「見返り」を求めてはいけないのか
「見返り」ってを求めてはいけないのでしょうか。
おこがましいかな、わたしはこれまで幾度となく他人へ尽くしてきたと思える様な経験があります。例えば、
・誕生日プレゼント
・人生イベント時のプレゼント
・気遣い、心遣い
いわゆる give and take の精神で、かつて
私は見返りを求めていました
特に多かったのは友人の誕生日なんかはプレゼントをあげたり、
ご飯をご馳走したり。あくまでこちらが主導でやってあげた事なので。
相手は求めていなかった事かもしれませんが。
ただ、こちらが誕生日の時は特に何もなく、
「なぜ?お返しがないのか」
という悲しい感情と、
「もうあいつの事は祝ってあげない」
という負の感情が沸き立っていました。
周りに聞いたこともないので分かりませんが・・・
もしかしたら世間一般で言うと、
「見返りを求めるなんておこがましい」レベルのことで、
私だけが持っていた特別な感情なのかもしれません。
しかしながら今だから言えるのは、当時は
考えが浅はかで、若かった
ということです。年齢を重ね、色々な経験をしてきて、様々なことが受け入れらるようになり、心も広くなったからかもしれませんが・・・
そもそも「他人に尽くす」と言う事はあくまで自分本位で、他人に対してその行為の「見返り」を求める事が矛盾していて、おこがましい事なんです。
むしろ”見返りを求めるレベルの相手”ならば
尽くす必要さえない訳です
「誕生日を祝ったり」「優しくしたり」「気を遣ったり」そういうのは無理をしてまでやることではないと思います。もちろん社会人として最低限の
愛想や心配りは大事だと思いますが・・・
(祝い事なんかは他人に強要してくる人もいますが、今はそういうのは最低限の対応をとる様にしています。)
自分が心の底から本心で祝ってあげたい相手ならば、
決して見返りなんて求めなくて、
心の底から「おめでとう」
と祝ってあげられるはずではないでしょうか。
そういう相手ならば、真心を込めてプレゼントを渡せるられるし、
尽くす事ができるはずです。
さいごに・・・
「見返り」を求めてしまう
これはただ単純に「考えが浅はかで若い」というだけのことではなくて、
もしかしたら心が不安定だったり、余裕が無くなっている時に求めてしまうのかもしれません。
しかし、この投稿では
「見返り」は決して求めるものではない
と言いたいです。
そして、よく考えてみると周りには心の底から「お祝いをしたい」、「プレゼントをあげたい」、「尽くしたい」という相手が必ずいる。という事です。
以上agrimanでした。また明日。