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『ホドロフスキーのDUNE』が教えてくれること


『ホドロフスキーのDUNE』は、アレハンドロ・ホドロフスキー監督が壮大なSF小説『DUNE』を映画化しようとした時の実話を、アメリカのフランク・パヴィッチ監督が制作に関わった人や友人など、さまざまな立場の人々のインタビューを交えて追体験するようにまとめたドキュメンタリー映画。”未完成に終わったことで伝説になった”と言われた映画が二十数年を経て蘇るような、とてもエキサイティングな作品である。


ホドロフスキー監督はチリ出身で、メキシコに渡り前衛的な舞台を100以上制作した後、映画の制作を始めた。初の長編映画『エル・トポ』がニューヨークでカルト的な人気を得て、それをフランスで配給したのがミシェル・セドゥー。続く『ホーリー・マウンテン』も成功させた二人には友情が芽生え、セドゥーはホドロフスキーに「君の自由にしていい。作りたいものを作れ」と言って”DUNE"の制作が始まった。


その後、プロジェクトチームのメンバーを集めるのだけど、そのハンティングが完全に神がかっている。インターネットもSNSもない70年代。コミックを読んでいて見つけた作家メビウスに連絡する当てはなかったが、「私のカメラだ。彼に会いたい」と言っていたある日、自分のエージェントのところに行ったら偶然そこに彼がいた。意気投合してメビウスは絵コンテを描くことに。次に特殊効果の担当を探してハリウッドに行ったものの、大御所とは肌が合わなかった。何となく入った映画館で観たSF映画の特殊効果がホドロフスキーの心を捉え、「彼だ!」と言って会いに行ったのがダン・オバノン。ホドロフスキー監督が求めていたのは技術的に優れた人材ではなく、人生を変えるほどの”預言書”とも言える映画の制作に相応しい人物たち。その後、音楽担当としてピンク・フロイドや、演者としてパーティー会場で目が合ったミック・ジャガー、お気に入りのレストランで一番好きなワインを差し入れして気を引いたオーソン・ウェルズ、しまいにはサルバドール・ダリまでチームに加わる。ダリはホドロフスキーにアーティストのHR・ギーガーを紹介した。


分厚い絵コンテが完成し、セドゥーはそれをハリウッド大手の映画製作会社に配った。彼らを安心させるためにそうしたらしいのだけど、それでは不十分だった。話の始めには「素晴らしい作品になる」と言いながら、「監督が彼ではダメだ」という。ホドロフスキーの友人でもあるニコラス・ウィンディング・レフン監督はインタビューで「ハリウッドはホドロフスキーを恐れた」と言っていた。映画は予算不足に陥り、最高の人材が揃い完璧な世界観が作られていたにも関わらず、結局制作は中止された。


普通ならここで、映画は失敗に終わったと結論づけるかもしれない。でも視点を変えると、現実には想像を超えることが起きた。チームは解散したけれど、メンバーたちは映画のキャリアをスタートするきっかけを得た。『エイリアン』の原案と脚本はダン・オバノンで、HR・ギーガーがクリーチャーデザインを担当した。この作品には”DUNE”のチームメイトが何人も携わっている。映画制作会社に配られた絵コンテはその後の監督たちのインスピレーションの元になり、そこから『スターウォーズ』や『ターミネーター』が作られた。それらの作品には、ホドロフスキーの絵コンテが描かれる前にはなかった描写をいくつも見ることができる。『ブレードランナー』も『マトリックス』も、発想を辿ればその源流はここにあるという。


”DUNE”のストーリーの結末で、ホドロフスキーは”主人公は殺されるが、その精神は人々に共有され、その中で生き続ける”としていた。映画で伝えたかったことが、現実の現象として起きた。それってすごくないだろうか。映画がこの世界から消えた後、それにインスパイアされた別の映画たちが新たに生まれ、人々に影響を与え、楽しませた。制作に精魂を込めていたら、結末が現実になったのだ。これが”ホドロフスキーのDUNE”の顛末である。


クリエイティブに生きる全ての人に。叶えたい夢のある全ての人に。このドキュメンタリーは、夢への挑戦の道のりと、その夢が叶わなかった時に何が起こったのかを教えてくれる。それは作品の完成に執着していたら気づけない、もっともっと壮大なことだ。夢が叶うということが、想像をはるかに超える形で現実になることが、この世にはある。それに気づける自分でいられるように。この映画はきっとみなさんの挑戦の糧になると思う。生命力がほとばしるホドロフスキー監督のエネルギーに、ぜひ一度触れてみてください。




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