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新しい道#6 〜ブラ1聴き比べ①〜

9/1(木)
今日から新しい現場だ。朝の6時半起床という拷問を受け、8時始業という非人道的な働き方をしている。まだ瞼が上がりきっていない。大阪までの電車通勤約30分。少し寝たかったのだが、生憎どこの席も埋まっていた。仕方ないので気分転換に何か聴こうとイヤホンを耳に。

オケの練習シーズンが始まると、必ずやる事がある。演奏会で弾く曲の聴き比べ大会だ。
クラシック音楽の面白いところは、全く同じ曲を世界中のみんながそれぞれ演奏しているところだ。全く同じ曲なのに、国が違うだけで、弾く人が違うだけで、指揮者が違うだけで、同じ奏者同じ指揮者なのに時代やたった1日違うだけで、全く異なる響き方をする。
それは奏者たちの解釈、時代や美学、気分によってコロコロ変わる。
僕はその違いを見つけるのが結構好きだ。オタク気質な僕はそれぞれのオケや指揮者の特徴を分析する事に興奮すら覚える。

そんな訳で、ブラームスの交響曲1番を聴く。
これから、いろんな音源の聴き比べ大会の模様をお送りする。
トップバッターはサイモン・ラトルとベルリンフィルハーモニー(以下bpo)の組み合わせだ。


"Brahms: Symphony No.1" by Sir Simon Rattle



ラトルは2002年から2018年までbpoの首席指揮者を務めた。
bpoからキレッキレの切れ味と躍動感を引き出すいい組み合わせだ。
ブラームスの1番もその切れ味と躍動感を味わう事ができる。 


しかし正直、今までこの音源はあまり好きじゃなかった。もちろん天下のbpoの演奏だ。プレイヤーの技が輝きまくっている。だが、全体的にオーソドックスな演奏で、もちろんそのおかげで聴きやすいのだが、本音を言うとちょっと物足りなさを感じていた。
ライブ盤じゃないから?60〜90年代によくいたトンデモ演奏じゃないから?

bpoとラトルの演奏は躍動感に溢れていた。が、だからといって勢い有り余る爆演とはほど遠い。この躍動感の中にもどこか冷静さを感じる。この冷静さはなんだろう。
ブラームスはこの交響曲第1番を書くのに21年もかかっている。慎重というか、ちょっと臆病な感じというか、なんとも彼らしい。
彼はキャリアの中で自分の満足のいく出来でない曲を破棄したりしている。
当時彼が生きていた時代では、ベートーヴェンの再来を誰もが強く望んでいた。それは勿論ブラームスにも期待されていた。そんな彼が21年かけてようやく世に出したのだ。21年間悶々と考え続け、自分の中で納得がいったからこの曲は表に出る事ができたのであろう。

このbpoの躍動感は、ブラームスの21年考え抜かれた納得と自信表れ、そして冷静さは彼の気分的な部分だけで書かれたものではなく「ベートーヴェンの後の世の新しい響き方とはどうあるべきなのか」を慎重に推敲を重ねた計算された曲であることの表れなのかもしれない。
そう思ってみると、この曲の聴こえ方は今までとかなり違ってくる。

アバドが振っていた時の重厚感はあまりないが、人間味のある、表情豊かで明るく華やかな演奏だ。暗く荘厳な雰囲気もあまりなく、ブラームスの大らかさ、堂々とした歌い方が表現されている。演奏も尖ったクセはなく、誰もが聴きやすい名演だ。

眠たいので文章がとっ散らかっている。
今日はこの辺で。

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