夢、学校で、自由工作みたいなもの。
学校でテストがある。問題文は教科書の60ページから85ページぐらい。ところが問題の場所が分かりづらい。教科書は説明が多く、必ずしも問題文で構成されていないからだろう。答案用紙も、授業中に先生が説明しているが、とても分かりづらい。答案をまとめるのか白紙に書くのかわからない。小テストの課題みたいなものか、先生が一通り説明した後は、暇そうに楽しそうに教壇の前に立って話している。授業の終わり時間がくる。しかし自分はあまり出来ていないし、おまけに教科書のやっていた問題の範囲が間違っていたのかもしれない。どうも他の人と同じ問題をやっている気がしない。先生への不満が高まる。どこが問題か分かりづらい。教科書を何度も開いてみたり、ノートに答案をまとめたページを確認する。他のクラスの生徒は、問題の解き方や答案の書き方をわかっているのに、自分だけわかっていない気がする。実際は、何人かの生徒はわかっていない。自分の他にもわかっていない生徒がいても安堵感はない。授業が終わり、鐘が鳴る。問題文はどこだったのかを改めて先生に聞く。解答をノートにまとめるらしいが、それを切り取るのかノートを提出するのかわからない。そうこうしていると、席に他の生徒がくる。この授業は専門の授業なので、席が変わっていた。本来の席の持ち主が来たのだ。仕方ないので席を離れる。しかし課題はあるし、自分の本来の席の場所がわからない。仕方なく探した結果、空いていたのは左の一番後ろの席。左の一番後ろの席につくと、机の中に何か入っている。別の自由工作で作ったような作品で、課題をした様子を写真で撮っている。多分、課題のやり方を模索していて、ノートを作る発想から生まれたものだと思われるが、前半の計算問題と思われる内容とはまるで違う内容となっている。図画工作みたいな自由形式。左後ろの席で隣にも人が戻ってくる。彼も手にした小冊子みたいな作品に興味を示す。こいつの個性で描かれた小冊子の作品を興味深げに眺める。また解説する。こいつはこういう変な作品を作りそうとか。こいつらしいちょっと変わった作品とか。何かの課題をこなす様子を、自らの写真や周りの生徒の写真を使い、連続して並べることでストーリー形式にしている。エフェクトが多く切り取り方もバラバラな点がセンスなのか。隣の奴は、昔の話を始める。しかしどうでもいい話で、もう内容を覚えていない。