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月光の下で

 月の見下ろす大地で、二つの人影が拳を付き合わせていた。
「次に会うときは敵同士かもしれんな」
「ふんッ。それならそれで楽しみだ。貴様とはいやになる程肩を並べて戦ったからな。次は陣営を別にして戦うもまた一興」
 月明かりの下で交わされた言葉はただそれだけ。
 もともとあまり交流できる立場にない二人だ。こうして月光の下で語れるだけでも運がいいと言える。
 事実、二人が拳を付き合わせた瞬間、周囲の森の木々は確かにざわめいた。森に潜み、彼らの動向を伺うそれぞれの部下、そのうち血気盛んなものが飛び出そうとしたのだろう。
 しかし言葉にはしない。互いに苦笑するに止める。
 言葉にすると何が起こるかわからないから。特に、今日のように月が照らす大地では。
 言葉にすることなく、今日月が出ていなければよかったのに、と思う。
 二人は突き合わせた拳で言葉よりも雄弁に語り合うと、拳を離し同じタイミングで体を反転。それぞれの部下が待つ場所へと歩き出した。

 エバが目を覚ますと、そこは月明かり照らす大地ではなく、見慣れた自分の部屋だった。昨日の宴会で飲みすぎたせいで未だに喉に違和感がある。
「エバくーん?そろそろ起きた方がいいよー・・・・・・って、もう起きてるんだ。珍しい」
 ベッドから上半身だけを起こし、窓から見える空をぼんやりと眺めていると、部屋の扉を開けて赤毛の女が入ってきた。付き合い始めてそろそろ3年になるミマイだ。
「珍しいとは失礼な。俺だって目覚めのいい時はある」
「いつもは私が起こそうとしても抱きついてくるだけで絶対に起きないくせに」
「よく覚えてないな・・・・・・。ちょっと状況を再現してみよう。何かわかるかもしれない」
 己の隣を叩くが、ミマイはこちらを半眼になって見つめるだけだ。
「いいから。早くおりてきてご飯にしようよ。そうじゃないとまた仕事に遅れるよ」
「それはいかんな。またうるさい部下に怒鳴られてしまう」
 エバはベッドから抜け出ると、ミマイの体を浅く抱きその唇に軽く口付け。
 そのままミマイを伴い一階に降りた。目を覚ますまでに見ていた夢に想いを馳せながら。

 その日の朝食はいつもとは違った。
 もっとも、エバにとってミマイの用意する食事ならそれがどのような内容であっても満足であるので、テーブルの上に並べられたメニューに不満があるわけではない。
 ミマイの方を見ると、肩をすくめ、その顔は眉尻の下がったものだ。どうらや彼女も困っているらしい。
 エバは、彼女が困っている原因となっている軍服の男を後ろから持ち上げると、講義の声も無視して家の外に放り投げた。
 放り投げる寸前、男は魔物が近づいているので、今日から迎撃準備を願います、と言った。
 


 エバの家の朝食に軍服の男が現れて数日後。
 部屋の中には二つの人影。
 ベッドに横たえられた男と、そのベッド脇で泣きはらした顔で眠る女だ。
 外は月の光が差し、今が夜であることを世間に語る。
 やがて、女、ミマイは目を覚ますと状態を起こし、男、エバの頬を軽く撫でた。
 すると、まるでそれが合図だったかのようにエバの目が開かれる。
 驚き、目を見開くミマイ。
 エバはそのミマイを目にすると、いつもとは比べ物にならないほど弱々しい笑みを浮かべた。


「悪い、心配かけたか・・・・・・」
 エバがそう言うと、ミマイはその顔に笑みを浮かべた。泣きはらした目尻が痛々しいが、笑ってくれたことにエバは安堵した。


「痛ッテェ!!」
 安堵したエバを叱責するかのように、エバの脇腹が激痛を訴える。とっさに大声をあげたエバだが、その声がまた傷に響き、さらなる痛みをエバに与える。もしや傷が開いたか、と思い傷のある脇腹の方を見るが、大したことではなかった。笑みを浮かべたミマイがエバの包帯の巻かれた脇腹に手の平を押し当てていたのだ。
 一見、患部をいたわっているようにも見えるそれだが、押し当てられている手のひらにはかなりの力が込められており、生死の境をさまよった原因の場所を押されているエバはたまったものではない。


「イタイ・・・・・・!イタイ・・・・・・!!痛いって・・・・・・!!まじで・・・・・・!!」
 叫ぶことが患部に響くことがわかったエバが、傷に触れない程度の声量でミマイに傷の痛みを訴える。
「え?何?よく聞こえないんだけど」


 エバの訴えに、ミマイはどこか凄みのある笑顔を浮かべたままでその手をどけてくれない。自力でのけようとミマイの手を掴むが、脇腹の痛みが酷いため、ミマイの手をどけるだけの力が入らない。


「ごめん・・・・・・!俺が悪かった・・・・・・!」
 これまでの付き合いで、ミマイが理由もなくこんな暴挙に出たことはなかった。そしてその理由は大体においてエバが悪かった。とにかく今はこの痛みをどうにかしようとエバは必死で謝った。が、どうやらその行為はミマイのお気に召さなかったらしい。脇腹に込められる力が増す。

「・・・・・・ッ!!」
 もはや声にならない悲鳴をあげるエバ。

「エバくん。今絶対に私が怒ってる理由もわからずに適当に謝ったよね」
 言われる通りだったので必死に頷く。今はとにかくどうして自分がこのような仕打ちを受けているのかの理由を知らなければ、本当に再び死んでしまうかもしれない。この世にはどうやらあまりの痛みで死ぬ、ということもあるらしいのだから。
 そんなことでミマイに悲しみを生むのはエバとしても望むところではない。もっとも、今の仕打ちを考えるにこの痛みが原因で本当に死んでしまってもミマイが悲しんでくれるかどうか怪しくなってきたのだが。
 そんなことを思い、あ、俺結構冷静かも。痛みでちょっと頭いかれたか・・・・・・?と自己分析していると、それまであった痛みの原因が遠ざかっていった。
 痛みのあまり若干涙の浮いた目でそちらを見やると、ミマイの手が傷口から離れていくところだった。
 息も絶え絶えにミマイの方を見ると、それまであった笑みが嘘のようにその目には再び透明な雫が浮かんでいる。

「ミマイ・・・・・・?」
「私がどれだけ心配したかわかってる?わかってないよね?わかってないから心配かけたか、なんて聞いてきたんだもんね?」
 その言葉で、自分の過失を理解したエバは、申し訳なさに腹の底があぶられるような感覚を得る。

「でもだからって傷口を・・・・・・」
 口答えしようとしたエバの目の前で、ミマイの右手が持ち上げられる。先ほどまでその右手が生み出していた痛みを思い出したエバは顔面を蒼白にする。

「ごめんなさい。俺が悪かったです」
「わかればよろしい」
 右手を下ろし、ミマイの顔に笑みが戻る。相変わらず目には溢れた感情の塊があったが、それは指摘しない。

「で、なにがあったの?さすがの私も扉を開けたら血まみれのエバ君が立っててびっくりしたんだけど」
 先ほどまでの仕打ちと、その泣きはらした目を見るに驚いただけでは済まなかっただろう。普段から泣くことを見られることを拒み、人前であろうとなかろうと泣くこと自体を拒絶している彼女だ。その彼女が泣き腫らすとなるとよっぽどのことだ。ここにきて、エバはことの重大さに気がついた。

「ごめん」
「どうしたの今更。さっき謝ったのは嘘だったの?」
「いや、ミマイが泣いてたのがわかったから」
 エバの言葉に、ミマイの目から雫が零れ落ちる。それまで堪えていた感情が溢れ出るかのように、ミマイの目からは次から次へと涙が溢れる。

「なに、今更気がついたの・・・・・・?」
 その涙を拭おうともせず、ただ溢れるに任せて、ミマイがそう問うてくる。
「いや、わかってた。わかってたけど、その意味がわかってなかった」

 一体付き合い始めてどれだけ経っているのだ。彼女がエバの前で泣いたことなど、それこそ数えるほどしかなかったし、泣いた理由もたった一つしかなかったのに。
「心配かけたよな。もう心配かけない、とは言えないけど、できる限り努力するから」
「そこはもう私を泣かさない、ぐらいのことは言いなさいよ」
 それはできない、と首を振る。エバの職務は軍人だ。軍人としてやっていれば今回のように命を危険にさらすことも出てくるだろう。
「それは約束できない。だってそんな約束したら俺は家から出れなくなっちまうよ」
「そうね。そんな約束されたら、私の好きなエバ君じゃなくなっちゃう」
 ようやく平常運行、と言える状態までミマイが回復したのを感じたエバは、ミマイにこれまでなにがあって、どのようにしてあの傷を負うことになったのかを説明した。
 街の郊外に魔物の軍勢が現れ、それの防衛に当たったこと。
 魔物を指揮するものがいて、これまで以上の苦戦を強いられたこと。
 旧友の助けを借りてその指揮官の討伐に成功したこと。
 そして、勝利の喜びをその旧友と分かち合っているとその旧友に脇腹をえぐられたこと。
 そこまで説明すると、ミマイの顔には激情が浮かんだ。
「それってナツでしょ?あいつ許せない・・・・・・」
 怪我をおった経緯を話したエバは、一人怒りに震えるミマイをよそに、顔を窓の外に向けた。そこには満月がちょうど浮かんでおり、この空をどこかで見ているであろうナツに想いを馳せる。


 ナツ。
 かつては戦場で肩を並べて戦い、先の戦いでエバにナイフを突き刺した男。夢で拳を合わせた男。まさか夢の通りに敵として相対することになるとは思わなかったが、少なくとも今は考えたくない。
 ナツが本格的に敵対しているのだとしたら、今回エバにトドメを刺せなかったのは最大の失敗だろう。油断を誘うためだったのかもしれないが、エバを確実に排除するなら、魔物を指揮していたものと共闘すればよかったのだ。
 本気でナツを憎めないのはこの疑問があるからだろな、と気持ちに整理をつけたエバはしかし内心でほくそ笑む。
 少なくとも仕返しはした。
 ナツはミマイのことが好きだった。そのミマイに嫌われたとなればかなりのショックを与えることができるだろう。
 そこまで考えた時、エバの腹が食事を求めて大きく鳴いた。
 ナツに対する恨みごとを垂れ流していたミマイと、ナツの真意を図ろうとしていたエバは共に目を大きく見開いた。
「晩ご飯にしよっか。何か食べれる?」
「ミマイの作ってくれたものならなんでも」
「そういうのが一番困るんだけどなぁ・・・・・・。じゃ、ちょっと待っててね」
 ミマイが部屋から出て行くのを見送り、エバは自分が生きて帰ったことを実感した。 

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