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「いじり」と「いじめ」の違い 2023年1月【4】

前回、昔のバラエティ番組について書きました。司会者が新人アイドルを「いじって」目立たせようとしている。売れるチャンスが与えられているというのに、彼女はそれに気付かない。若くて視野が狭いからだ。そういう話でした。

この記事を書いた後、彼女が出演する別の回を観たのですが、徐々に気の毒だと感じる演出が増えてきました。ツイッターで検索してみると「いじり」ではなく「いじめ」であるという意見も多数ありました。

「いじり」と「いじめ」は何が違うでしょうか。私は同じものだと思います。加害者が勝手に言い分けているだけです。誰かに悪口を言って、都合のいい返しがあれば「いじり」、何も言えずに黙ったら「いじめ」といったところです。

では「いじり」ならしていいのでしょうか。ダメだと思います。

ただ、いかなる場合もダメかと言えば、例外もあると考えます。たとえば、人を笑わせることを仕事としている人の場合です。

テレビ番組「笑点」では、出演者同士が悪口を言い合います。桂歌丸さんは「幽霊」、三遊亭圓楽(六代目)さんは「腹黒」など。春風亭昇太さんは独身であることをいじられていました。視聴者はそれを観て楽しみます。「いじり」を待ち望んでいます。

芸能人に限らず、一般人も、互いにひどいことを言い合って楽しんでいることがあります。高齢者が茶飲み友達に「この村にはババアとジジイしかいねえ」などと言って笑い合う光景というのは、容易に想像できます。

どう考えたものでしょうか。「Aさんの悪口は愛があるからいいが、Bさんのは愛がないからダメ」というのも、釈然としないものがあります。

「相手が不快に思うかどうか」というのも、不快であることを口に出せない場合があるので、納得のいく尺度とは思えません。私はこの問題について、明確な回答を示すことができません。

それにしても、昔のテレビ番組を観ると、しばしば驚かされます。今では蔑称とされている言葉や、蔑視とされている見方が平然と表現されているからです。たとえば容姿、病気、性、生き方、外国人に関することなどです。

こういった蔑称や蔑視を規制する動きは、傷つく人を減らすためのものだと思います。「今は規制が多くて息苦しい。昔はよかった」と言う人がよくいますが、私には「昔は人を傷つけて遊ぶことができたのに、今はできなくなって残念だ」と言っているように聞こえます。

私は昨今の社会倫理の変化を歓迎しています。もちろん問題もありますが、総じて良い方向に進んでいると感じます。自分もそれに寄与していきたいと考えています。

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