大阪ストラグル(第1部)第14話

 少し冷静さを取り戻した瞬間、俺は何を話していいかわからなくなった。二人の間の距離はまだ少し開いたままだ。ヒロも同じ気持ちだったに違いない。少しの沈黙が続く。と、その時。
「コラァッ松田ぁ!射駒ぁ!何をしとんじゃお前ら!」
 典型的な筋肉バカの体育教師、中田が向こうから走ってきた。
「中田やっ! 乗れタケシ!」
 ヒロはFXのエンジンを慌てながら掛け、リヤシートを叩きながら俺にそう言った。俺は考える暇などなく、とりあえず飛び乗る。
「お前らたまに顔だしたと思ったら!待てコラ!」
 中田の鬼のような形相をあざ笑うかのように、ヒロのFXは中庭を去っていく。
「おいー、ヒロー!どこ行くねーん!」
 バイクが風をきる音に負けぬよう、俺は声を張り上げた。
「えーっ!? なんてー?」
「ど、こ、行、く、ね、ん!?」
 さらに声を張った。
「病院やー!お前、柿本のこと気になってるんやろー!関係ないふうには見えへんかったぞー!」
「……」
 俺は自分でもよく分からなくなっていた。金子とは関わり合いたくはない。でも、俺が柿本とマナミちゃんに会った日の後、いや、その直後に何かが起きたのは間違いない。あの時、俺が和美さんのアパートに泊めてあげればよかったのではないか、そういう後悔も少なからずはあった。
「タケシー?なんてー?」
「なんも言うてないー」
 ヒロのFXは見慣れた俺たちの街を駆け抜けた。

「着いたでタケシ。お前一人で行くやろ? 俺は今朝、偶然やけど会ったし、別にアイツとはツレでもなんでもないしな」
「エエから行こや。入院してる病室も知らんし案内してくれよ」
 俺はそう言ってヒロの背中をぐいぐいと押した。
「なんやねん、めんどいなー」
 俺には分かっていた。
 ヒロと俺がくだらない事で喧嘩になり距離をおくようになってから、俺が柿本と仲良くしていることがヒロにとっては気に食わなかったんや、と。仲間はずれのような感情を抱いてること、柿本の入院という形ではあるが、このタイミングが気まずさを解消させるには絶好だと考えていること…親友である俺には手に取るように分かった。
 
「押すなよ、もう…。ここや、この部屋」
 ヒロは一応少し声を落としながら、部屋の入り口を指差した。
「お前は入らんのか?」
「おう、外でタバコ吸うとくわ」
 そう言って、ヒロは廊下を歩いて行った。
 俺は病室のドアをそっと開けた。目に飛び込んできたのは全身包帯姿でベッドに横たわっている柿本の姿だった。
「か、柿本か」
 恐る恐る声をかけてみた。目を閉じていた柿本は眩しそうにこちらを振り向いた。
「おー、タケシかー、イタタタ」
「お前、おい!大丈夫かっ!」
「大丈夫ではないやろな、ハハ」
「ヒロに聞いてきたんや」
「そうか」
「お前、喋れるんか?」
「口の中、切ってるからあんまりや、すまんな」
「……」
 何か聞くべきことや話すべきことがあるはずだったが、俺は言葉が出てこなかった。
 柿本は顎をくいっと動かして、わきのテーブルを見るような素振りを見せた。テーブルの上には見舞いの品であろう駄菓子やら何やらが乗っかっている。
「食べやタケシ」
 短く柿本が言った。俺はかっと胸が熱くなった気がした。次の言葉が出なかった。

 今までも何度かキレたことはあった。しかし、そんな生ぬるいものではなかった。本気で心の底から、怒りのあまり体が震えているのが自分でも分かった。あんな目にあったくせに、俺に…マナミを匿ってくれという頼みを簡単に断った俺に…テーブルの駄菓子を食べろや…って。
 アイツにとっては何気ない発言だったのかもしれない。だが、その発言にアイツの底抜けのアホさとエエ奴っぷりが全部のっかっていた。そう感じたからこそ、俺はこんなにキレてんるんや。
 柿本がマナミを匿ってくれと頼ってきた時、俺は拒否した。
 柿本が金子にボコられた、とヒロから聞いた時も、俺は即座に無関係だと答えた。それやのに…。

 金子かなんか知らんけど、やったる。俺は心の中で呪文のように何度もそう繰り返していた。
 刺し違えてでも、絶対に許さへん。

 ようやく「また来るわ」とだけ絞り出すように声を出して、俺は病室の出口へと身体の向きを変えた。すると柿本が静かに声をかけてきた。

「おい、タケシ、もう行くんか」
「ああ、また…」
 来るわ…色々と片付けてから、という言葉を俺は飲み込んだ。

「タケシ」

 病室のドアノブに手をかけたが、柿本の声で一瞬、止まった。

「行くなよ。金子のとこに。悪かったな色々と巻き込んでもうて。また明日も来てくれよ、暇でしゃーないんや」

 俺は振り向かなかった。柿本は俺の背中に話しかけてくる。
「金子のことはもう忘れろよ!!」
 病室を出てドアを閉めた。俺は荒ぶる感情を押し殺し、病院のバイク置き場の方へ向かった。と、そこにはヒロが壁にもたれタバコを燻らしている。

ミーンミーンミンミン

「何やタケシ!? 聞こえへん。やかましいのぉ、蝉コラ!!」
「行くぞ俺は……」
「えっ!? どこにや?」
「金子のとこや」

ミーンミーンミンミン
ミーンミーンミンミン

 ヒロはタバコを消し、俺に近づいていきた。
「本気け?」
「本気や」
「奇遇やのタケシ、俺もちょうどそれを考えとったとこや」
「お前…お前は何も関係ないやないか」
「まぁーな。お前らが金子と何で揉めてんのかもようわかってないけど、なんかムカつくやん、金子ちゃん。会ったことないけどな」
「ハハハハハハ〜、お前は相変わらずアホやのヒロ〜。いや〜、俺の中でビンビンに張り詰めてた緊張の糸が一瞬で切れてもうたわ」
 ヒロが金子の怖さを知らないはずはない。俺は無性におかしくなってきていた。
「なんやねん急に。笑いすぎやぞ、タケシ!!」
「ハハ、すまんすまん。ヒロ、タバコちょうだい」
 ヒロは首もとが大きく開いた、強い日差しに白く映える開襟シャツの胸ポケットからタバコを取り出す。
「んっ、ほれ」
「お前のクソマズい赤ラーク吸うのもなんか久しぶりやわ」


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