【連載小説「辻家の人々」】017 辻発彦の引退試合②/辻ヤスシ
引退会見を終えてクラブハウスを出てきた父親を無数のフラッシュとテレビカメラが出迎えた。そんな中で息子に気付いた父親は手招きで呼び寄せ手を差し出し、笑顔でこう言った。
「あとは任せた‼」
普段、家族に冗談など言わない父親。その息子は中学でも試合にほとんど出れない下手くそ。ゆえに、ソレは本心ではなく、テレビカメラを意識したリップサービスだと察知し、
「任せろ‼」
と力強く返して握手をした。
中学3年生にしては中々の機転の利いた返しだとは思うが、そのやり取りがテレビや新聞に取り上げられることはなく、親子で盛大にスベる形となってしまった。
帰りの車中。父親の口は約1時間動きっぱなしだった。来年以降は2軍のコーチとして球団に残ること、母親が引退試合に来なかったこと、高校野球について、自身の引退試合のこと……など。
いつもの父親は家族に対して口数は少ない。そのため、自分自身も父親との言葉のキャッチボールに慣れておらず、当然盛り上がりに欠けた。
それでも、話し続ける父親を見ていると、
「16年間やり切った。悔いはない。寂しさもないです。涙一つ出ませんしね」
そんな風に引退会見では記者たちに笑顔で語っていたことが、偽りだったんだと感じた。
自宅に着くと父親はバッグの中からボールを取り出し、サインペンで何やら書き始めた。
そのボールはその日のウイニングボールだった。
日付けとサインを書き、ショーケースに飾る。しばらく、そのボールを見つめる父親。
本人が何を思っていたかはわからない。
だが、この瞬間こそが、辻発彦という男がプロ野球選手としての現役生活に幕を下ろした時のように感じた。
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