夢と希望じゃなくて、夢と目標
実家に2ヶ月ぶりに帰省した。
何だかんだ、高知に引っ越してもなお、友人の結婚式やら、家族行事やらでちょこちょこ帰省してるんだけど。
今回も祖母のお見舞いと祖父の命日のお参りという名目で帰省した。
わたしの家族は、親戚同士も比較的仲が良い、というかめちゃくちゃ結束力が固いので、なんでも共有してる。そして気がつけば仕事のこと、キャリアのこと、プライベートなことも、両親以外に筒抜けなのである。
そして、30歳になってからというもの、身内プレッシャーを感じることが多い。これってアラサーあるあるなのかしら。
今回も、そんな親戚勢揃いの中で、わたしの仕事の話題になった。
契約で働いてるということで、不安定であること、将来をどうしていきたいのか、どう考えてるのか、などなど。
正直、自分が考えてることを上手く説明する言葉を持ち合わせてなくて、理解できない、という想像どおりの反応だった。
しばらく話を聞いていた、伯母がそっと言った。
"夢と希望"と"夢と目標"って違うのよ。
伯母は、わたしの家のすぐ隣に住んでいて、小さい頃から可愛がってくれた、共働きのわたしの両親の良きサポーターでもある。自分自身、様々な仕事を経て、会社を経営する、尊敬できる女性の一人。
そんな伯母からの言葉にわたしはハッとした。
わたしが考えているのは、地に足が付いてない、ふんわりとした、目的のない夢と希望。その夢と希望を叶えるための指針がないということに気づいた。
やりたいことはたくさんあれど、それらをどうやったら叶えられるか、数字がついていないことにも。
続けて、こうも言った。
夢や希望があるなら、そこにきちんと数字を入れなさい。指針のない夢は叶えられない。きちんとたどり着くためのビジョンを持て。
と。
人生100年時代、まだまだ30年そこそこだから、これからも悔いなく人生を歩んでいくために、どんな風に生きていきたいのか。
時間をとって考える時に来ているんだと思った。
サカタミオコ (Mioko_Agu)