子で答えた。

「バイトしながらだけどな。でも、思ってたより忙しいし、課題も多いし、大変だよ」

「ふーん」

「お前は?」

 隆二が真っ直ぐ陸を見た。その視線を避けるように、陸は缶コーヒーをひと口飲んだ。すっかり冷めていて、苦味だけが残る。

「別に。適当にやってる」

「適当ねぇ……。バイトとかしてんの?」

「たまに」

「たまに、ね」

 隆二はそれ以上は聞かなかった。ただ、何かを言いたげな表情を浮かべたまま、コンビニの袋から缶チューハイを取り出した。

「飲む?」

「いいのかよ、俺まだ未成年だぜ?」

「お前に言われたくねぇよ」

 そう言って、隆二は笑った。陸はその顔を見て、懐かしさと同時に、言いようのない違和感を覚えた。

 ――こいつ、こんな顔して笑うやつだったか?

 隆二の笑顔には、昔のままの部分と、どこか大人びたものが混ざっていた。

 缶を受け取り、プルタブを開ける。アルコールの匂いが鼻をくすぐる。

「……変わったな、お前」

「そりゃ変わるさ。お前だって変わっただろ」

「そうかね」

 陸はチューハイを一口飲んだ。苦くて、少し甘い。

 風が吹いた。冬の空気が、街の灯りをかすかに揺らす。

「お前さ、今からでも大学行けば?」

 隆二がぽつりと言った。

「別に大学が全てじゃないけど、今のままダラダラしてても、何も変わらねぇぞ」

 陸は笑いもせず、ただ空を見上げた。

「お前ってさ、昔からそういうとこあるよな」

「どういうとこ?」

「正論ばっか言うとこ」

「……悪かったな」

 二人は、それ以上何も言わなかった。

 静寂の中、缶の中の炭酸が弾ける音だけが響いていた。

第四章: 失われたもの

 隆二と別れた後、陸は夜の公園へと足を向けた。

 街の喧騒から少し離れたその場所は、昼間とは違い、まるで異世界のように静かだった。ブランコが軋む音、遠くで猫が鳴く声、時折、木の葉が風に揺れる微かな音だけが、闇の中に浮かんでいた。

 陸はベンチに腰を下ろし、スマホを取り出した。画面には何の通知もない。誰からも連絡が来ていないことは分かっていたのに、無意識に確認してしまう。

 ふと、数ヶ月前の母親からのメッセージが目に入った。

「いつでも帰っておいで。」

 たったそれだけの短い文章だった。

 母はずっと、陸に優しかった。高校を辞めたときも、怒ることなく「お前が決めたことなら」と言った。けれど、その後ろに隠された失望の色を、陸は感じ取っていた。

 ――「いつでも帰っておいで。」

 それが本当なら、今すぐ家に帰るべきなのかもしれない。でも、帰ったところで何かが変わるわけではない。自分がこのままである限り、家も、家族も、そして世界も、何も変わらない。

 陸はスマホの画面を消し、ポケットにしまった。

 視線を上げると、夜空には月が浮かんでいた。光はぼんやりと滲み、雲に隠れたり、また現れたりしている。

 彼はふと思った。

 ――俺は、何を失ったんだろう。

 居場所か。夢か。友達か。家族とのつながりか。

 全部かもしれないし、最初から何も持っていなかったのかもしれない。

 陸はポケットの中で手を握りしめた。自分の指先が、冷たくなっているのを感じた。

 そのときだった。

 暗闇の向こうから、かすかにすすり泣く声が聞こえた。

 最初は風の音かと思ったが、耳を澄ませると、それは間違いなく子供の泣き声だった。

 陸はベンチから立ち上がり、声のする方へ歩いていった。

 公園の奥の茂みの近く、小さな影が震えていた。

 街灯の薄明かりの中で、幼い子供が一人、膝を抱えて泣いている。

 陸は思わず足を止めた。

 その姿は、まるで――。

 まるで、昔の自分のようだった。

第五章: 迷子

 陸はためらいながらも、ゆっくりと歩み寄った。

 子供はまだ泣いていた。年齢は六歳か七歳くらいだろうか。薄手のジャンパーを着て、地面に座り込んでいる。顔を伏せ、肩を震わせながら小さな声ですすり泣いていた。

 陸はしゃがみ込んで、慎重に声をかけた。

「どうした?」

 子供はピクリと肩を震わせ、恐る恐る顔を上げた。涙で濡れた瞳が、街灯の光を反射している。

「ママが……いなくなったの……」

 その言葉に、陸の胸が少しだけ締めつけられる。

 迷子か。こんな夜遅くに、どうして一人でこんな場所にいるのか。

「名前は?」

「……ゆうと」

「そっか、ゆうと。お前、どこでママとはぐれた?」

「わかんない……」

 ゆうとは、袖で目をこすった。

「さっきまでは一緒にいたの。でも、気づいたらママいなくて……探してたけど、どこにもいないの……」

 途切れ途切れの言葉。陸はちらりと周囲を見渡したが、大人の姿はどこにもなかった。

「ママの電話番号、分かる?」

 ゆうとは首を振った。

「じゃあ、おうちの場所は?」

「……たぶん、あっち……」

 小さな手が、駅の方向を指す。

 陸はふっと息をついた。迷子の子供をどうすればいいかなんて、考えたこともなかった。とりあえず交番に連れて行くのが一番かもしれないが、深夜のこの時間、交番に行ったところで母親がすぐに見つかるとは限らない。

「寒いだろ、立てるか?」

 陸は手を差し出した。

 ゆうとは、ためらいながらもその手を取った。小さな指が、ぎゅっと陸の手を握りしめる。その温もりに、陸は一瞬、戸惑った。

 何年ぶりだろう。誰かと手をつなぐのは。

 昔、父親と手をつないで歩いた記憶がある。いや、それとも母親だったか。もう思い出せない。でも、その感覚だけは、どこか懐かしかった。

「よし、じゃあママを探しに行こう」

 ゆうとはこくりと頷いた。

 陸は、迷子の小さな手を引きながら、夜の街を歩き出した。

 遠くで、朝の気配が少しずつ近づいていた。

第六章: 朝焼けの街

 陸は、ゆうとの小さな手を握りながら夜の街を歩いた。

 冷え込んだ空気の中、二人の足音だけが静かに響いていた。夜はもうすぐ明けようとしている。東の空がわずかに白み始め、遠くのビルのシルエットが少しずつ浮かび上がっていた。

「ママ、どこにいるのかな……」

 ゆうとは、心細げに呟いた。

「きっと、探してるよ」

 陸は、そう答えた。本当にそうなのか、自分でも分からない。ただ、そう言うことで、ゆうとの不安が少しでも和らぐ気がした。

 駅前の広場に出ると、数人の人影が見えた。タクシーを待つ人、新聞を配る男、始発を待つサラリーマンたち――。夜の終わりと朝の始まりが、曖昧に交錯する時間。

 そのときだった。

 遠くから、女性の声が聞こえた。

「ゆうと!」

 その瞬間、ゆうとの手が震えた。

 顔を上げた彼は、次の瞬間、手を振って駆け出した。

「ママ!」

 駅の入り口に、一人の女性が立っていた。薄いコートを羽織り、乱れた髪をかき上げながら、必死の表情でこちらを見つめている。

 ゆうとはそのまま母親の腕の中に飛び込んだ。

「よかった……本当によかった……!」

 母親は涙を浮かべながら、ゆうとをぎゅっと抱きしめた。

 陸は、その光景を少し離れた場所から見つめていた。

 母親はふと陸に気づき、顔を上げた。

「あなたが……?」

「駅の近くの公園で迷子になってたんです。寒かったんで、とりあえず一緒に歩いてました」

「……本当にありがとうございます」

 母親は深々と頭を下げた。

 陸は、何も言わずに首を振った。

 もう、自分の役目は終わった。

 彼は、母子の姿を最後にひと目見てから、静かにその場を後にした。

 夜明けの街を、ゆっくりと歩く。

 ふと、スマホを取り出すと、画面にはやはり何の通知もなかった。だが、それがなぜか、いつもほど寂しく感じなかった。

 冷たい空気の中で、陸はふと思った。

 ――俺は、本当に「何も持ってない」んだろうか?

 そう考えながら、彼は駅の階段を登った。

 空は、朝焼けに染まり始めていた。

おわり

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