『D.P. -脱走兵追跡官-』 の作品としての魅力について
NETFLIXで観た韓国ドラマ『D.P. -脱走兵追跡官-』が私的にグッと来る作品なので、それについてちょっと書いてみます。
大韓民国の男子は、法の定めるところにより兵役の義務を遂行しなければならない
大韓民国兵役法 第三条
オープニングは毎回これで始まる。ドラマは脱走してしまった兵士を連れ戻す担当の兵士(D.P.)を主人公に、兵役義務で徴集された若者たちとそこで実際に起きているイジメの実態を描いているのだけど、リアルなエピソードとフィクション的な演出のバランスやテンポが、とにかくとても良い。
俳優さんたちは演じているというより自然体で存在している感じがして、軍隊という非日常が日常になった韓国の若者たちの姿にリアリティがある。ヘビーだけど青春な感じ。みんな実際に兵役を経験したというのがあるからかな。ウェブトゥーンの原作者とドラマの監督が共同で脚本を書いていて、俳優さんたちはきっとみんな原作を読んだだろうから、完成形のイメージの共有が十分にできていたんだろうなと思う。ドラマ全体に一体感があって、“何かを変えるには 何かしないと” という明確なメッセージが伝わってくる。キャラクターだけでなく演出の一つ一つとそのタイミングが際立っていて、作品を構成する要素の全てが完璧な配置について物語が進んでいく感じがする。音楽の使い方も秀逸で、表現に幅というか深さというか、立体感がある。この場面でこの曲なのか〜というふうに感情的に刺激されて唸る。
酷い内情を告発するようなテーマで暴力的な描写もあるし、主人公のアン・ジュンホもそれに巻き込まれるけど、彼と組むD.P.の先輩、ハン・ホヨルのセリフのテンポが良くて楽しい。癒される。彼が主人公を導く感じで物語が進むから、ただただヘビーな展開に耐えるのではなく、楽しんでいるうちにものすごく強いメッセージを突きつけられる感じ。
イジメを先導していた先輩のファン・ジャンスが除隊する時に、「悪かった、ごめん」と言うのだけど、その言い方があまりにサラッとしていて、オタクで一番酷い扱いをされていたチョ・ソクポンがその後に決定的な事件を起こす。これは個人的な考えだけど、現実的にイジメっ子の感覚ってそのくらいなんだろうな、と思った。それを、真面目にというか全部受け取ると、全てに律儀に反応し続けてしまうと、ソクポンのように耐えられなくなって爆発するのかな、と。自分を爆破する以外の選択ができなくなっちゃうんだな。軍隊は仕組み上、先輩や上官の命令は絶対というルールがあるからそれはキツい。そこで一般的な環境に置き換えてイジメをなくしたいと思った時にできることって何だろうと考えてみたら、イジメられそうになった時に「受け取らない」っていうのは大事だと思った。ケンカと違ってイジメには基本的に宣戦布告はないから、気づいたら「イジメられる」のポジションになってて、自覚した時に抜けられない、ということのないように。イジメる側にだって自覚がないから。そういう部分に関しては、韓国の軍隊という特殊な状況での出来事だから他人事、ということではなくて、日本にいても十分想像できた。先輩もやっていたから、という理由で後輩にも同じことをする。そうやって引き継いで行くものが、これで良いわけない。変えようよ。そう願う気持ちが画面を通してこれでもかと伝わって来るから、心から援護射撃したくなった。
現実のネガティブな状況を変えたいと願う圧倒的なエネルギーを感じるドラマ。細かく観ていったらキリがないほど、秀逸なセンスを感じる演出。とにかく面白さと深みに満ちていて、何度も観たくなる作品。全6話で5時間半。一日で駆け抜けるように観れるので、興味のある方は是非、観てほしいです!
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