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財産であるがゆえの罪算

珍しくもない話ではありますが、文春オンラインに掲載されている記事をアーカイブしておきます。
           ◆◆ 彷徨う仏像 ◆◆
著者 西岡 研介
2022/04/01
◆ 01
「仏像2体が行方不明に」創建1300年の古寺から重要文化財が消えた…ドロ沼の盗難事件に“空前絶後のスキャンダル”
https://bunshun.jp/articles/-/52633

 「主文。原告の請求をいずれも棄却する」「原告は、被告に対し、各仏像を引き渡せ」――。
 2018年1月、大津地裁で注目の裁判に判決が下された。
 原告となっていたのは、東京都品川区にある安楽寺。弘治2(1556)年に開山された、天台宗の本山、比叡山延暦寺の末寺で、宗教法人法上での、天台宗の「被包括法人」だ。

FireShot Capture 2048 - [写真](1ページ目)「仏像2体が行方不明に」創建1300年の古寺から重要文化財が消えた…ドロ沼の盗難事件に“空前絶後のスキャンダル” _ - bunshun.jp

 対する被告は、滋賀県甲賀市にある古刹「大岡寺(だいこうじ)」。白鳳14(686)年、奈良・東大寺の「四聖」の一人に数えられる僧、行基が大岡山の山頂に、自彫の千手観音像を安置し、創建したと伝えられ、「方丈記」の鴨長明が出家した寺としても知られる。大岡寺も、天台宗の被包括法人だったが、1951年に「包括法人」である天台宗から離脱し、単立の宗教法人となった。
 そんな由緒ある寺同士が争ったのは、国の重要文化財に指定されている2体の仏像の所有権だった。もともと、仏像は滋賀県の大岡寺に安置されていたが、ある日、忽然と姿を消してしまった。そして15年後、東京都の安楽寺にあることが判明したのだ――。
◆ 「檀家だった男が、仏さまを持ち出し……」
 この事件の“被害者”となったのは、「木造千手観音立像」(116cm)と「木造阿弥陀如来立像」(98cm)。千手観音立像は鎌倉時代の作で、当時としてはめずらしい一木造りだ。阿弥陀如来立像は平安時代の作で、いずれも作者は不明だが、1950年に国の重要文化財に指定された。
 長らく大岡寺に本尊として祀られていた千手観音立像が、阿弥陀如来立像とともに姿を消したのは2001年のことだった。45年にわたってこの寺で勤め、一昨年5月に死去した住職の妻が語る。
 「もともと檀家だった男が、お寺から2体の仏さまを持ち出し、それ以降、行方がわからなくなったのです」

FireShot Capture 2050 - [写真](2ページ目)「仏像2体が行方不明に」創建1300年の古寺から重要文化財が消えた…ドロ沼の盗難事件に“空前絶後のスキャンダル” _ - bunshun.jp

 しかし、それから12年後の2013年、思わぬ形で仏像の行方が明らかになった。NHKの「クローズアップ現代」の取材で、この2体の仏像が複数のブローカーの手を経て、東京に流れていたことが判明したのだ。
 「NHKの記者さんの案内で、私たちも東京まで行ったのですが、結局、仏さまには会えず終いでした。しかし、(クローズアップ現代の)放送後、平成28(2016)年頃に東京の『安楽寺』というお寺さんにあると教えて下さった方がいて、安楽寺まで伺ったのです」
◆ 後を絶たない「重要文化財の盗難被害」
 当時も今も、仏像などの重文の盗難被害は後を絶たず、その多くはブローカーの手によって中国などに流れ、一部は「高級美術品」として売買の対象となる。
 08年にはニューヨークのオークションに運慶の大日如来坐像が出品され、日本の美術品史上最高額の13億円で落札された。幸いなことに落札者が日本の宗教法人だったため、国外流出は免れたという。
 また先述のNHK「クローズアップ現代」の取材班が13年に独自調査を行ったところ、全国18府県で国宝1点を含む76点の重文が所在不明となっていた。大岡寺から盗まれた2体の仏像もその一部だったが、幸いにも日本国内に留まっていた。
 その後、大岡寺は安楽寺に仏像を返すよう求めたが、安楽寺はこれを拒否。正当な手続きを踏んだ上で取得したものだとして、15年8月、文化庁に、仏像2体の所有者変更を届け出た。しかし、文化庁は「当事者間で整理されていない」として、所有者変更を認めず、一方の大岡寺は、安楽寺が所有者変更を届け出た直後に、文化庁に盗難届を提出した。
 「仏像が盗まれた」と主張する大岡寺と、「仏像は正当に取得したものだ」と主張する安楽寺。両寺の主張は真っ向から対立し、必然的に事態は法廷へと持ち込まれることになった。
◆ 争いの舞台は法廷へ
 まずは安楽寺が16年3月、大岡寺がある滋賀県の大津地裁に対し、仏像2体の所有権の確認を求める訴えを起こした。一方の大岡寺も翌17年、安楽寺に対し、仏像2体の引き渡しを求めて反訴。2件の訴訟は併合され、2体の仏像の所有権は法廷で争われることとなった。
 訴訟の中で、安楽寺側は当初、2体の仏像について「2006年に大岡寺から無償譲渡、引き渡しを受けた」と主張していたが、その後、「2015年に檀家から寄進を受けた」と、その主張を変遷させた。
 これに対し、大岡寺側は、06年に安楽寺側に無償譲渡したという事実を否認した上で、「15年に檀家から寄進を受けた」という安楽寺側の主張も「そんな事実があったとは思われない」とした。
 また安楽寺側は、「檀家から仏像2体の引き渡しを受けた15年の時点で、文化庁や大崎警察署に、盗難の被害届が出ていないことを確認しており、仏像の所有者が檀家であると信じていた」とも主張していた。が、大岡寺側は「そもそも警察に確認に行くこと自体が、(安楽寺が)檀家の所有権を怪しいと疑っていたことを示すものだ」などと反論したのである。
◆ ようやく仏像が返ってくる……はずだった
 文化財保護法は、重要文化財の所有者が変更した際には、新所有者や旧所有者、管理場所などを記載した必要書類を添えて、20日以内に文化庁長官に届け出なければならないと定めている(32条)。
 仮に、「15年に檀家から寄進を受けた」という安楽寺側の主張が事実だとすれば、だ。15年までに、その「檀家」から文化庁に対し、所有者変更の届けが出された形跡はなく、安楽寺は、法に定められた届け出もしていない人物から、仏像2体を譲り受けたことになる。
 両寺は2年近くにわたって、仏像の所有権をめぐって争い続けたが、大津地裁は18年1月、判決で「国の重要文化財である仏像が正規の取引によって転々流通すること自体が考え難い」と指摘。「安楽寺には、仏像の来歴に注意を払わなかった過失があった」などとして、大岡寺側の訴えを認め、安楽寺側に対し、2体の仏像を大岡寺に引き渡すよう命じたのだ。
 15年もの間、その行方が杳としてしれなかった2体の仏像を元の寺に戻すよう命じたこの判決は当時、地元の新聞やテレビでも大きく報じられ、騒動はハッピーエンドで幕を下ろした……かのように見えた。
◆ 仏像は大岡寺に戻っていなかった
 2021年10月、私は、裁判で、その所有権が争われた2体の仏像の尊容に接していた。ガラスケースの中では、42本の手のうちの2本を胸の前で合わせた千手観音立像と、特有の「来迎印」を結んだ阿弥陀如来立像が、ともに柔和な表情を浮かべ、金屏風の前に並んで立っていた。
 だが、ここは大岡寺ではない。同寺のある滋賀県甲賀市から直線距離にして約260km離れた、静岡県熱海市にある私設美術館だ。
 なぜ、2体の仏像は大岡寺ではなく、熱海の美術館に置かれているのか。
 私の手元に、文化庁への情報公開請求で入手した2つの書類がある。先述の通り、重要文化財は、所有者が変更された場合、必要書類を添え、文化庁に届け出をださなければならないと定められている。
 1つ目は、この私設美術館を運営する、東京都千代田区の財団に所有者が変更されたことを示す書類である。「変更の年月日」は2021年3月5日。「変更の事由」は〈売買〉とある。では、この財団に2体の仏像を売却したのは誰か――。それを示す「旧所有者の氏名又は名称」にはこうある。〈宗教法人安楽寺〉。

FireShot Capture 2052 - [写真](4ページ目)「仏像2体が行方不明に」創建1300年の古寺から重要文化財が消えた…ドロ沼の盗難事件に“空前絶後のスキャンダル” _ - bunshun.jp

 これは一体どういうことなのか。その謎を解く鍵が、もう1つの書類にある。
 こちらもまた、2体の仏像の所有者変更を届け出た書類である。「変更の年月日」は〈2019(平成31)年1月15日〉。大津地裁の判決から約1年後のことだ。そこには、大岡寺から安楽寺へ、仏像が〈無償譲渡〉されたと明記されている。
◆ 盗難事件の摩訶不思議な“その後”を追う
 話を整理しよう。滋賀県の大岡寺と東京都の安楽寺は、2体の仏像の所有権を巡り、法廷で争っていた。もともと仏像を所有していた大岡寺は「いま安楽寺にある仏像は盗まれたものだ」と主張。裁判ではそれが認められ、安楽寺に対し「仏像を引き渡せ」との判決が下された。
 だが、そのわずか1年後、大岡寺は“盗んだ側”である安楽寺に、2体の仏像をなぜか無償譲渡した。そして、裁判で負けたにもかかわらず、タダで仏像を手に入れた安楽寺は、今度はその2年後、第三者に仏像を売却。そして現在、彷徨い続けた2体の仏像は、熱海の私設美術館に展示されている――ということのようなのだ。
 一度はハッピーエンドで幕を下ろしたかに見えた、2体の仏像を巡る盗難事件。私は、この摩訶不思議ともいえる“その後の足跡”を丹念に追ってみた。
 なぜ大岡寺は裁判で勝ったにもかかわらず、安楽寺に仏像を〈無償譲渡〉したのか。そして、安楽寺はなぜ、無償譲渡で手に入れた仏像を、第三者に売却したのか。すると、天台宗の総本山、比叡山延暦寺を震撼させるスキャンダルが明らかになったのである。
◆ 02
「そんな金額じゃなかったと思います」仏像盗難裁判の不可解すぎる結末…原告と被告の寺に“裏金疑惑”が浮上
彷徨う仏像 #2
https://bunshun.jp/articles/-/52637
「う~ん、ちょっと、その(仏像の)件に関しては、答えられへんな。僕は代表ではあるけれども、僕が関与してへんことが結構多いから。そやし、Xさんに聞いて……」
 大岡寺の代表役員——仮にY氏としておこう——は、私の直撃にこう言葉を濁した。
◆ 仏像が辿った“不可解な流れ”
 2016年、滋賀県甲賀市の古刹「大岡寺」から15年前に姿を消した国の重要文化財、「木造千手観音立像」と「木造阿弥陀如来立像」の2体の仏像が、複数のブローカーの手を経て、東京都品川区の安楽寺に渡っていたことが判明した。
 その後、大津地裁で、この2体の仏像の所有権をめぐる両寺の争いが繰り広げられたが、大津地裁は18年、安楽寺に対し、仏像を大岡寺に戻すよう命じる判決を下した。
 ところが、その判決から約1年後の19年2月1日付で、安楽寺から文化庁に出された〈重要文化財の所有者の変更の届出〉によると、2体の仏像は同年〈1月15日〉付で、大岡寺から〈無償譲渡〉されたことになっている。
 15年もの間、行方不明だった仏像がようやく、元の寺に戻ってくる……。地元の新聞やテレビでも“ハッピーエンド”として大きく報じられたその裏で、わずか1年後、“盗まれた側”の大岡寺が、“盗んだ側”の安楽寺にタダで仏像を譲り渡していたのだ。
◆ 大岡寺側を取材すると……
 両寺の間で、一体何が起きていたのか――。取材を進めると、〈無償譲渡〉とされた届出とは異なり、実際には安楽寺から大岡寺に多額の“裏金”が渡っていた事実がみえてきた。大岡寺関係者が語る。
 「今も大岡寺の代表役員に就いているYは、地元ではよく知られた、寺の“乗っ取りグループ”のメンバーで、安楽寺が大岡寺を相手取り、仏像の所有権の確認を求める裁判を起こした時にはすでに、大岡寺は、このグループに乗っ取られていた。
 黒幕は、京都の不動産業者のX。グループを親族や同級生、自らの会社の社員らで固めたXは、大岡寺に入り込み、それまで代表役員に就いていた住職を外して、従兄弟のYにすげかえた」。
 近年、社会問題化している、宗教法人の“乗っ取り”――。高齢化や過疎化によって住職や檀家が不在となった、あるいは、財政状況が極端に悪化した単立寺院(宗教法人)に言葉巧みに入り込み、寺院規則や宗務規則などの内規を書き換えるなどして、その法人の代表役員や責任役員に就任し、経営・運営権を握るのだ。
 乗っ取りの目的は、その寺の持つ土地や文化財などの財産であったり、宗教法人だけに認可される墓地や納骨堂の経営など様々だ。が、宗教法人に認められる税制優遇措置を脱税、節税に利用しようと考える企業も少なくなく、ネット上ではおおっぴらに、宗教法人が売買されている。
 大岡寺の法人登記を確認すると、確かに、2009年の時点で、それまで30年以上もこの寺で勤めていた住職(20年に死去)に代わって、Y氏が代表役員に就いていた。
◆ 「安楽寺に仏像の譲渡を持ちかけた」
 また「黒幕」と名指しされたX氏は01年、琵琶湖上のプレジャーボートの船内に、京都市内の会社役員の手足をロープや粘着テープなどで縛って監禁し、殴る蹴るの暴行を加えたとして、逮捕監禁傷害の容疑で京都府警に逮捕。さらに08年には、偽造された不動産関係書類を裁判の証拠として提出したとして、偽造有印私文書行使の疑いで、同府警に逮捕されるという前歴も持っている。前出の大岡寺関係者が続ける。
 「実は一審判決後、安楽寺は大阪高裁に控訴していたのだが、一審で敗訴した後も、安楽寺が仏像を欲しがっていることに目をつけたXは、(大岡寺の)住職に無断で、安楽寺に仏像の譲渡を持ちかけた。
 だが、寺同士で仏像を売買するのはあまりにバツが悪かったのだろう。表向き、『無償譲渡』として、裏では安楽寺から仏像の『預かり保証金』名目で約8500万円を受け取った」
 つまり、大岡寺は安楽寺に対し、仏像2体を実際には売却していたというのだ。それは本当なのか。私はX氏を直撃した。
◆ X氏は直撃に対し……
――Xさんが大岡寺を乗っ取ったと言われていますが。
「違いますよ。あそこのお寺はもともと、借金塗れで、競売にかかっていた。それで、住職から相談を受けた私が、(競売をかけていた債権者に)話をつけて、(競売を)下ろさせた。助けてあげたんです」
――仏像2体について、表向きは無償譲渡としながら、実質は有償譲渡であり、大岡寺は安楽寺から約8500万円の『預かり保証金』を受け取ったと聞いています。
 「8500万なんて、知りませんね。安楽寺(と大岡寺)との間には、双方とも弁護士が入っていたので、弁護士同士で『和解』したんとちゃいますか。もしそんな金が(安楽寺から大岡寺)に入ったんなら、弁護士の(預かり金)口座に入ったんでしょう」
 当初はこう主張していたX氏だが、質問を重ねると答えが変わっていった。
――8500万円が弁護士の口座に入ったんですか?
 「そんな金額じゃなかったと思います。もっと低い(金額だった)と思います。もし(安楽寺が大岡寺に支払った金額が)『8500万円』だとしたら、途中で誰かが(金を)抜いてるんやろね」
 金額については「もっと低い」としたものの、安楽寺から金銭を受け取ったことを認めたのだ。
◆ “裏では有償譲渡”に法的な問題は?
 表向きは無償譲渡としながら、実際は有償譲渡だった――。国の重要文化財をめぐるやりとりとして、法的な問題はないのか。自らも僧籍を持ち、宗教法人法など宗教関連の法律やトラブルに詳しい本間久雄弁護士はこう語る。
「文化財保護法は、原則として重文の有償譲渡を禁止し、まずは国に対し、売り渡しの申し出をしなければならず、文化庁長官から買い取らない旨の通知を受けてはじめて、有償譲渡が可能となると規定しています(46条)。このような規定に違反して有償譲渡がなされた場合、10万円以下の過料に処されます。

FireShot Capture 2054 - [写真](3ページ目)「そんな金額じゃなかったと思います」仏像盗難裁判の不可解すぎる結末…原告と被告の寺に“裏金疑惑”が浮上 - 文春オ_ - bunshun.jp

 仮に、大岡寺から安楽寺への譲渡が、(無償譲渡と届け出ているにもかかわらず)有償譲渡であった場合、大岡寺は過料に処される可能性がありますが、文化財保護法の手続きに違反していたとしても、譲渡の効力に影響はないとされています」
 ところで、#3で詳述するが、安楽寺はその後、熱海の私設美術館に「2億3000万円」で仏像2体を売却したとみられている。それと比較すると、大岡寺から安楽寺に引き渡された際の8500万円、あるいはX氏の主張通り「もっと低い」金額だとしたらなおさら、ここでは仏像2体が“相場”よりも安く取引されたということになる。
 なぜ、大岡寺はそんな金額で仏像を譲り渡したのか。大岡寺関係者はこう語る。「当時、Xは、大岡寺とは別の(滋賀県内の)名刹の乗っ取りに絡んで、多額の債務を抱えていた。よって、手っ取り早く仏像をカネにしたかったんだろう」
 一方、安楽寺にもまた、そうした“工作”を行ってまで、仏像を手に入れたかった理由があるはずだ。私は、大岡寺から仏像2体を手に入れ、さらにそれを千代田区の財団に売却した当時の安楽寺の住職を直撃した。
◆ 03
「天台宗にとって前代未聞の大事件」寺の財産で高級車やクルーザーを…品川区の寺から追放された“強欲住職”の悪行
彷徨う仏像 #3
https://bunshun.jp/articles/-/52643
「あぁ……それはちょっと分からないです」「申し訳ないですけど、お答えできないんで、すみません……」
 2021年10月25日、自宅の玄関先で、私が“事件”の顛末を質そうとすると、その男はくぐもった声でこう繰り返し、家の中に戻っていった――。
◆ 裁判後も彷徨い続けた仏像
 2016年、滋賀県甲賀市の古刹「大岡寺」から15年前に姿を消した国の重要文化財、「木造千手観音立像」と「木造阿弥陀如来立像」の2体の仏像が、複数のブローカーの手を経て、東京都品川区の安楽寺に渡っていたことが判明した。
 その後、大津地裁で、この2体の仏像の所有権をめぐる両寺の争いが繰り広げられたが、大津地裁は18年、安楽寺に対し、仏像を大岡寺に戻すよう命じる判決を下した。
 ところが、その判決から約1年後の19年、2体の仏像が大岡寺から安楽寺に〈無償譲渡〉され、さらにその2年後の21年、安楽寺から、熱海の美術館を運営する東京都千代田区の財団に売却されていた。つまり2体の仏像は判決後も、安住の地を得られないまま、彷徨い続けていたわけである。
 一体、なぜ、そんなことが起こったのか……。私は、ことの真相を確認するため、大岡寺から仏像2体の〈無償譲渡〉を受け、さらにそれを千代田区の財団に売却した当時の安楽寺の住職を直撃したところ、冒頭のように彼は何も答えようとはしなかったのだ。
◆ 住職は天台宗から「擯斥」されていた
 もっとも、それも致し方ないことなのかもしれない。というのも、彼は——仮にA氏としよう——21年7月25日付で、安楽寺の包括宗教法人である天台宗から「擯斥」、一般社会でいうところの「懲戒免職」処分を受け、すでに安楽寺から追放された身だったからだ。
 安楽寺の法人登記を確認しても、A氏は21年7月25日付で「退任」となっている。彼の身に何が起きていたのか。天台宗関係者が語る。
 「A氏にはもともと浪費癖があり、10数年前から、(安楽)寺の所有する土地などを担保に金融機関などからお金を借りるだけでなく、それらの不動産を(天台宗)本山に無断で処分していたのです」
 #1でも触れたが、安楽寺は天台宗の「被包括法人」だ。被包括法人が寺の不動産や宝物などの財産を処分する場合、「包括法人」である天台宗の承認を得なければならない。
 「天台宗では、(末)寺の不動産を担保に供することさえも宗規で禁じています。末寺の土地や宝物は、その寺のものではなく、『天台宗のもの』ですから。しかしA氏はそれを無視し、ゴルフ仲間だった不動産ブローカーと組んで、不動産売買にのめり込み、数億の負債を抱えたのです」(前出・天台宗関係者)
 かつて、安楽寺の目の前には「別院五雲閣」という葬祭場があったが、そこには現在マンションが建っている。A氏はここも借金の担保に入れてしまい、そのカタに取られてしまったのだという。
◆ 「2体合わせて50億で売れる」
 住職にとって禁じ手である、寺の財産に手を付けていたA氏。そんなA氏のもとに、2体の仏像が持ち込まれたことから、彼の浪費は一気に加速し、負債も膨れ上がっていったという。
 「安楽寺に仏像を持ち込んだのは、A氏の幼馴染で、檀家でもあった建設業者のB氏。誰がB氏に仏像を引き渡したのかは知りませんが、B氏が第三者から借金のカタに取り上げたと聞きました。
 二人は初めから、仏像を売り払うつもりでした。ただ、一個人である『B氏の所有』より、『安楽寺の所有』としたほうが高く売れるだろうと踏んだ2人は、B氏からの寄進という形で、安楽寺の所有という体裁を整えたのです」(同前)
 A氏は「2体合わせて50億で売れる」と皮算用していたという。その売却益を見込んでさらに借金を重ね、「自分にはベントレー、息子にはジープを買い与え、60フィートのクルーザーに、ヨットハーバー近くのマンション、山中湖に別荘を購入する」(同前)など、次々と散財していった。
 一方で、仏像を譲って欲しいという申し出も何件かはあったようだが、二人があまりに高値をふっかけたため、なかなか売れず、A氏は逆に借金を重ねることになったようだ。
◆ 天台宗トップによる事情聴取
 そうした中で、安楽寺は18年、所有権の確認を求めた裁判で敗訴。だが、A氏にとってこの仏像は、膨れ上がった借金を返すための最後の切り札だった。簡単に諦めて、大岡寺に引き渡すわけにはいかない。大岡寺から“無償譲渡”を持ちかけられたのはそんな時で、A氏にとっては願ってもない申し出だっただろう。
 #2でも触れたが、大岡寺関係者によると、「一審で敗訴した後も、安楽寺が仏像を欲しがっていることに目をつけたXは、(大岡寺の)住職に無断で、安楽寺に仏像の譲渡を持ちかけた」という。このとき、表向きは〈無償譲渡〉としながら、実際は有償譲渡であり、安楽寺から大岡寺に約8500万円が支払われたとみられている(X氏は「もっと低い(金額)」と主張)。
 この金額は、重要文化財の仏像の“相場”からみて安い方だといえるが、既に借金で首が回らなくなっていたA氏が用意できる金額としては、これが限界だったのだろう。また同時に、A氏には「ここで8500万円を支払っても、もっと高い金額で仏像を売却できる」という確信があったからこそ、この取引に応じたはずだ。
 しかし、借金塗れとなった安楽寺の危機的な財政状況はほどなく、同寺を管轄する天台宗の「東京教区宗務所」を通じ、本山の耳に入り、天台宗の行政上のトップ、「天台宗務庁」は21年1月から、A氏の事情聴取を始めたという。
 天台宗東京教区宗務所の所長(同宗東京教区の総責任者)は、私の取材に対しこう答えた。
 「A氏が、安楽寺の財産を本山に断りもなく処分したことは事実です。1月から宗務庁による事情聴取が始まり、3月に入って正式に“事件化”し、天台宗における裁判、『審判』が始まりました。その審判の結果、A氏は7月25日付で擯斥処分を受けたのです」
 ところが、審判が始まり、擯斥処分は免れないと悟ったA氏は3月5日、前述の、熱海の美術館を運営する千代田区の財団に、仏像2体を売却するのだ。つまりは売り抜けたわけである。
 「A氏は当初、2体の仏像を、中国に売ろうとしていたようですが、その目論見もコロナ禍で潰えた。そこで、処分を受け、安楽寺から放逐される前に、仏像を現金に換えてしまおうと思ったのでしょう。熱海の美術館に『2億3000万円』で売却したと聞きました。(売却益は)自分の借金の返済に充てたようです」(前出・宗務所長)
 私は熱海の美術館を通じ、千代田区の財団に取材を申し込んだが、拒否された。
◆ 「天台宗にとって前代未聞の大事件」
 実は天台宗務庁は、A氏と同時期に、同じく品川区にある「観音寺」の住職で、A氏の僧侶の後輩でもあるC氏を事情聴取している。A氏はC氏を土地取引に巻き込んでおり、C氏もまた本山に無断で観音寺の不動産を処分し、莫大な負債を抱え込むことになっていたのだ。さらにA氏は、すでに負債を抱えていたC氏から「仏像が売れたら返すからと、1億1500万円もの金を借りていた」(前出・天台宗関係者)という。
 観音寺は、都内の天台宗の寺院の中でも、有数の資産を持つ寺として知られていたが、最終的には他の寺から3億円の借金をするなど、首が回らなくなっていたというのだ。
 天台宗務庁による審判の結果、A氏に巻き込まれた観音寺住職のC氏も21年9月27日付で擯斥処分を受け、天台宗僧侶の身分を剥奪された。が、その処分から6日後の10月3日の未明、C氏は自ら命を絶っている。享年48という若さだった。
「僧侶の先輩で、日頃から世話になっていたA氏から誘われるままに不動産取引にのめり込み、気がつけば、自分ではどうしようもない額にまで負債が膨れ上がっていた。なんとか寺の財政を立て直そうと悩み、もがいた末に、自死を選んだのでしょう。彼はもちろん、残された家族が不憫でなりません」(前出・宗務所長)
 安楽寺と観音寺の法人登記によると、A、C両氏が擯斥処分を受けた後、ともに「小林祖承」という人物が「代表役員代務者」として就いている。
 「小林さんは、天台宗の『参務』。天台宗の責任役員であり、天台宗全体の財産に責任を負っている方です。宗務庁での肩書きは『総務部長』。その小林さんが今回、(天台宗のトップである)宗務総長の命を受けた『特命代務』として、両寺の代表役員代務者に送り込まれた。このことからも分かるように、今回、A氏が起こした問題は、被害額の大きさや、その内容からみて、天台宗にとって前代未聞の大事件であることは間違いありません」(同前)
◆ 売買の手続きに問題はなかったか?
 繰り返しになるが、安楽寺は天台宗の「被包括法人」だ。被包括法人が寺の財産を処分する場合、「包括法人」である天台宗の承認を得なければならない。ならば、A氏が、これら2体の仏像を売却する際には、天台宗本山の承認が必要だったはずだ。
 ところが、天台宗に確認すると、「承認するはずがない」(同前)という。となると、この売買は、法的に問題はないのか。#2に続き、本間弁護士に聞いた。
 「確かに、被包括法人が不動産や、財産目録に掲げる宝物を処分する際は、その宗派(包括法人)の代表役員の承認や、公告が必要とされ(宗教法人法23条)、これら正規の手続きを経ずに行われた譲渡(売買)は無効とされます(24条)。
 ただし、それは、あくまで〈財産目録に掲げる宝物〉が対象で、もし、安楽寺が仏像を財産目録に掲げないまま、売却していたとしたら、宗教法人法上、問題とはならないのです」
◆ 天台宗は「然るべき対応をとるつもりです」
 こうしたA氏の一連の不祥事について、天台宗務庁は次のようにコメントした。
 「今回の件はまずもって、安楽寺、観音寺の檀信徒さんに申し訳なく思っています。
 我々の最大の使命は、このふたつの寺を守り、存続させることにあります。現在も、(両寺が抱えた)負債の調査を継続していますが、財務状況は非常に厳しく、まずはこのふたつの寺の立て直しに全力を注ぎたいと考えています。
 しかしながら、(不動産や仏像の処分の過程で)不法、違法行為が行われていたとすれば、宗教法人として社会的に許されることではなく、天台宗として然るべき対応をとるつもりです」(小林祖承・総務部長)
◆ 一方の大岡寺では……
 一方、無償譲渡としながら、実際は仏像2体を有償で安楽寺に売却していた大岡寺でも、別の疑惑が浮上している。大岡寺関係者はこう語る。
 「実は、この仏像の(大岡寺から安楽寺への有償)譲渡には、(指定暴力団)会津小鉄会の大幹部も絡んでいる。その大幹部とXは数十年来の付き合いで、Xは、その大幹部が『親』となった頼母子講にも入っている。
 そして、安楽寺から大岡寺に『預かり保証金』名目で約8500万円が支払われた後、 Xから大幹部に約500万円が謝礼として流れたんだ」
 つまりX氏は長年にわたる「暴力団密接交際者」だったわけだ。X氏は私の取材に対し、こう答えた。
 「まったく知りませんね。そんな話、一切ありませんわ」
 だが、X氏は、くだんの「会津小鉄会の大幹部」との面識と、その幹部が「親」となった頼母子講に、「子」として参加していることは認めた。
 欲に塗れ、業深い数多の人間たちの手によって、俗世を彷徨い続けることを余儀なくされた千手観音立像と阿弥陀如来立像。この仏様たちが安住の地を得られる日は果たして、来るのだろうか。(了)

#寺院 #重要文化財 #佛像 #西岡研介 #訴訟 #権利 #乗っ取り #大岡寺 #安楽寺 #不動産


 

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ダルマダースの日本探訪
長期海外滞在者が突然日本に帰国して、この国(私の祖国)の状況にためらいつつ、直観で直言する NOTE です。水、滴(した)りて、石を穿(うが)つ。一刻一刻、姿形を変えていく娑婆世界。情報過多の21世紀。日々の気づき、正しい判断と行動を積み重ね、より良い祖国を創ってゆきましょう。