気付けば僕は、近所の公園にいた。
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いつからだろう。
こんなに外で遊ばなくなったのは。
大人になってからというもの、遊ぶと言えば、せいぜい近所のパチンコ屋に行ったり雀荘に行ったりするくらい……言うまでもなく、それらは屋内なワケで、子供の頃のように陽の光を浴びながら元気良く遊ぶことなんてほとんどなくなった。
どうも、ヘタしたら2週間ぐらい外気に触れていない系ライター・松真ユウです。皆さん、外で遊んでますか?きっと遊んでないんじゃないでしょうか。えっ? キャンプに行ってるですって? 釣りに行ってるですって? ……えーと、一言だけいいですか? 羨ましいです。
さて、大人になってもアクティブに外で遊んでいる方たちはさておき、今や家で何でも出来てしまう時代であることに異論はないハズ。時代の変化と昨今の状況が、より外遊びのハードルを高くしているのだ。
だからこそ思う。
あの頃に戻りたい。
あの頃に戻って無邪気に外で遊びたい――。
気付けば僕は、近所の公園にいた。
いい天気だ。清々しい。ママ達は談笑し、子供達は元気にはしゃいでいる。なんだろう。まるで幼少期にタイムスリップしたような気分だ。もしかしたら、はたから見た僕は、酢豚の中のパイナップル的存在かもしれない。要するに異物だ。圧倒的な異物。でもこのアダルティな外見とは裏腹に、僕の心は今、8才くらいまで若返っている。もう止められない。止められたところで止まるつもりもない。
とりあえず最初は、唯一空いているすべり台で遊んでみることにする。
いい景色だ。この景色はもう僕のもの。ママ達、そして、子供達からの生温かい視線が心地良い。
スーッ…
スタッ。
思わず笑みがこぼれた。
……短い。すごく短く感じた。
8歳の頃、すべり台が短いなんて1度も思ったことなかったハズなのに、体が大きくなった今となっては物足りないことこの上ない。どちらかと言うと「すべった」のではなく「降り立った」という感覚。もはやコレはすべり台ではない。降り立ち台だ。ただ地に降り立つためだけにわざわざ階段を上らされる不毛な遊具だ。やばい。少年の心が消えてしまう。
僕は早急にすべり台から離脱した。
あ、ハトだ。捕まえたい。
待て~。
待て待て~。
…まぁいい。
しょせんは鳩だ。別にこちらも本当に捕まえたいなどとは微塵も思っていない。平和の象徴だとか言いながら歩み寄るコチラを避けるような鳥たちには用はない。
今度は鉄棒で遊んでみよう。
たしか鉄棒は得意だったような記憶がある。逆上がりはもちろん、片足を棒にかけてグルングルン回るヤツとか、カエルみたいな姿勢で棒の上に乗ってグルリンッと飛び出すヤツとか、今思えば、当時の僕は舞の海より技のバリエーションが豊富だった。とは言え、実際にこうして鉄棒に触れるのは下手したら四半世紀振り。まずは手始めに逆上がりから繰り出してみることにする。
ヤバっ。
こぉぉ。
死ぬかと思った。
この感じどう表現すればいいんだろう。世界が揺れている。ゆえに焦点が合わない。貧血による立ち眩みがレベル4だとしたら、この立ち眩みレベルは28だ。何なら、逆上がり終了直後の記憶がない。気づいたらココに腰かけているのだ。
そして今、鉄棒というシンプルすぎる名の遊具が憎い。
もういい。今度は休憩がてら砂場で遊ぶ。
懐かしい感触…懐かしい温度…。
サラサラの砂に触れた瞬間、筆舌に尽くし難い謎の感動に包まれた。そうだそうだ。下の方の土はちょっと湿っていて、ひんやり冷たいんだった。よし。せっかくだから幼子には到底作れないであろうクオリティの高い高い山(ややこしい)を作ってみよう。
まずは土をかき集めて…
固めて…
形を整えて…
完成。
砂を触った時の感動はもはや消え失せていた。その儚さはまるで砂上の楼閣を彷彿とさせた(上手い)。何より、山を作るのってこんなに難しかったっけ……という謎の驚きを抱いている。全然思い描いた高さを実現できなかった。
途中、小さな男の子が寄ってきて何も言わずに砂遊びするおじさんの姿(生き様)を凝視していた。「一緒に遊ぶかい?」的な感じでニコッと微笑んでみたところ、怯えたような表情を浮かべて駆け足で去って行った。
……さてと。
水飲んで、
ヘリ乗って、
水飲んで、
ブランコして、
水飲んで、
帰るか。
よくよく考えたら、公園は一人で遊ぶところじゃない。みんなで集まって遊ぶから公園なのだ。ましてやこんなおじさんが、子供のための遊具に気安く触れていいはずがない。
純粋無垢な子供達は、一人寂しく遊んでいるおじさんを見てどう思ったのだろうか。「あそこに変なおじさんがいるよ」なんてママに告げ口でもされようもんなら、通報されてもおかしくない。事案になってしまう。職質された場合、動機を説明できない。
とにかく、数十年振りに公園で遊んでみて分かったことがあるとすれば、公園は自分の欲を満たすために足を踏み入れるべきではない聖域であるということ。もう金輪際、公園で一人で遊ぶのはやめようと思う。街中で公園を見かけても、見て見ぬふりをして素通りしようと思う。
文:松真ユウ
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