ポッドキャスト#002収録しました。
女友達エミリーとはじめたポッドキャスト。「#002_昭和おじさんさようなら〜エミリー怒り回〜」を収録しました。
今回はエミリーの怒りがすごい
今回はエミリーの怒り回!普段エミリー側のマイク音量が小さくて困っていたのに件の話になってから急にマイク音量が大きくなったから不思議。ミラクル。マジック。怒りのエネルギーで音量を増幅させちゃうんだ、って驚いたよね。
男性社員の割合が多い職場に10年20年いると性別役割分業の壁にぶち当たる。いわゆる雑用は女の仕事。電話や来客対応、給湯室の生ゴミ処理は女たちがやるものとされている。なぜだろう。男にはもっとやるべき仕事があるから??
女たちが電話や来客をつないだ先に男たちの仕事があるとすれば仕事に優劣なんてないしそこから生まれる給料格差だってそもそもおかしい。
仕事ってメイン業務だけで成り立ってるみたいに語られるけど、それを支える前処理後処理がないと成り立たない。つまりゲタを履かされることに慣れすぎて女のするお膳立ては当たり前もはや空気のようなものか。
考えてみたら家庭内の性別役割分業をそのまま会社組織に当てはめているだけなんだ。細々とした日々の作業は女に任せて男たちは外に出ていく。それでパワーバランスというものが保たれているのだから当然のことなのだが外価を稼ぐことだけが花形というこれまでの空気感に自分自身が支配され過ぎていたんじゃないか。
内側も外側もどっちも同じくらい大事だってことを忘れたらいけないんだよね。
自分のなかの三浦春馬の存在に気づいたよ
三浦春馬の悲しいお知らせを聞いてから彼の姿を思い浮かべるとずん。と心が沈む。奇をてらった人たちがもてはやされていく世の中で真っ当な存在の俳優が心を痛めていたことになんだか傷ついた。バイヤーが世界の逸品を探す番組「世界はほしいモノにあふれてる」でのJUJUとの姉弟的な掛け合いが「普通」で好きだった、その程度にしか彼を知らないのにさ。
そう、「普通」が消えかけている中で三浦春馬はちょうど良く普通だった。見た目も言動も、安心して見ていられる貴重な存在だったのだ。いずれにしてもテレビもそう見ない自分がこんなに彼の死を思うのは若くて美しい人だから、だろうか。イケメンの死は素直に辛い。
自分をいつも真ん中に
コロナ、母の入院、社長の暴走、イケメンの死…動揺することばかりが起こる時代に自分を保つのは至難の技だ。「正しい」「正しくない」の二択でジャッジされることが多くなった時代だからこそ曖昧さがわたしは欲しい。間違っていることがいらないなんてことはないし、正しさの中にも間違いはある。それを決めるのはいつも人間で、人間はいつも間違う。間違うから正しい方に向く。
一度その判断軸を捨ててみたらもっと楽になるんじゃないか。自分がいま楽しいかどうか。楽しくないことはやめてしまったらいいのだ。そうしていたら段々と、自分がいつもニュートラルでいられるような気がするよ。
楽しいからわたしはエミリーとのポッドキャストをやるよ。
(だからよかったら聞いてください。)
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