謝罪会見
「大変なことをしやがった。非常に申し訳なく思っている。おら、何してやがる。テメェが真っ先に謝らんといかんだろうが」
そう言って、テレビに映っていた男が、後ろに控えていた人物を前に押し出す。それを、テレビの前の人々はただ呆然と眺めていた。
見上げてもなんの光源もない空の下を歩く。
光源は空になくとも、街灯に照らされた住宅街を歩くのはなんの問題もない。
街灯に集まった虫の群れの下をなんとなく避けて通り、コンビニまでの道のりを進む。
夜空の様子が変わってしまってから早3年。
こうなったしばらくは色々な偉い人がテレビの中で騒いでいたが、ここ最近は現在の夜空について騒ぎ立てる偉い人も出てこなくなった。おそらく『月の光や星の光が届かなくなることでどのような異常が起こるのか?』世界中のすべての人が不安に思っていたことだが、3年経ったいまでも異常と言えるようなものは何も発生していない。月夜の晩にしか産卵しない生き物は、一見月など出ていなくとも周期的に産卵していることが確認された。
さすがは神様、どうやら科学も神様の超常の力の前にはどうにもならないらしい、という人と、そもそも現状を引き起こしたのがその神様なんだから、そんなに持ち上げる必要はないんじゃないか?という意見が世間を占めている。
あの日、夜空から星と月が消えた日のことを思い出す。
その日は普段と変わらない一日だった。
いつも通りに朝起きて、いつも通りに学校へ行き、部活を終えると家に帰って母の小言を聞き流しながら夕食を食べ、父の視線から逃れるように月灯りのもとコンビニへ向かった。
異常が起こったのはそんな時だ。
周囲が突然暗くなったのだ。
何事か、と思い周囲を見渡すが、街灯は変わりなく道路を照らしている。首を傾げ、さらに周囲を伺い、驚愕した。
空がまるで墨汁を満たした硯のようになっていたからだ。
ただ事ではない、と思い、踵を返すと家へと舞い戻る。この異常事態についてなにか情報はないか、と思ったのだ。家に帰るとそこではテレビの前で父と母が呆然とテレビ画面を見つめていた。
「ただいま、何が起こったの」
「あぁ・・・・・・、戻ったか・・・・・・」
いつもは無駄に大きな声で話す父の声にも力がない。テレビの前に向かい、二人の視線が集まる画面にさらに視線を浴びせる。
「えー・・・・・・。本当に申し訳有りません。全ては私のミスでございます。こんなつもりはなかったんです。まいてしまったペンキは生き物に影響はありません。太陽の光を遮るような強いものではないので、昼間になれば問題なく太陽の姿は確認できます。それは今、日が昇っている地域の方に聞いていただければすぐにわかります」
テレビのスピーカーから聞こえてくる内容がよくわからない。
「今昼間の地域の方も、夜になっても決して慌てる必要はありません。しばらくすればペンキも洗い落とされますので」
それでは、というと、テレビは一度暗転した後、この時間に放送されていたであろうドラマが再開された。この時間に放送され、見たいアニメを妨害する憎いドラマが、いまは日常の訪れを告げるようで少しありがたい。
「・・・・・・なにこれ」
そのつぶやきを最後に、部屋は沈黙が支配した。人間、あまりにもおおきなことが起こると何も考えられなくなるんだな、というのと、墨汁じゃなくてペンキだったか、漠然とそう思ったのを覚えている。
本当に大変だったのは一夜明けてからだ。
テレビはどこもこの夜空について勝手な憶測を交えて、今後起こるであろう異常気象などを主張しており、そこらへんのスキャンダルなどに割く時間などないと言わんばかりに一日中夜空について議論していた。時を同じくして結婚した有名俳優がおり、平時であれば大層騒がれたであろうに、と少し同情した。そしてあれが全世界の電波をジャックした放送でないことは、SNS上でのつぶやきで確認された。
いわく、『あれ、確かにあの時間変な放送があったのにちゃんとアニメが録画できてる・・・・・・?どういうことだってばよ?』。
そう、訳のわからない謝罪会見の様子は録画されておらず、その時間に放送されるはずだったものがきちんと録画されていたのだ。
それから色々なことがあった。大変だったのは唯一神教や神は絶対だと信じる宗教団体だ。なにも言わなければよかったのに、なにを思ったのか、失敗だと自分で言ってしまった上に、その背後には他の神様と思われる連中が謝罪する神様の後ろで腕組みして睨みつけていたのだ。神の絶対性は揺らいでしまったし、神様が一人じゃない、というのもこれ以上ない形で人に見せてしまった。
宗教観が適当で、神様すらもサブカルの餌にしてしまう日本に対した影響はなかったが、世界各国では様々な影響があったらしい。PCの前に張り付き、ニュースなどろくに見ない俺はイマイチ実感できなかったのだけれど。
影響として印象に残っているのは、どこかの国の偉い人が失態を犯した際のひとことだ。いわく、『神様も失敗したんだ!人間の俺が失敗して何が悪い!』。その時の会見の様子は動画共有サイトに投稿されかなり有名になった。そこまで言うつもりもなかったんだろうが、見ているこっちが同情してしまうようなきつい追求だったので、よほど追い詰められていたのだろう、と推測される。なにしろその人はとある宗教の敬虔な信徒で有名だったのだ。普段であれば、その発言をした人を非難する側に立っているであろう人である。
そんな風に3年はあっという間に過ぎ、未だに夜空は戻ってこない。
こうなった元凶をどうにかしようとしても、相手が神様であればどうしようもない。もっとも、偉い人たちはどうにかする方法を探って未だに頑張っているのだろうが、少なくとも俺は何をどうすればこの状況が打開できるのかわからない。自分がわからないことをどうにかしろと騒ぐのは嫌だったし、そもそも俺一人が騒いでもどうにもならない。抗議する相手が言葉の届く範囲にいないのだから当然だ。
3年も夜空を見ていないとふと寂しさを覚える。
それまでは夜空などまともに意識したことがなかったというのに自分勝手な話である。
俺は真っ黒になって久しい空を見上げる。
見上げた空に、一つ小さな星が光った気がした。
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