"写真を撮る"ということについて

 インターネット上の友人からの勧めで、フィルムカメラを始めて大体四ヶ月ほど経った。中古の安いハーフカメラだったが、小ぶりなその姿はとてもキュートですっかり気に入っている。これまでに大したものは撮ってないものの、二百回以上シャッターを切ったらしい。月なみな言い方だけど、カメラを持つことで日常の見え方というか、視野が広がり、生活に彩りが生まれたように思う。

 こうして小さな相棒を携え、広がった世界の中、街を歩く楽しみを覚えたのだが、正直に告白すれば、シャッターを切るたびに、わずかな罪悪感を心のどこかに落とし続けていた。この罪悪感というものは少々特殊な由来で、それは小さな頃に読んだ物語から来ている、ともすれば呪いのようなものだった。

 大仰な書き方をしたが、僕は実際にその物語の詳細を覚えているわけでもない。というのも、その物語は図書室で借りてきた本だとか、教科書に載っているお話だとか、そういうものではなく、一回限りの国語のテスト(あの独特の匂いと光沢のある紙製の、いわゆる業者テストというやつ)で読んだきりだったからだ。

 物語の主人公は中学生の女の子だった。彼女は一つか二つ年上のいとこ(姉だったかも)の少女と一緒に沢で遊んでいた。主人公は父から譲り受けたフィルムカメラを抱えて、ちょうど僕と同じ様に、心を弾ませながら自然の景色を写真に収めていた。一方で、いとこの少女はカメラを持つでもなく、しかし、自然の景色を主人公と同じ様に堪能している様子だった。


〇〇ちゃんも写真、撮ったらいいのに
「良いの、私は写真を撮らないことにしているから」
どうして?
「えっと、写真を撮ったら、風景が写真として形に残るでしょ」
そうだね
「今見ている風景、とても素敵だけど、そうやって形に残って、後で見返せるようになっちゃうと、後で思い出せるようになっちゃうと、忘れちゃうような、忘れてしまってもよくなるような気がするの」

「私は、今見た景色を忘れたくないから、写真を残さないようにしてるの」
 そう言って彼女は眼前の景色を焼き付けるようにじっと見つめた。

 その後、主人公がそれにどう答えたかは覚えていないし、テストで何を問われたかも、果たして良い点数が取れたかどうかも覚えていない。正直なところ、最後の、いとこの少女の発言以外はうろ覚えもいいところだ。しかし、これを読んで以来、ずっとその彼女の一言が忘れられず、心の中に横たわり続けている。

 なぜ、この物語、正確にはその中の台詞のたった一つが、こうも記憶に残り続けるのかは分からない。ただ、これを目にしたとき、痛いところを突かれたような、バツの悪い気分になったことは覚えている。そして、今も僕はカメラのシャッターを切るたびに、十年以上前に読んだこの一言に、後ろ指を指されているような気持ちになる。

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