気が遠くなる話
現代社会では店頭へ行かずとも日常で必要なものは何でも手に入る時代になり日常であるはずなのに日常の片隅に追いやられて忘れ去られたものは数多くあると思います
自分で作り出さなければ日常がままならない時代ではなくなったということは他のことに余力を循環させるという良い面でもあります
自分では意識せず使っている物でも元は自然素材だったりするわけで…となると畑や山の手入れから始まるんですよね
材となる物を収穫、然るべき工程を行ってやっと作ることができる。
なんてものは全てに通じることですが今目の前にあるものは様々な工程を踏んでて存在しているということ
すぐに手に入れることができる状態であることはとても幸運なことであると痛感する
自分で作らなければ存在しなかったものなんて衣食が特にそう
食もとても大事だけど衣もそう
本(裁縫)によって時代を遡っていることで痛感する
作らないと無い
そして再び畑から始まるっていうループになる…
簡単に言ってしまうとやかんで沸かしたお湯を保温ポットに移す際、急げば湯はポットに入らずやかんから溢れるという状況と似ていると私は思います(早く入れたいけど注ぐ際の許容量の関係でそれができないアレを私は何回かに一度の頻度でやらかします←)
急いでしまえば仕損じたりしてうまくいかない
物事には必要な"間"が存在しているのを忘れてはいけないなあと思いましたまる
人によっては「ふうん」で終わってしまうそんなお話でした
それではよい夜を
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