おもいやり
実家のトイレには
相田みつをの日めくりカレンダーがあった。
“親切という名のおせっかい
そっとしておくおもいやり”
ほんとそうだよなぁと
月に1回この日めくりが来るたびに思っていた。
学生の頃は言わば“そっとしていて欲しい側”
両親との関係は悪くはなかったけれど
あれこれ言われなくても自分なりに考えている!
何かあったら言うから!ほんとにうるさーーい!
とよく思っていた気がする。
先日、親知らずを抜いた。
定期的に歯茎の調子が悪くなっていたし
歯のメンテナンスに通ったタイミングで提案していただいたので抜くことにした。
その予定をほろっと母に話したところ
どこの歯科で抜くのか
そこは本当に腕がいいのか
抜く選択肢しかないのか
親知らずの保存療法があるらしい←本当か?笑
終いには、
今年は厄年(私が)なんだからやめた方が良くない?と、、 笑
もういい大人なので、思春期の頃のように
うるさーーい!とまではならなかったし
そもそも母は心配性なので本当に最悪のケースを想定し、心配してくれての言葉だと思うが、、
(私は楽観的。根本的に性格が違う)
久しぶりに
その 相田みつを の言葉を思い出した。
と、同時に
自分にもその言葉が降りかかってきた。
“そっとしていて欲しい側”だった私が
今や3児の母となり、
親心やしつけという仮面を被って
“親切という名のおせっかい側”になっているのではないか。
『そっとしておくおもいやり』
おせっかい 、、 焼いた方が楽なんだよね
そっと信じて見守る
そっちの方がおせっかいを焼くよりも
ものすごくエネルギーいる
おもいやりって難しいなぁ、、
久しぶりに思い出した言葉が
ブーメランのように自分に突き刺さりましたとさ。
親知らず抜いただけなのになぁ。