夏が嫌いだ。特にあの蝉の「ジジジ」という鳴き声を聞くと、耳を塞いで逃げ出したくなるような気持ちになる。そんな風に僕が夏を嫌いになったのは、小学生の頃のある出来事がきっかけだった。

 俺の住む町は、見渡せば田んぼと山しかないような田舎で、信号機だって一つしかなかった。そんなんだから、学校の帰り道はいつも探検で、膝小僧に擦り傷が癒えたことはなかったと思う。今思うと危ない話だよな。イノシシだってよく出たらしいし。それで、夏休み前の最後の日だと思う。終業式の日。確か、荷物が多かったしね。一人で帰ってたのかな。大方、友達と喧嘩でもしたんだと思う。その辺りのことはあんまり覚えてなくて。でも蝉の声がうるさかったのだけは覚えてる。山が近かったからな。「じーわじーわ」って、嫌になるほど鳴くんだよ。そのときは子どもだから気にしてなかったけどね。それで、さっきも言ったんだけど、そのまま真っ直ぐ帰るのも面白くないからってよく回り道をして帰ったんだ。その日は家の近くの山を探検して帰ろうと思って。山と言っても大したものじゃなくて、ただ、学校と家がその山を挟んで建っていたから、突っ切っていけば近道になると思ったんだろうな。日差しが強かったけど、山道に入ると木陰になって涼しかったのを覚えてる。その代わり蝉の声がますます大きくなってさ。「じじじ」「じーわじーわ」って、本当に耳元で鳴ってるみたいだった。そんな音に囲まれて、木漏れ日に時々目を細めながら山道を歩いてると、ばっと開けた場所に出たんだ。神社の境内みたいな場所で、地面が太陽の真っ白な光を反射してた。それ以上に印象的だったのはさ、聞こえないんだよ。蝉の声が。さっきまであんなにうるさかったのに、何にも聞こえなくなってしまった。ただ木々の枝葉が曖昧な風に揺られて微かな音を立ててただけなんだ。よく覚えてる。なんだか恐ろしくなってさ。振り返って、来た道を急いで戻ろうと思ったんだ。そしたら自分の側に生えてた木の前に男の人が立っていて。後ろ姿だったよ。真っ白なTシャツを着ていたと思う。それを見て、情けないんだけど、でっかい悲鳴を上げてしまった。慌てて口を押さえたんだけど、男はゆっくりと振り返って顔を見せてきた。俺はもう駄目だと思ったよ。本当に駄目なんだ。男の眼球は無くて、代わりに蝉が詰まってるんだ。陽の光を反射してぬらりと光ってた。それから、男はニタと笑うんだけど、口の中にも蝉が詰まっていて、男の「眼」と同じように光るんだ。次の瞬間につんざくような蝉の鳴き声がして、それが全て男からするんだよ。「ジジジ、ジジ、ジジジ」って。ただの鳴き声じゃなくて、分かるかな、死にかけの蝉がコンクリートの上で最後に暴れるときみたいな。あの節ばった、乾燥した身体をコンクリに擦り付けるような音で鳴くんだ。そこから先はもう覚えてない。なんとか逃げ帰ったんだと思う。この出来事があって以来、一度もその山には近づいてないよ。あれはね、とても恐ろしかったな。だから、みんなも夏休みだからと言って、変な場所に一人で行くんじゃないぞ。

 夏休み前、浮かれる僕らに釘を刺すようにそう言ったK先生は、夏の終わりに僕の住む街の神社の境内で、背中を地面に擦り付けるようにして死んだ。遺体には眼球がなく、胃袋の中からは大量の蝉が発見されたらしい。

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