生きる僕ら 原田マハ
わたしは昼休みに読書をする事が多いのだが『やばい、泣くわ』となって何度も途中で読むのをやめ、最後はもう諦めて自宅で読む事にした。
主人公は引きこもりの青年。引きこもりと“梅干し嫌い”のきっかけとなる学校でのいじめのシーンは、読んでいて本当に辛かった。物語の軸となる『お母さん』と『ぼく』の関係性を特徴づける必要なストーリーなんだろうが、もうやめてくれ!誰か助けてあげてくれ!と祈りの様な気持ちになって読んだ。
離婚による母子家庭で、子どもを養うために一生懸命に働く母、その母に余計な心配をさせまいといじめを隠す息子。互いへの思いやりと愛情が強いが故に、自己犠牲の塊みたいになってしまう事はよくある。息子はは壮絶ないじめやうまくいかない就活で限界を迎え引きこもりになり、そんな息子を黙って見守り続けた母にも限界がやって来る。
そこから物語は大きく動いていく。母に見放された主人公が導かれる様に父親の田舎である蓼科に行き大好きだったおばあちゃんに再会するが…。
物語の殆どはこの蓼科でのスローライフの中で引きこもりだった主人公が立派な青年に成長していく過程なのだが、仕事をすること、仕事と農業の両立、認知症、介護…など、現在も多くの人が抱えているであろう問題が次々と降りかかってくる。ついこの前まで引きこもりだった若者にはハードルが高すぎやしないかと思うが、周りの人に助けられ、時には助け、稲の様にぐんぐん大きくなっていく姿は、長い事成長が止まっているわたしにとってとても美しかった。
しかしこのメインのストーリーの部分で、ほとんど母親に触れる事がなく、いやいやいや…おばあちゃんありがとうなのは分かるけど、いちばん感謝しなきゃいけないのはお母さんじゃないの?職場のおじさんとその息子の間を取り持つのはいいけど自分のオカンは!?稲作は確かに素晴らしいと思う。農業って素敵よな。でもオカンは?
お母さんの事、忘れてないですよね?
わたしは終始この気持ちか拭えず、稲作についての丁寧な描写や、蓼科な美しい景色についてなど、気もそぞろで話半分といった具合で読み流してしまった。最終的には『やばい、泣く』状態となり、それが狙いだったのかな?という気もする。
一歩さえ踏み出せば、あとは転がる様に人生は進んでいくのだなという事を教えてくれる作品でした。その一歩が難しいんだけどね。