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パンクロック 2

ホームレスとなった僕だけど、夏学期を受講していたので、大学の授業には出ていた。授業の後は図書館で宿題をして、夕方からはカフェテリアで皿洗いのバイトだ。

キャンパスで彼女と会うことは何度かあった。好きだったけど、付き合いが長くなるにつれて、情で一緒にいるのか、本当に好きで一緒にいるのか、わからなくなっていた。

いったん距離を置く、というのは、都合の良い言い訳かもしれない。でも、そばにいるのが当たり前になると、一緒にいてくれるありがたみがわからない。大事な人というのは誰かに取られてようやく気がつくのだ。

カフェテリアのバイトが終わると、残り物は持って行き放題だ。食べきれない量のピザとホットドッグ。シャワーは大学の新しくできたスポーツ施設で浴び放題。寝床は倉庫の床。夏だから掛け布団はいらない。

なんとか2週間をやり過ごし、日本に帰ってせっせとバイトでお金を貯めた。実家というのは素晴らしい。家賃ゼロ、光熱費ゼロ、金がどんどん貯まっていく。

一時帰国中に高校の時の友達に会うと

「お前まだ学生やってんのかよ(笑)」

と言われることがあり、少々肩身の狭い思いをした。

日本なら大学一年生の頃に僕は語学留学生だったので、一浪みたいなもんだったし、卒業後の労働ビザ取得のために、4年生になる直前に専攻を変えたので、また3年の初めからやり直していた。

学生ビザを失効した後にアメリカに居続けるためにはどうするか、考えた末の決断ではあったが、卒業がさらに遠のいたのは痛かった。いじられるたびに

「いやー、卒業後のビザのことも考えなきゃいけなくってさあ」

と言い訳をしつつも、内心はものすごくあせっていた。早く卒業しなければ。

バイト漬けだった日本での夏休みはあっという間に過ぎていった。アメリカに戻り、大学生活最後の1年が始まった。

アパートはすぐに決まった。入居すると白人のルームメイトが2人いて、フレンドリーに迎え入れてくれた。僕が夜にギターを弾いても、部屋でタバコを吸っても大家さんに言わない。よく出来た童貞たち。たまに日本のお菓子をあげた。

アパートは新築で、キレイなトイレがあって、キッチンがあって、シャワーがいつでも浴びられる。光のない倉庫での生活を経験したあとでは、あたりまえのことにありがたみを感じる。文明生活を取り戻した。

手に入れたばかりのMotorolaの携帯が鳴った。出てみるとエリックだった。

「すけちゃん、パンクバンドやろうぜ。パンク!オールドスクールパンク!」

「うーん、パンクかあ。ドラマーはいるの?」

前のバンドが解散したのは、ドラマーのジョンとボーカルのデイヴがエリックを嫌っていたことも原因の一つだったから、ジョンではないはずだ。

バンドやっていた人ならわかると思うが、ドラムは演奏する人自体がギターに比べて極端に少ない。

エリックとは何度か新しいバンドを組む話をしたことはあったが、結局ドラマーが見つからないのがネックになり、お互い積極的に動いたことはなかった。

「ザックって知ってる?演奏はいまいちだけどドラムセットもあるし、そいつスタジオ借りてるから練習もそこでやれる!」

「ボーカルは?」

「ん?オレ」

……..こいつあんまり歌上手くなかったよなあ、と思いながらも、胸は高鳴っていた。

「わかった。やろうぜ」

アメリカに来て5年。大好きな音楽で何か結果を出したかった。もしかしたらこれが最後のチャンスかもしれない。



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