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シン・ウルトラマンで一つだけ気になった事


はじめに

 私はウルトラマンのオタクではなく、ほとんどの作品は未視聴である。一方で庵野監督の作品は大体は視聴済みである。あくまでアニメなどを主に摂取してきたオタクの戯言で、特撮オタクの語りではない。

怪獣

 本作で最も驚いたのが怪獣の3DCG。小さい頃に図書館でみたような朧げな記憶しかなかった自分には、うねうねしたり光輝く怪獣たちの最新の動きは新鮮だった。考えてみればデザイン・グラフィックス系の技術進歩は凄まじくクオリティアップは必然か。しかし原作を知るウルトラマンオタクにはどう映っただろうか。日本の街を怪獣が破壊する原初的なカタルシスを自分は思い出せた。ただ元の怪獣と比較したかった。そうすれば、より楽しめたかもしれない。その点は残念だった。

戦闘シーン

 シンプルながら、一つ一つの戦闘にも魂が篭っていたようにみえた。特に事前画像でみたウルトラマンはカラータイマーもないシンプルな棒立ちで、妙にダサく思えた。いざ戦っている姿を見ると美しさがあった。一切の装飾のない見た目は、洗練された姿態がある。そこから繰り出される動作には無駄がなく、動と静のメリハリがシンプルさを際立たせていた。正直一回見ただけで細かい部分まで覚えていないが、印象はそうだった。
 スペシウム光線も最新のCGばりばりのエフェクトではなく、むしろ原作に近いものを再現したのだろうか。(あるいはスタッフが科学的に考えた結果このような見た目にしたのか)この控えめなシンプルさも気に入っている。先ほどはCGの進化を褒めていて反対の話をするが、CGエフェクトを盛ろうと思えば幾らでも重ねられる時代だからこそ、演出のコントロールは大事だと考える。華やかさは勿論大事。しかしあまり画から浮きすぎたエフェクトは好きではない。本作はその点も好感がもてた。

シナリオの違和感

 一方でシナリオに違和感を覚えた人は多いのではないか。あえて触れないように物事の良い面を捉えたい人には申し訳ないが、以下の内容に合わないと思ったらすぐ戻ることをおすすめする。
 一つ、尺・予算が足りなかったのではないか。
 二つ、シンゴジラありきの企画で、期間的にも内容を推敲する時間がなかったのではないか。
 以上のような推測を立てて、庵野監督の脚本へ同情する立場をとるが、やはり納得できない部分はあった。あくまでこの文章は自分の脳内の整理と、もしかしたら同じような違和感を感じている人がいるかもしれないとの思いで書いている。
 まず冒頭。禍特対の対策会議らしきものから始まる。シンゴジラでは総理大臣を中心として各省庁の話し合いが展開されていた構図と比べると、各人の関係性がわかりづらい。そもそもシンゴジラにおいて、対策本部の仲間が集うまでに紆余曲折がなかったか。そうした流れから連帯意識は生じるし、物語は面白くなる。果たして、最初から出来上がっていた禍特対のメンバーとの間での連帯感や物語的なメリットを、私は感じられなかった。
 これに対して我儘な改善案を上げるなら、スポットを当てる人物を減らして話の焦点を絞ってほしかった。しかし、こうした作品は企画の段階で、どの役者を何人メインに置くかなど事務所の都合もありそうだ。

ヒロインの問題

 一、主人公との恋愛関係やボーイミーツガール的な手法を取ろうとして失敗した説。
 二、もしこの話の構成でいくなら、主人公がウルトラマンと融合した後にヒロインと出会う展開がミスだったのではないか。
 三、やはり尺が足りない。禍特対の各メンバーに見せ場を作りつつヒロインと主人公の関係を進めつつ、各怪獣との戦闘をして、さらにメフィラスなどの知性が高い宇宙人とのシーンも作る。どう考えても無理。
 四、シンゴジラから続く大人のヒロインの作り方にあまり工夫が見られない。アニメ的なヒロインの表現技法をリアルな役者で表現した違和感が大なり小なり感じられた。
 このヒロインに関して自分が言いたい事は、そもそも初っ端で神永(主人公)がウルトラマンと融合して半人外となるのに、後付けでヒロインとくっ付けるのは無理があるという話だ。見せ場である怪獣との戦闘ではいつも神永は不在なのに、一体どうして惹かれ合うのか。もしこれが、事前に神永とヒロインが付き合っていた設定なら面白かったかもしれない、そう視聴後には夢想した。変わってしまった彼への違和感となぜか惹かれる感覚。そういうウルトラな設定が必要だった。庵野監督は特撮オタクとしては一流だが、シナリオの作り方の幅は狭く、古いボーイミーツガール的な手法では本作の設定と合致しなかった。以上が、本作における私の感想の半分だろうか。残りの半分は上述したように3Dすげえ戦闘すげえ!という感想である。当然ながらメフィラス星人との絡みなどは面白かった。しかし、メフィラス星人の話ばかり誉めそやされるのは、こうした主人公周り・禍特対のシナリオ上の不備があったからではないか。
 最後に一つ述べておくなら、私はなにも重箱の隅をつつきたいのではない。より質のいい、より技術の高い、最上のストーリーを摂取したいと考える我儘なオタクである。デザイン分野においては技術の進歩が凄まじい時代に、シナリオの技術・テクニックなどは向上・蓄積していないように感じる。そういった軽んじられた、本来は重要なはずなのに世の流れからズレた物事への私なりの反逆心がこの文章を書かせたのかもしれない。

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