事例小説「ニュージェネが手に入れた港の焼き印」
はじめに
これはアグリプロモーション(https://www.agri-promotion.org/)の取り組み事例小説です。
物語りの舞台は、日本を代表する水産都市である静岡県焼津市。
その地で働く水産加工従事者の若者たちにフォーカスして、地域ブランド創造のストーリーを実話をもとにして書いたものです。
主要な登場人物
〇ニュージェネたち
佃煮屋「増岡信吉商店」 増岡結、弟)信太、母)信子、祖父)信三
鰹節新成屋(しんなりや) 水岡優斗、鈴本瑞樹、森俊介
なまり節屋「さかなお」4代目 坂口直久
〇ニュージェネを支えるドタバタ役人
焼津市役所の職員 鈴本和幸(カズ:鈴本瑞樹の兄)
焼津市役所の職員 元木祐介(カズの上司)
〇港の焼き印を紐解くメンバーたち
静岡ヒューマンサービス 杉本緑(アイディアバンク事業リーダー)
静岡ヒューマンサービス 南田公大(緑の新しい上司)
甘川次郎(㈱イレブン代表:焼き印の秘密を握る人物)
川崎真奈美(食材商社㈱川崎商店の代表:杉本緑の親友)
皆藤敏明(干し芋小説の主人公カットン)
尾尻孝弘(クラフトビール屋『OHINBULL』の店主)
プロローグ
「もう、かんべんしてくれよ。間に合わないよ」
「何言ってんのこの子は、まだ初めて2時間もたっていないじゃないの」
「だいたい俺が工場長をやるなんて無理なんだよ。山次(さんじ)さんにやってもらえばいいじゃないか。オジイだってたまに来てくれるんだから、大丈夫だろ」
「信太、なんてこと言うの。こんな時に」
静岡県焼津市で約100年続く老舗の佃煮屋『増岡信吉商店』では、年末商戦用の佃煮づくりが山場を迎えていた。取引先の百貨店からの注文生産を始めなければならない状況でもあり、工場内はみなピリピリとしていた。
「結が社長をやってくれるんだから、あんたが工場長をやらないでどうするの」
「まあまあ女将さん、信太くんもあれで頑張っているんだから、穏やかに行きましょうよ」
「山次さん、あまり信太を甘やかさないでくださいよ」
食文化が変わり、斜陽産業化した佃煮製造現場には、労働者の高齢化が進み、ここ増岡信吉商店では先代が歳早くに病気となったこともあり後継者問題が若い姉弟に重くのしかかっていた。それでも年末は佃煮の注文が大量に発生するので、工場内には活気と怒声が行き交う。
父親の病気が発症してから家の仕事を手伝いはじめ、飲食業界での仕事と佃煮づくりを兼業してきた増岡信太は、繁忙期になる前に工場長就任を姉の増岡結から言い渡され、飲食の仕事はその時に辞めていた。
結は、信太が工場長になる2ヵ月前に、信子の反対を押し切って自分が社長をやると申し出た。炬燵に座ってお茶をすすっていた祖父の信三は何も言わずにニコニコと笑っているだけだった。
「信ちゃん、信ちゃん」結の呼びかけを無視する信太。
「信太、信太ッ‼ 聞きなさいよ。わたしたちがやらないで、他の誰がやるの」
姉の激高に一瞬怯んだが、そのおかげか信太の本音が爆発した。
「ここには何があるんだ。つくだ煮屋には未来があるのか? 俺には夢も希望も見つけられない。何にもないんだよお」
「信ちゃん」
・
「そうですか、信太くんがそんなことを」
「真奈美ちゃん、なんかゴメンね」
「いえいえ、信子さん、私には何も言えないですが、とっても大事なことだと思いますよ。佃煮屋の未来ね。なんかこっちも身につまされます」
「そういえば真奈美ちゃん、松竹百貨店の古庭さんからの引き合いのお年賀用の注文ありがとうね。ほんと、あなたは地元の人たちのことを気にかけていてくれておばさん嬉しいわ」
「いえいえ、商社の仕事の一環ですから。それにしても、なんか気になっちゃうなあ、結ちゃんにも話を聞いてみようかな。ね、信子さん、そうしてみます」
・
数日後
焼津のクラフトビール屋『OHINBULL』の店先に立つ結。
以前から気になっていた店だが、なかなか機会に恵まれずにいた。初めて訪れる店の様子を伺う結は、目当ての相手がカウンターにいるのを見つけた。
「真奈美さん、お待たせしました」
「おおお、結ちゃん、Welcome~~~」
いきなりハイテンションの歓迎に尻込みするが、真奈美の右手には見たことのない大きさのビールジョッキが見えた。そういう事か。
「真奈美さん、今日は時間を取ってもらってありがとうございます」
「イエーイ。まあ、飲もう。 店主、こちら佃煮屋の増岡結ちゃん。7番のビールを追加でお願いね」
「はいよ」
店主の尾尻孝弘は、気さくな感じの男で、初来店の結を気遣ってか、地元ネタなどを話しかけながらビールを注ぐ。居心地も良く、黒板にホワイトチョークで書かれた銘柄は、店主こだわりのラインナップのようだ。
「さあ、乾杯しよ」「お願いしまーす」キンッ、ゴクッゴクゴク、ウマッ
「どう、落ち着いた」
「はい、落ち着きました。改めて、今日は、お誘いいただきありがとうございます」
「いいのよ、そんなにかしこまらないでよ。なんか硬いなあ、明るく行こうよ、イエーイ」
結は、今この場で真奈美に相談するべきかどうか迷ったが、とりあえずは、これ以上彼女が酔う前に少しだけ自分の想いを話しておこうと思った。
「ああっあの、真奈美さん、ちょっと相談があって」
「信太くんのことでしょ。信子さんから聞いたよ。いいよ、結ちゃんの気持ちを話してみて。わたし酔っぱらって忘れてしまうかもしれないけどね」
真奈美はビールジョッキから手を放さずに、結を見つめた。
増岡結には夢があった。というよりも、夢を抱くようになってきた。
大好きな祖父の信三が守り抜いて来た増岡信吉商店の佃煮の味と創業時から受け継がれてきた手作りの製法を次の世代に繋ぐこと。
わかる、それは四代目の責任として成し遂げなければならない。
でも世の中は変化している。
佃煮を食べる文化が変わってきている、食べる人が減少してきているのに、ベテラン従業員や職人たちは頑固で変化を嫌う。そして、わたしの考えを容易に受けいれてくれない。
それは、増岡信吉商店の味と技術を守るためなんだろう。
わかる、わかる、あーーーでも、
でも、わたしは。佃煮を今風にお洒落に進化させた商品づくりもやってみたい、可愛いギフトもやりたい、SNSでバズらせるような取り組みもやってみたい。新しいことにチャレンジもしたい。
結は、思いの全てを真奈美にぶつけた。
「あれ、信太くんのことではないの。ていうか、結ちゃんも信太くんも悩みもがいていたんだね」真奈美は、まだ正気である。
「はい、そうなんです。信太から本音を聞かされてハッとしたんです。あの子も信三爺ちゃんが大好きだから、工場を守るためにやってくれているんだけど、同じように悩み苦しんでいたんだと。もしかしたら、わたしが迷っているから、あの子をあんなに苦しませていたのかもしれません」
食品商社の営業責任者である真奈美にとって、結からの相談は商社の人間として、地元焼津の人間として他人事ではすまされないことであった。
しかし、結の話を聞きながらも追加のビールは忘れてはいない。
そして、なんだか無性に腹が立ってきた。
だんだん真奈美が酔い始める。
「真奈美さん大丈夫ですか」
真奈美の酔いが進むと同時に、地元への思いが爆発する。
「だいたいね、焼津のわけ―やつらはどうしたんだよ。みんなどこに行ったんだ。地元愛がないのか」
「真奈美さん、ちょっとペースダウンしてくださいね」店主は心配になり声を掛けた。
「うるさいなあ、店主、この結ちゃんはね、若いのに100年続く佃煮屋を継いだんだよ。偉いんだよ。それでも悩みもがいているんだよ。私らが応援しないで誰がやるんだよ」
離れた席で、鈴本和幸が賑やかなグループには入らずにひとり飲んでいた。
一際声が大きい席が気になり、目を向けると憤怒の表情でビールジョッキを握る川崎真奈美と目が合った。
「ああん、カズさん、来てたんだ」
「ああ、真奈美さんどうも、軽く飲んで帰ろうかなと思って少し前に来ました」
「結ちゃん、あの人市役所の鈴本さん、みんなカズさんと呼んでいるの」
「増岡さんですよね。前に一度、商工会議所のセミナーでお会いしています」
「どうも、増岡信吉商店の増岡結と申します。よろしくお願いします」
「ところで、カズさん、焼津の若者たちはどこにいっちゃったの。役所の人間として、この状況をどう考えているの、なんとかしないと、このままでは焼津の産業がなくなっちゃうよ」
そしてカズは、酔いが進む真奈美に絡まれ続け、軽く飲んで帰るわけには行かなくなった。
第一章
「杉本さん、新規事業のアイディアはどう? 」
「どう? と言われても、はいどうぞと言って出せるものではないですよ」
静岡ヒューマンサービスの南田公大(みなみだきみひろ)は、2022年1月に創設された新規事業開発室の初代室長を務めている。
開発室創設時には、同社の教育事業部からアイディアバンク事業が移設され、主担当であった杉本緑(すぎもとみどり)も同部門に移動してきた。
「ねえねえ、アイディアバンクになんか良いネタ無いの? 」
緑は、南田のこの軽さが好きではなかった。
南田は5歳年上の37歳。コロナ禍により地域産業が窮地に追いやられた時に、行政サポート案件に注力して会社の窮地を救った立役者として上層部からも覚え愛でたく、Withコロナとなる時代に会社を導くことを期待され新規事業開発室の室長に抜擢された。
南田の役員向け所信表明は凄かった。正直尊敬もできた。
2022年1月某日
静岡ヒューマンサービス第8会議室において、室長に任命された南田は、投影されるパワーポイントの折れ線グラフにポインターを当てながら、流暢に話をする。
「日本の世界での競争力ランキングは、30年前の1位から2021年には31位にまで下がっています。
そして、第4次産業革命が進む世の中で、日本の製造業の力が衰えている今、技術力と言うよりもこれまでのノウハウの伝承が途切れてしまっている感じさえもします。かつてのリーマンショックの時に、大手企業の大リストラの影響で、残った若手社員へのノウハウ伝承が十分になされず、組織としての課題解決能力が低下してしまったとも感じ取れます」
一呼吸をおき、役員の反応を見ながら次に進む。
「経済産業省の未来人材ビジョンには、
【新たな未来を牽引する人材が求められる。それは、好きなことにのめり込んで豊かな発想や専門性を身に付け、多様な他者と協働しながら、新たな価値やビジョンを創造し、社会課題や生活課題に『新しい解』を生み出せる人材である。そうした人材は、『育てられる』のではなく、ある一定の環境の中で『自ら育つ』という視点が重要となる】と記されています」
会場にいる杉本緑と目を合わせ軽く頷きながらつづける。
「そして、【次の社会を形づくる若い世代に対しては、
・常識や前提にとらわれず、ゼロからイチを生み出す能力
・夢中を手放さず一つのことを掘り下げていく姿勢
・グローバルな社会課題を解決する意欲
・多様性を受容し他者と協働する能力
といった、根源的な意識・行動面に至る能力や姿勢が求められる】と謳っております。
これらの背景から、静岡ヒューマンサービスは、未来人材育成を視野にいれた新規事業を展開するべき時だと確信しています」
あの時の南田の所信表明には、会社の未来を見据えたビジョンと具体的戦略やアイディアがきっとあるのだろうと思わせる熱量を感じられた。
あの時は。
・
杉本緑は、2018年の1月に飲食業界向けの広告代理店から転職してきた。転職して早々に当時の事業部長である山崎から新規事業立上げメンバーに任命されて、半年後にアイディアバンクのサービスをスタートさせることとなり、人材ビジネス業界でも注目の事業として、業界誌にも取り上げられたことがある。
アイディアバンクとは、公募したアイディアと企業等のビジネス上の困りごとや課題をマッチングして、問題解決に導くサービスのことをである。
ここでのアイディアとは、日々の生活や仕事、もしくは遊びをする中で【気になったこと】そしてそれに基づく【妄想やヒラメキ】などと捉えている。
問題意識や起業意識が高い人は、アイディアをビジネスにつなげることができる。しかし、多くの人はそうはいかない。
思い付きレベルのアイディアは、埋もれてしまうか記憶から捨てられてしまい、世に出ることなく埋没してしまうことが多いと思われる。
まずは、これらの埋没してしまうアイディアを、ICTとIoTを活用して集め、データベース化する。次に、それぞれのアイディアをビジネスイメージとして目に見える形にする。そのビジネスイメージを欲する企業や個人などとのマッチングをするのが、この事業の骨格である。
これにより、アイディアを公募する会社、つまり静岡ヒューマンサービスに様々なアイディアが蓄積され、アイディアを持った人材の発掘にもつながり、見える化したビジネスイメージに請負事業のプランや人材紹介、人材派遣などのリソースを付けたビジネスモデルプランの仕組みの提案につながっていく可能性がある。
結果として社内のコンサルティングノウハウの蓄積にもなる。
緑が以前のチームで考えたこのサービスで最も重要な要素は、若者たちがワクワクできる『夢溢れる世の中になること』のコンセプトを大事にすることとで、とても思い入れのある事業である。
プレゼンは上手い、人を惹きつける魅力もある。そして南田の所信表明からは、緑が強く思う若者たちへのサポート意識がうかがえた。
だけど、普段の南田はチャラくて、なにかとイラつくことが多い。
そして、良いことを言ってはいるけど、自分で考え行動しないところが腹立たしい。
「緑ちゃん、顔が怖いよ。なんか今日も荒れているね」
南田に対しての憎悪が顔に出ていたのか、なぜか足が向いてしまった焼津のクラフトビール屋『OHINBULL』のカウンター奥に腰掛け、アルコール度数10%の強めのビールを流し込むさまをみた店主が声をかけてきた。
「店主、今日はほっといて」
「ああ、こわこわ」
しばらくすると聞きなれた賑やかな声が聞こえてきた。
「緑ちゃん、久しぶりだね。どうしたの、顔が引きつっているよ」
「あ、真奈美さん。聞いてよもう。南田のやつ、あいつ、やっぱりキライだわ」
杉本緑と川崎真奈美は、静岡ヒューマンサービス社のアイディアバンク事業立上げ初期の頃に、ムスリム対応のジビエ食PRプロジェクトで一緒に仕事をしてからの仲である。
そのプロジェクトを進めるうえで商業施設でのイベントを企画したのは、アイディアバンク事業の登録スタッフである雨草知美で、プロジェクトの発表と雨草のイベント企画内容にあるテストマーケティングを清水の商業施設ホーププラザで行い、イベントの全体管理をしたのは、ホーププラザ経営企画室の谷川哲夫である。
このとき川崎真奈美は、ジビエ食材の調達と加工品開発を担当した。
ムスリム対応のジビエ食PRプロジェクトは、静岡市の中山間地域であるオクシズに独りでくらす仙人(滝川正則)が、アディアバンク事業に投稿した鳥獣害対策のヒラメキをもとにして、ビジネスプランナーの皆藤敏明と杉本緑がビジネスモデル化して、それをもとに雨草知美がイベント企画案をつくりホーププラザが採用した事例である。
・
真奈美のビールは何杯目のことか、すでに酔いがまわっている様子だ。緑も南田の悪口を一通り言い放って気が楽になり、負けずに杯を進める。
「はいるの、はいらないの? 」「はいりますよ」「おれも行く」
「だったら最初から言ってよ」
ビール屋の外が騒がしくなった。小柄な若い女性を先頭に、どことなくぼんやりしたイメージの男たちが後に続き店に入ってきた。
真奈美の隣の席から並んで陣取ったグループは、なじみのない若手たち。
「どこの人? 」
既に酔っている真奈美は、隣の若者たちに絡み始める。
「ああ、鰹節新成屋(しんなりや)です」
「ほお、浜通りのかつお節屋だね。どうしたの雁首揃えちゃって」
「ちょっと、よしなよ。ゴメンね。この人すでに泥酔なの」
「いやいや大丈夫ですよ、焼津っぽいです。わたし、鈴本瑞樹です。で、これが森俊介、あっちが水岡優斗です。今日は、水岡くんが上司に諫められてシュンとしていたので慰め会です。よろしくお願いします」
「そりゃいい、カンパーイ」
入社4年目になる水岡優斗は、新しい企画を考えた。イメージから言うと体験できる鰹節の商品化ともいえるだろうか。
削り節器を使って削る鰹節とは違い、削られて袋に入った鰹節とも違う、その商品を見るとナイフや包丁を使って削りたくなってしまう削り節である。
子供たちが興味を持って楽しく削ることをイメージして商品企画を考えた。
この企画に上司が激怒した。こどもにナイフを持たせる行為を表現すること、商品よりも行為を商品価値として訴求することなどに物言いがついた。
水岡は、詳しいことは話せないと言いつつも、あらましを話して二人に聞かせた。
「あんた、それであきらめるの? 」
「あきらめるというか、うちの会社では無理なのかもと思っています」
これには鈴本と森も同意した。最初の申請で良い反応が返ってこない商品企画が日の目を見ることはなかったからだ。
「その発想、面白いよ。もう一度やってみなよ」と真奈美はけしかける。
「いやだから、うちの会社ではちょっと難しいんですって」
そこで店主が若者たちの間に入る
「真奈美ちゃん、会社によっていろんな事情があるんだよ、できることもできないこともあるさ、ねえ緑ちゃん」
「どいつもこいつも、ああだこうだと出来ない理由ばかり言って、焼津の未来は絶望的だよ。やってみなけりゃわからないじゃないか、チャレンジしろよっ」と嘆き、真奈美は更に泥酔していく。
「なんなんだこの人は」と、水岡は目を細める。
「うるせえなあ。なんなんだよあんたは。やれやれって、チャレンジしろって。自分がやればいいじゃないか」と今まで黙っていた森が吠える。
「なんだって」
真奈美は森をにらみつけるが、少し考える間があり、思ってもみない言葉を発する。
「わかった。じゃあ、わたしやるわ」
緑は目を丸くする。
「緑ちゃん、あなたも一緒にやるんだよ」
「へっ」
第二章
川崎真奈美は頭を悩ませていた。
やるとは言ってみたが、自分に何ができるのだろうか。自分は何をやりたいのだろうか。
なぜこんなに苛立つのだろうか。
あああ、なんかもどかしい。
あの子たちのためにやれることって何だろう。
どうしたら、失敗を恐れずチャレンジができるようになるのだろうか。
地域の若者たちがどうしたら夢や希望を持てるようになるのだろうか。
天井を見上げ、目をつぶり、10秒ほどたってパッと目を開けた。すぐさま携帯電話を手に取った。
「ああ、もしもしカズさん、真奈美です。先日ね『OHINBULL』で新成屋の開発の若い子たちに会ってね、ちょっといろいろあって、やることになったの。だからちょっと相談に乗ってくれないかな」
「やるって、なにを」
「明日の午後は市役所にいるの? 行ってもいいかな」
「はい、いますよ。2時ごろどうでしょうか」
「了解」
「では2時に、それで、やるってなにを、、、」すでに電話は切れていた。
翌日、真奈美は市役所に赴き地域振興課の鈴本和幸を訪ねた。
「カズさん、昨日電話した件なんだけど、地域のこと、若者のこと、なんでもいいから、なんか感じることを聞かせてほしいんだけど」
「真奈美さん、瑞樹から聞きましたよ。あなたは、ほんとに焼津のことが好きなんですね」
鈴本和幸は昨夜、新成屋に勤める妹の瑞樹に真奈美の存在を話して、『OHINBULL』での出来事を一部始終聞いていた。
「うんっ? なに? 」
一方で、杉本緑もビール屋で真奈美に一緒にやるよと声をかけられてから、自分にできることは何かと思案していた。先日の鰹節新成屋のメンバーたちのことも気になるが、少し前に真奈美から聞かされた増岡信吉商店のことも気がかりである。
ひとりモンモンとしていてもしかたがないので、あまりあてにはしないつもりで南田にも相談をしてみた。
「そうか、焼津も伝統技術の継承問題や地域人材流出の危機を迎えている感じだね」
南田は、かねてより日本の伝統的ノウハウ継承を憂いていたが、緑からの報告を受けて、焼津にも同じ感覚を抱いた。
「杉本さん、地域ブランドって聞いたことがあるかな? いい機会だから勉強してみるのも良いかもね」
緑は南田のアドバイスを素直に受け入れ、『地域ブランド』とは何ぞやという段階から勉強し始めた。ビジネスプランナーの皆藤にも相談をして、関連図書を読み漁ってみた。
そして、その皆藤から、焼津で実施される地域ブランドに関するセミナーの話を聞き、焼津市の商工観光連合会が主催するセミナーに参加した。
・
「みなさま賛成いただきありがとうございました。続きまして、本日の基調講演をお願いする講師の甘川次郎さんにバトンタッチをしたいと思います。甘川先生は焼津市出身で、地元の大学を卒業後に東京の産地活性コンサルティング会社に12年勤め、2013年に独立をされて、地域ブランディングをメインテーマとする専門家が集うコンサルティングファームの代表をされております。
講演テーマは『みなとまち焼津に受け継がれてきた世界観と伝統継承』。そして、サブタイトルが、~若者は未来に希望を抱くことができるのか~ となります。
それでは甘川先生よろしくお願いいたします」
司会者がマイクを置いた後に、細身で長身の見た目で40代半ばから50代前半に見える男性が壇上に上がった。
「みなさんこんにちは。只今ご紹介に与りました株式会社イレブンの代表をしております甘川次郎と申します。先ほどのご説明の通り、わたしは焼津の浜当目出身で、今は東京でコンサルティングファームを経営しております」
場所は、市内の文化センター。
120名収容の第2会議室の2列目の右奥に鈴本和幸とその上司の元木祐介が着座している。
「カズ、おい、甘川さんは知っているの?」
「ああまあ、名前ぐらいは。甘川さんの弟さんが私より2歳先輩で同じ高校のサッカー部でした。わたしはバスケをやっていて体育館とグランドが離れていたので、話す機会は無かったのですが存在は知っていました。甘川さんのことはずいぶん後で名前を聞きました。確か観光の仕事を請け負ってもらったと聞いた記憶があります」
「そうか、まあ、いいわ」
「私が思う焼津とは、ひとつは、屋号の街ならではの意匠文化というかデザイン的なビジュアルで人や何かを認識する世界観をもっていると思っています。
もうひとつは、鮮魚等の生食材を美味しいいまま、又は、さらに美味しくして長期保存ができる水産加工技術産地として、個々の事業者が地域の統一化された技術志向を独自に磨き上げ、伝統と文化として受け継いできていると認識しています。
しかしながら、若年層の人材流出が課題として浮き彫りになってきていると聞かされ、地元焼津の産地力が弱体化することに目をつぶっていることができず、何かの力になれないかと思い、今日は、馳せ参じました。
この後は、私どもが携わってきた事業やプロジェクトの事例をご紹介いたします。いずれも普段は競合と言える複数の事業者や関係者が関わり、地域の統一ブランドを生み、継続しているものです。
まずは、産地の宝である地域資源とともに受け継がれてきた技術をもとにした地域ブランド『asahinekoプロジェクト』の事例をご紹介します」
後方の席に座り、甘川の話を食い入るように見つめる目線。
杉本緑は高揚していた。川崎真奈美が仕事の都合で参加できないことを残念に思ってもいた。
そして甘川の話は続く。
「asahinekoプロジェクトとは、
その概要は、岐阜県中津川市付知(つけち)町の木工技術と木曽五木といわれる地元の針葉樹を生かした新たなキッチンウェアの商品開発を行うと同時に、新しい販路を日本の都市圏や海外へも生み出し、江戸時代から続く付知木工産業を再構築するプロジェクトです。
伊勢神宮式年遷宮のご神木の里としても名が知られている付知は、豊かな木材資源をもとにした多くの木工産業がある産地で、地図で見ると日本のちょうど真ん中に見つけることができます。
なかなか聞きなれない地名ですが、ご存じの方はいらっしゃるでしょうか。
そして、asahinekoというブランド名は、先ほども言いましたが、この付知で育つ木曽五木といわれる地元の針葉樹『【あ】すなろ、【さ】わら、【ひ】のき、【ね】ずこ、【こ】うやまき』を使った生活道具の総称です。
この五木の頭文字からつくられた名前ではありますが、この呼び名は地元では子供が木の名前を覚えるときに教わる昔なじみの言葉で、付知に根付く木の文化をそのままブランド名にしてあります。
asahinekoプロジェクトの始まりは、付知の木工事業者が中心となり、自分たちの手で中津川北地域を活性化するために、地元の同業でもあり競合でもある他の木工業者で関心のある方々に関わっていただき2008年に立ち上げた取り組みです。
活動目的は、それまでの仕事の主流であった下請けやOEMとは違う、地元の木材資源を使った自分たちのオリジナル商品をつくることで、元請やメーカーに頼らなくても生活していける状況になるための取り組みにすることでした。
ただし、作ることはできても、一般の人に認められるデザインや多くの人に買ってもらうための販売は、自分たちでやるのは限界があるし、時間もかかるので、行政の支援も受けつつ、実績のあるデザイナーにasahinekoらしい商品デザインをお願いして、流通の専門家にも協力してもらって進めたのが始まりです。
2010年には、もっと地元の資源をつかって、このプロジェクトを大きく育てたいと願い、地元の木材を使った建材業者さんや建築業者・大工さんから、木材加工者まで様々な方を対象に参画事業者を新たに募る活動も行いました。
主要メンバーの木工事業者さんは、後にこう話しています。
『首都圏でテスト販売をやり、名古屋、大阪でも販売実績をつくることができました。フランスで行われる展示会に見学に行ったときは、今までよりももっと大きな視線でモノづくりの世界を見て、いいものも悪いものも含めて衝撃を受けました。必死に挑戦し続けている日本の中小企業もたくさんありました。
このプロジェクトは、今までの下請け仕事を営んできたときから比べると全くの新しいチャレンジでした。そして、不安と挫折の繰り返しでした。それでもやってこられたのは、地元の方や、このプロジェクトの思想に共感し協力してくれた専門家の方々、我慢してついてきてくれた家族がいたからです。心から感謝をしたいと思います』と語ってくれました。
今、この『asahinekoブランド』は、発足から15年以上たった今も継続しています。
継続している秘訣は、産地の事業者が主体となって、それぞれの得意分野を活かし、時にコラボレーションをして、デザイナーとともに新しい商品を生み出し続けていることと、そして、都市圏の販売事業者が応援団となり、プロモーション支援をしていることにあると思います。
ようするに企業や団体、業種の垣根を取り払い、ブランドが繋げたチームとして産地活性に取り組んでいることなんではないかと思われます。
そして、このブランドをきっかけに、各事業者には新たな引き合いが生まれ、別なネットワークを作り育っている実績もあります。
さてみなさん、付知の地域資源が針葉樹であるならば、この焼津は日本有数の水産資源の街ですよね。
そして、この地で受け継がれてきた水産加工技術のすばらしさは、焼津人としての私の誇りでもあります。これは付知の地域資源とともに育ってきた木工技術と似ている面もあるかと思います。
このasahinekoプロジェクトのような取り組みは、やろうと思えばすぐに実現できるのではないかと思うのは私の妄想でしょうか」
「カズ、これは面白いな。甘川さんが言う通り、焼津でも直ぐにできそうな気がするなあ」
「確かに、森林産地と木工技術、港町と水産加工技術、それぞれに地域資源があり、そこから生まれ発展してきたモノづくりの土壌がありますね」
一瞬、甘川とカズの目が合う。
「何か気になるコトがありましたか」
「はい、とても共感できる事例でした。別の機会に具体的にお話をうかがいたいと思います」
「それはありがとうございます。それではもうひとつのお話しをします。次の事例は、農業産地のブランド野菜についてなのですが、約3年を通して関わった思い入れのある取り組みです。ここでは地域ブランドの未来を憂う中堅と若者たちの想いをテーマにお話しします。
みなさん、静岡県出水市(いずりみずし)のブランド野菜である『富士山麓水恵野菜(ふじさんろくすいけいやさい)』は聞いたことがあるのではないでしょうか。テレビや雑誌などのマスメディアでも度々紹介されているので、なじみ深い野菜かと思います。
もともと、古くからこの地の野菜は、富士山の伏流水とミネラルが豊富な土壌に恵まれ、各方面から美味しい美味しいという声をいただいていました。
2012年に『富士山麓水恵野菜』の商標登録をして、その後に協議会が設立され、協議会の運営で商標管理と認証農家による安全で安心な野菜の栽培がおこなわれています。
私が関わるキッカケになったのは、『富士山麓水恵野菜』をさらに広く認知させることのお手伝いをさせていただくことが大きなくくりの仕事でしたが、その仕事の一環ではあるのですが、商標登録をしてからの数年後に、隣接地やまったく関係のない地域から、類似の名称を使った野菜が出始め、それらのまがい物を取り締まることができないかという個別相談を受けることになったのが始まりです。
協議会には地域の農業関係者が顔を連ねており、定期的に会合を開き、ブランド認知向上をメインテーマに話し合っていきました。
しかしながら半年も続けると、まがい物をどう取り締まるのかを重きにした内容に変わっていき、会は次第にネガティブな発言が多くなりました。
あるとき、協議会に参加していた農水連(農水振興連合団体)の中堅社員が発言をしました。
『ちょっとよろしいでしょうか。すこし前から違和感をも持ち始めていたのですが、このままニセモノやまがい物を取り締まることを議論していてよいのだろうかと考えていまして、仮に取り締まりルールができたとしても、いたちごっこになってしまうのではないかと危惧しています。いかがなものでしょうか。
他を取り締まる前に、自分たちは、そして、富士山麓水恵野菜の認証農家さんたちは、自分たちの農業への取組みや地域特性のある栽培方法を、自信をもって地域の若者たちに、他産地に伝えることができているのだろうかと自分自身にも問うています。
どうせなら、自分たちの目指すべき農業の姿を明確にして、そこに向かうための行動指針と良い農業を維持管理するための基準を作って、認証農家さんや関係者みんなで取り組めるものにしたらどうでしょうか』
地域農業界の重鎮や農水連の上席たち、そして行政関係者が集まる協議会の中でこの発言をするのには、とても勇気がいることだったかと思います。
ただ、ゆるぎない言葉の強さを感じました。
農家さんの未来を、産地の未来を想っての発言だったことは容易に想像がつきます。
本来なら私が言わなければならない立場なのかもしれませんが、産地の当事者からの発言はとても素晴らしいものでした。
その場にいて、心が震えたことを今でも忘れません。
この発言で協議会の空気がガラッと変わりました。実は参加者の多くが疑問に感じていたのかもしれません。その後は活動がポジティブなものに変化して加速していきました。
真っ先に決めたことは、めざす農業の姿を【日本一美味しい野菜を目指して】というスローガンに、そして、ブランド管理の考え方、農薬・肥料の取扱いを含む安心・安全への取り組みなどを行動指針としてまとめたことです。
これをB5サイズのデザイン色紙に印刷して額にいれ認証農家さんに配布しました。
どの農家さんも玄関や作業場の見えるところにその額をつけてくれてました。
その後、行動指針に紐づく農業基準を、現場の農家さんや富士山麓水恵野菜を扱う飲食店さんなどにインタビューしながら、農水連の若手スタッフとタッグを組んで、最終的に数十個のチェック項目を作成して、農業基準を運用するためのツールの叩き台を協議会メンバーにお披露目しました。
そのお披露目の場で、農業基準の分類やチェック項目の意図と詳細説明をやり、一部の分類以外はほぼ問題ないと言う協議会メンバーの回答をいただき安堵していたところに、
『なんかしっくりこないなあ、読みづらいのか、言葉が難しいのかなんとも言えない』という重鎮の言葉で、差し戻しとなりました。
その後『まだ、しっくりこない』と何度か言われ、3度目の修正をしている際に、言葉をできるかぎりかみ砕いた表現にする最終調整をして、そのために文字量が増え、レイアウトを変更することになりました。
これは、こぼれ話なんですが、
それまでは、A4サイズの横型デザインでツールを作成していたのですが、縦型のデザインに変えることを、やむを得ずという言い訳っぽい言い方をして提案してみたら、
これなら読む気になると即決になりました。
内容は、ほぼ一緒なのに、縦と横の違いで採用されました。
そして農業基準づくりが大詰めとなる段階で、チェック項目づくりのインタビューに協力してくれた若手農家たちからある提案をもらいました。
農業基準の分類の中に、未来の予測や計画性の有無と戦略思考にマーケティング思考などの消費者のニーズや動向をキャッチするような項目も入れてほしいと懇願されました。
彼らの、自分たちでも未来を描きたい、希望を持ちたいと願ってのことだったと理解して、農業基準のチェック項目に選択項目として盛り込みました。
これには違和感を持たれる協議会メンバーもいましたが、若手農家たちの熱い想いをそのまま伝えさせていただき了承を取りつけました。
このようにして出来上がった富士山麓水恵野菜農業基準は、今も継続して運用されています。この農業基準は、出水市の農業にとって、未来をつくるための宝のひとつになったのです。
産地を、地域ブランドを脅かすものは、そのほとんどが対外的な脅威がほとんどかと思います。しかしながら、自分たちの心の中にもあったのかもしれません。
目指すもの、行動指針、農業基準が定まることで核となるものができ、関係者の言動にぶれがなくなっていく様が肌感覚で感じられました。
結局、産地を、地域ブランドを奮い立たすものも自分たちの心の中にあるのかもしれませんね。
今、私のような中堅層が感じる焼津へのもどかしさについて。
みなさんはどうでしょうか。
私たちがもどかしさを感じているんだから、未来をつくる焼津の若者たちニュージェネレーションは、どんなに不安であろうか、絶望していないだろうかと危惧しています。
それでも、以前に焼津市の観光のお仕事をさせていただいたときの一緒に働いた仲間から、一部の若者の中には新しいチャレンジをし始めているものもいると聞いています。
ここ最近の私は、その一部の若者も含めて、自分たちよりも一分一秒でも長く生き未来の可能性があるものたちに対して、何ができるのかと考えることが多くなりました。
もし共感できるのなら、ここにいる皆様にも一緒に考え行動していただきたいと思っております。
ご清聴ありがとうございました。今後ともよろしくお願いいたします」
・
セミナー終了1時間後、鈴本和幸は株式会社川崎商店の応接室で川崎真奈美を待っていた。市民文化センターを出る前に甘川をつかまえ、次の面会の約束を取り付けていた。そのことを真奈美にSNSメッセージで送っていたが、念のため彼女の会社に立ち寄ってみた。
「カズさん、ごめんごめん待たせちゃったね。メッセージ見たよ。でも、わざわざ会社に来てもらわなくても良かったのに」
「帰り道の途中だし、直接話したほうがよいと思いまして。押しかけてきちゃいました」
「そう、ありがとうね」
「それで、甘川さんの印象なのですが、物腰柔らかに見えますが、真奈美さんと同じ血潮のようなものを感じました。日程は先ほど連絡した通り、時間はこちらで指定頂いて良いそうです」
二日後、真奈美は、甘川次郎と市役所の会議室で面会をした。鈴本和幸も同席している。
その際に、商店街の空き店舗を利用したコミュニティビジネスを始めている若者や、浜当目で鰹のなまり節加工業を営む4代目の坂口直久が、本業とは違う顔をもち、環境活動を軸に地域貢献をしていることなどを知る。
その坂口は30代前半で家業を継ぎ、甘川の実家にも近く、焼津の街と水産加工業の衰退を憂い、今後どうしてよいのかを甘川に相談にきているのだという。
真奈美も、増岡信吉商店や鰹節新成屋の若者たちのことを話し、彼ら焼津のニュージェネたちがワクワクできるものは何だろうかと一緒に語り明かした。
「こんにちは」
「おお、来た来た。緑ちゃんだ。甘川さん、親友の杉本緑さんです」
「甘川さん、初めまして。先日の講演を聞かせていただきました。とっても感動しました。とくに、岐阜のasahinekoプロジェクトと富士山麓水恵野菜農業基準のことはとても勉強になりました。
あっ、なんか勝手に話しちゃってすみません。真奈美さんから甘川さんにお会いすると聞いて、無理言って来ちゃいました」
「それはそれは、よろこんでいただけたようで、ありがとうございます」
「実は、この杉本さんは、今、地域ブランドのことを勉強していて、甘川さんのセミナーもその流れで聴講したそうです。私もお誘いを受けたのですが、どうしても外せない仕事がありまして、残念でした」
「そうでしたか、それでは川崎さん、杉本さん、鈴本さん、若者が中心となる次世代を見据えた取組を、我々でやってみませんか」
「やりましょう」
真奈美は即答した。
「真奈美さんの返事は、私の返事です。一心同体です。やりましょう」
と緑も同意する。
「もちろんわたしもやります。ただし行政としては、サポートする立場であることをご了承ください」
「カズさん、なに言ってんの、やるんだからつべこべ言わなくていいの」
「よーし、やるぞう」
「そうだ、カズ。そうそう」
第三章
かつて、全国有数の漁港都市として、あらゆる産業が栄えた焼津。その街の今の衰退と未来を憂いている次世代リーダーたちが、地場産業を活性化して焼津市を盛り上げようと名乗りをあげた。
そして、焼津の現状はというと、水産加工事業者全般で、B2BからB2C、D2Cモデルへの事業転換の必要性に迫られていたり、古くからある水産関連組織が多数存在して、組織としての良さも残しつつ横連携の阻害要因にもなっているなど、産業全般で価値観の変化のチャンスが来ているとも言えた。
このようなことが現象として見受けられる中で、うずうずして埋没してしまいそうな若者と他地域での成功を夢見る若者が多く混在しているのが焼津の今である。
この次世代のリーダーたちは、「今が、焼津が変わるチャンスだ」と切望した。
一縷の望みは、様々な分野で、若者の新しい前向きな衝動を感じ始めていることだ。
その若者の動きが、焼津での取り組みをあきらめてしまったり、都市圏や他の市町で活動することを選択してしまったりする前に、アクションを起こすことが重要だと考えた。
・
川崎真奈美は、焼津の若者たちが参加できる取り組みを始めるために、クラフトビール屋『OHINBULL』に通う回数を減らしつつ、オンラインミーティングを利用して、甘川次郎と杉本緑の三人で夜な夜な議論を繰り返した。
その中で、何よりも大事にしたい取り組みコンセプトを何度も摺合せした。
そして、最終的にこのコンセプトにたどり着いた。
《焼津に受け継がれる伝統技術や独自のリソースを大切にしながら、 次世代の価値観を持つ事業者同士を有機的につなげ、 地域の産業を持続可能にする》
「真奈美さん、緑さん、ようやくコンセプトが決まりましたね。次は何をやるかですね。事業者を有機的につなげることをコンセプトに掲げているので、前にお話ししたasahinekoプロジェクトのように地域資源を活用したブランドイメージがあると意思統一しやすいですよね。それは次の宿題にしましょうか。それと、お二人にお知らせがあるのですが、近々、駅前商店街にコワーキングのカフェをオープンさせるんですよ。良かったら次はそのカフェでミーティングしませんか」
「そうなんですか。それはおめでとうございます。楽しみですね。ブランドイメージについては、わたしも地域ブランドを勉強しているので考えてみます。ちょっと相談したい人もいるんですよ」
「甘川さん、いいですね。私も楽しみです。そして、緑ちゃん、相談相手って、南田? あなたの上司の」
「いやいや、あっ、いや南田にも相談しますが、地域ブランドの勉強にお付き合いいただいた皆藤さんにも相談しようかなっと思ってね」
「ジビエプロジェクトを一緒にやったあの皆藤さんね。いいんじゃない。甘川さんにも一度会ってもらおうよ」
杉本緑は、甘川と真奈美と協議を進めるうえで、上司の南田公大が常々言葉にしている【未来人材育成を視野にいれた新規事業の創造】について考えていた。もしかしたら、私は、静岡ヒューマンサービスとして、組織としてこの事業に参画できるのではないかとも思い始めていた。
そして、甘川が言うブランドイメージとそれを具現化するビジネスプランが必要であることも感じていた。そして真奈美に、ジビエプロジェクトでビジネスモデルプランをまとめてくれた皆藤敏明にサポートをしてもらったらどうかと進言したのである。
1ヵ月後、甘川次郎が代表を務める株式会社イレブンは、焼津市内の駅前商店街にスタートアップ支援のコワーキンスペース『kick off café(キックオフカフェ)』をオープンさせた。
「甘川さん、初めまして。そしてオープンおめでとうございます。緑ちゃんから講演の内容を詳細に伺ってとても感銘を受けています」
「こちらこそ、初めまして、どうぞよろしくお願いいたします。なんか照れ臭いですね」
「こう見えて、緑ちゃんは一生懸命勉強していたので、甘川さんの話も要点を絞ってわかりやすく話してくれたんですよ」
「ちょっとお、こう見えてって、失礼じゃないですか。もう」
「ごめん、こめん、では、リクエストにお答えしてブランドイメージとビジネスプラン作りのお手伝いをさせていただきましょう」
真奈美も緑もブランドのイメージはぼんやりしたままだった。甘川もカフェのオープンに忙殺されて準備不足であった。
そしてこれから、皆藤の導きによって、ぼんやりとしたものの正体を探っていくことになる。
「さあ、みなさん、まずはどうしたいかを伺いましょうか。甘川さん、いかがですか」
「そうですね。やはり、焼津の地域資源と水産加工技術を今風にアレンジして伝えていきたいですね。それと、地域の若いクリエーターたちとも連携できるような取り組みが良いなと思っています」
その発言に真奈美が連動する。
「そうだ、前に、松竹百貨店の古庭さんから、焼津の水産加工技術は美味しいものを長期保存できる商品が多いので、こだわりソロキャンプとかにも使えると聞かされたことがあります」
「なるほど、長期保存と言えば、日本橋に本社のあるアウトドアセレクトショップ『Fun stuff(ファン スタッフ)』のマネージャーさんが、災害時の備蓄食として、ある程度の長期保存ができて美味しいものがとても求められると話していました。まだなんとなくのイメージですが、キャンプ飯であり備蓄食料としての活用ができる商品ブランドをつくり育てていくのも良さそうですね」
皆藤から具体的なブランドイメージが提案された。
「いいですね。キャンプの時ともしもの時にも使える焼津の水産加工品。真奈美さん、甘川さん、私はキャンプはやらないけど、とってもいいと思います。大賛成です」
「やらないのに太鼓判おすんだ。わたしもキャンプはやらないけどね」
緑も正直だが、真奈美も正直である。
「あと、甘川さんの意見にも関連しますが、商品パッケージづくりなどには、焼津に所縁のあるクリエーターさん達をマッチングするというのも良い感じがします。それと、私は、会社の新規事業開発室として、組織としてこの事業をサポートできないかとも考えています」
人材をマッチングするという仕組みは、静岡ヒューマンサービスの機能を活用するのがベターであるとともに、上司の南田が模索する未来人材育成へと繋がるものと緑は考えた。
「どうですか、みなんさん。ブランドのイメージは、焼津の地域資源と水産加工技術を今風にアレンジして、キャンプ飯と防災備蓄品の開発という方向性で進めていきましょうか。
そして次のステップに進む前に、みなさんで協議会を作り、組織的な取り組みにしていきたいですね。その点もいかがでしょうか」
「はい、OKです」「わたしも賛成です」「いいと思います。緑さんのクリエーターマッチングも大賛成です。ありがたいです」
ここで協議会が発足して、後日【次世代のローカルブランド創出協議会】と名付けられた。
「そうですか、それでは、ブランドイメージは固まりましたので、次のステップとして、具体的なビジネスプランとアクションプランを擦り合わせましょう。
そして、地域の事業者に、特に若者に参加してもらうためのプランを具体的に考えていきましょう。
なにより、みなさんに希望をもってもらえるようなプランを作りたいですね」
ビジネスプランを作る過程では、メンバーそれぞれの『こうなりたいブランド像』と『こうはなりたくないブランド像』を共有しながら、思い描くあるべき姿のブランドイメージを協議してもらい、コンセプトに紐づけながら大まかなビジョンをまとめた。
そして、そのビジョンと現状とのギャップを明確にして、それぞれに仮で課題設定をしてラフなプランを組み立てた。これは皆藤が実践してきたある種のメカニズムの基礎である。
「さあ、どうでしょか。このラフプランをみて、みなさんの想いと実現可能性のギャップを洗い出してみてください。課題設定がピンボケしている場合もあります。その点も議論してみてください」
この後、皆藤を含める全メンバーで洗い出し作業を行った。
「さてと、だいぶ遅い時間になりましたので今日はこの辺にしておきますか。あとはもちかえりでも構いませんので、今日はいったん解散しましょう。
いいですか、これに、みなさんの今までの経験やノウハウ、ありったけの知恵と情報、会社の仲間や専門家の助言を詰め込んで、より具体的なプランに昇華させましょう。1週間後にそれぞれのプランを私宛にデータで送ってください。そこから次の定例会までに統合してさらにブラッシュアップをしておきます」
2週間後、『kick off café』に集まった次世代のローカルブランド創出協議会のメンバーに対して、皆藤敏明からビジネスプランの説明がなされた。
大型モニターに映し出されたビジネスプランのロードマップとアクションプランを見て真奈美がつぶやいた。
「おおお、これなら、なんかやれそうな気がする」
「そうだね、できるね」と緑もつぶやく。
皆藤はこの言葉を聞くのがとてつもなく好きである。
妄想や閃きをできる限り具体的にすること、そして『やれそうだ』『できそうだ』と言葉が自然に出てくる状態になること、これこそが、皆藤が掲げる【希望を生むメカニズム】の骨格である。
「そうですね。ほんとに勇気をもらえます。そして、ブランド名は真奈美さんの提案してくれた『やいづキャンプ飯』で決まりですね。これも大賛成です。皆藤さんここまで仕上げてくれてありがとうございました」
そして、皆藤はビジネスプランの説明を終えると、こうつぶやいた。
「人には、希望を見つけようとする能力があるのです」
「希望を見つけようとする能力? ですか」と緑が聞く。
「そう。では、質問しますよ。みなさんは、今よりもよくなりたいと思っていますか、それとも今よりも悪くなりたいと思っていますか」
「何言っているんですか、今よりも良くなりたいに決まっているでしょ」
「真奈美さん、そうですよね、多くの方がそう思っています。そのために、なんとかしようって思いますよね。
希望の見つけ方は、人それぞれに考え方や、やり方があるかと思います。このメカニズムは、小規模事業者の方に希望を持ってもらうための私が実践してきたやり方のひとつです。今日は、みなさんにやれそうだと思っていただいたことがとても嬉しいです。
さあ、それでは、次のステップとして『やいづキャンプ飯商品開発プロジェクト』に参画するための条件みたいなもの、基準みたいなものを考えましょう。
商品コンセプト、原料、スペックなどの基準と行動指針みたいなものも盛り込みたいですね。
行動指針としては、
・協議会が企画運営するプログラムにやむを得ない場合を除き全工程に参加すること
・やいづキャンプ飯のブランド価値向上を優先にして利他の精神を重んじること
・参画事業者間の交流促進、互いの商品紹介及び販売等の連携を積極展開すること
を盛り込んでおきたいですね」
この後、やいづキャンプ飯商品開発プロジェクトの実施要項と商品開発プログラムが取りまとめられ、それをもとにして参画者を募集するためのキックオフイベントの内容と集客方法の協議を行った。
このキックオフイベントについては、川崎真奈美が大筋を考えていたので彼女のファシリテーションで議論を進めた。
後日、皆藤からの紹介で、アウトドアセレクトショップの『Fun stuff(ファン スタッフ)』の事業企画マネージャーの野馬義彦とソーシャルデザイン部の檜竜二が、やいづキャンプ飯の試作品テストマーケティングに協力いただけるということになり、更に同社のキャンプ事業部の西川雅敏から、キックオフイベントのパネルディスカッションに登壇いただけるという回答をもらいメンバー全員で大いに盛り上がった。
最終的にキックオフイベントの集客については、焼津市役所の鈴本和幸に相談して事業者への告知をお願いした。さらに、開催場所の調整と運営補助の協力もとりつけ、場所は、焼津PORTERSに隣接する旧カキ小屋内に特設ステージを作って行うこととなった。
そしていよいよ、2022年6月1日のキックオフイベントに向けての集客が始まった。
・
「水岡くん、森くん、カズ兄ちゃんから聞いたんだけど、やいづキャンプ飯というブランドが立ち上がるそうで、そこに参画する事業者を募集するんだって。ここに詳細があるから読んでみて」
鰹節新成屋の水岡優斗は、その書類をにらみつけるように読み、そして何度か読み返してから言葉を発した。
「瑞樹先輩、なんて言って良いのかいまいちわからないんだけど、なんだろう、この気持ち、このチャンス、なんとかものにできないだろうか。俊介どうかな、一緒にやらないか」
「優斗、簡単に言うなよ。まずは上司に相談して、会社の提案委員会に上申して、そして・・・・」
森俊介の言葉の途中で水岡優斗がそれを遮り、「そんなことはわかっているよ。おれさあ、こんなにワクワクしたことは今までにないんだよ、なんだろう、ほんとこの気持ち、やりたいんだ。俊介、やろう」
森俊介は、しばし目をつむり考えた。
「わかった、やろう」
「ありがとう」
「優斗、あのさあ、あの人ほんとにやったな」
「ああ、やったなあ」
鰹節新成屋の開発室で、やいづキャンプ飯の話題で盛り上がる同じころ、増岡信吉商店の増岡結は市役所から送られてきた焼津水産事業者向けの一斉案内メールを目にしていた。
「信ちゃん。市役所からのメールで、真奈美さんたちがやいづキャンプ飯というブランドを立ち上げるので、参画事業者を募集すると案内が来たの。印刷したから読んでみて」
「やいづキャンプ飯? 焼津にはキャンプ場はないだろう。何言ってんの」
「そうじゃないのよ、今ある水産技術を活かした共通ブランドを掲げて、いろんな事業者さんと一緒に商品づくりをやるプロジェクトみたいなの。特に若い世代に参加して欲しいようだよ。私、エントリーしてみようかと思っている。まあ読んでみて。
あと、信三じいちゃんのところにも顔を出してあげてね。昨日、病院に顔を出した時に『信太はどうだ』と気にしていたよ。入院間もないから寂しいのかもね。お願いね」
「はい、はい」
さらに同じころ、甘川次郎は、浜当目のなまり節加工業『さかなお』の狭小事務所で、4代目坂口直久と膝を突き合わせていた。
「直くん、どうだろう。君がいつも心配している焼津の街と産業の衰退問題について、これで解決するわけではないけど、今までにない横のつながりを意識した取り組みなんだよ」
「やいづキャンプ飯、ですか。ところで、次郎さんもこの次世代のローカルブランド創出協議会のメンバーなんですよね。どんなことをやる組織なんですか? 」
「お、そこかが気になるか。そうだね、この協議会は、やいづキャンプ飯商品開発プロジェクトを協議する中で発足した任意団体なんだけど、主要な業務は、地域ブランド創出とそのブランド管理、それにマーケティング支援とプロモーション支援をすることかな。関連した各種調査等もやることになると思う。この協議会には、直くんのような若い世代の人たちにも今後関わってもらいたいと思っているんだ」
「そうですか、やいづキャンプ飯ひとつで終わる取り組みではないと言う理解で良いですかね。わかりましたエントリーします。他社の若い世代とも繋がりたいと思っていたんですよ。次郎さん、よろしくお願いします」
同じタイミングで、焼津のニュージェネたちに火がともった。
この取り組みに関しては、若者以外にも老舗企業やベテランの水産加工職人などにも興味関心の和が広がり、2022年6月1日イベント当日の焼津PORTERSに隣接する旧カキ小屋には100人を超す人が群がった。その中には地元メディアも複数人参加していた。
会場は、このようなイベントにはつきものの大漁旗や焼津をイメージした魚のオブジェなどはまったく無く、ステージには人工芝が敷き詰められ、薪が組み上げられた焚き火台を囲むように4脚のアウトドアチェアが置かれ、キャンプシーンを創発させる舞台に仕上がっている。
客席では、見知った事業者同士が世間話や景気の話などを交わして、笑い声が各所から聞こえてくる。
そして、司会者の掛け声からキックオフイベントが開催となった。
最初に、静岡県内で活躍するマーケティング企業の代表によるアウトドア市場向けのモノづくりをテーマにしたショートセミナーが行われた。
質疑応答が終わり、次に、ステージ袖から4人が壇上に上がった。
ひとり目は焼津市役所の経済部長である元木祐介、ふたり目はアウトドアセレクトショップ『Fun stuff』のキャンプ事業部に所属する西川雅敏、そして次世代のローカルブランド創出協議会の川崎真奈美と甘川次郎である。
4人はアウトドアチェアに腰掛け、焚火を囲みながら語り合うキャンパーをイメージさせた。
冒頭で、西川雅敏に実際のキャンプ場での食の実態を話してもらい、その流れから登壇者4人でキャンプ需要とキャンプ飯をテーマにしたディスカッションが行われた。
その後、ステージ後ろのスクリーンにパワーポイントでつくった画面が浮かび、甘川次郎から、やいづキャンプ飯商品開発プロジェクトの事業概要と商品開発に参画する事業者募集の手続きフローが説明され、司会者の仕切りに戻り、会の終わりに向かう掛け声がかけられた。
「それでは、主催者からの最後のご挨拶をさせていただきます。川崎真奈美さん。よろしくお願いします」
真奈美はステージ中央に立ち、マイクスタンドからマイクを抜き取り、両手で握りしめた。
改めて会場を埋め尽くす来場者を見回す。
軽く深呼吸をする。
次世代のローカルブランド創出協議会の代表として、真奈美は語り始めた。
「この、やいづキャンプ飯商品開発プロジェクトは、街自体も含めた地場産品を新しい価値観で総合的にアップデートすることを最大の目的としています。
それは、焼津の地域産業が常に活性化している状態をつくることを最終ゴールとして、まずは、ブームとなっているアウトドア市場に対して、主に水産加工業の若者たちが中心となって新商品開発に挑戦してもらい、地域の成功要素として蓄積をしていきます。その派生から、街全体の発展に寄与することを願っています。
もちろん年齢は問いません、自分が若者であると思っている人も大歓迎です。
また、地域の課題を解決する伴走型人材として、クリエーターや副業人材等を発掘・輩出する仕組みも必要になってきます。それは新しい雇用創出にも繋がります。
とにかく、私は、、、
ふぅーっ。
焼津の次世代のリーダーたちは『今が、焼津が変わるチャンスだ』と願っています。
地域の多くの若者が『焼津でも新しいことができるんだ! 』と想いをたぎらせ、チャレンジできる環境を、この事業を皮切りに歩み始めたら幸いです。
この事業は手探りの状態で進めていくことになります。思い描いていることをなかなか手にすることができないかもしれません。
それでも私は、みなさんと一緒に、この焼津に希望をみつけたい。
多くの方が、このプロジェクトにエントリーすることを期待しています。
みなさん、今日はありがとうございました」
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