留学はもちろん、海外に住んだことのない私が英語を習得できた私の英語習得法05
第5章 英語の習得過程で考えたり気づいたりしたこと(1)
※第0章~第4章を読まれていない方は、先にそちらを読まれるように勧めます。
英会話の練習を本格的に始めて、次第に英語を話すことができるようになる過程において、いろいろなことを経験したり、考えたりしてきました。英語が話せるようになる前には漠然としてしか考えていなかった“英語を話す”ということが、少しずつ具体的な体験として実感できるようになりました。それに伴い、あたかも、写真のピントが次第に合ってくるような感じで、それまで見えていなかったことへの気づきを得てきました。但し、それらの体験は広範囲に渡りますので、一度にすべてを説明するのは不可能です。そこで、時々そういったことに焦点を合わせた章を作っていきたいと考えています。本章はその手始めということになります。
これから書くことは私にとって非常に興味深いことなのですが、読者の皆様にそのように感じていただけるかどうか分かりません。簡単に言えば、学習や英語のレベルが進んでいくにつれて、“英語を話す”ということについての主観的な感覚が大きく変化していくということです。ちょうど新しいドアを開けるような感じです。そのドアを開けるまでは、ドアの向こうに何があるか分からないのです。ドアを開けてみて、“そうだったのか!”という感じを持つことを何度も経験してきました。当然ながら現在も変化の過程にあるので、私が今到達している状態が最終的な目的地(final destination)ではないと思っています。ですから、これから書くことは、あくまでも現時点での話ということになります。
・真のバイリンガルとはどんな人のことを言うのか?
個人的な体験を説明する前に、バイリンガル(bilingual)という言葉について思うところを書いてみます。
誰もがバイリンガルになりたいと思っているでしょう。ある程度英語を話せるようになると、自分のレベルが中級であっても、「貴方はバイリンガルなのですね!」と周囲の人からよく言われるようになります。しかし、このときの“バイリンガル”が意味することは、真のそれではないと思います。
私は過去に数人、真のバイリンガルと思われる人に出会いました。そして彼らに、「バイリンガルであるというのはどんな状態なのですか?」と尋ねて、その状態について教えてもらったことがあります。彼らは、全員ではありませんが、大部分の人がいわゆる“ハーフ”(mixed-race)の方で、片親が英語ネイティブで、もう片親が日本人の場合が多かったと思います。彼らの多くは、言葉を話すときに「何語を話しているか、ほとんど意識していない」と言っていました。つまり、話しているときの流れで、英語だったり、日本語だったりするわけですが、それを意識していないということでした。場合によっては、言語を切り替えていることも意識していないようでした。
この話を聞いた時、私たちのように一つの言語で育ってきた人が、その国を離れずに英語の勉強をしてバイリンガルになるのは、現実的に不可能だと思いました。英語圏にずっと住めば英語がペラペラになるのではないか、と思われるかもしれません。しかし、そういった人は、母国語がおかしくなってくるように思います。私が話したことのあるバイリンガルの人々は、日本語の語りも全く自然でした。つまり話された日本語の音だけを聞くと、普通の日本人との違いを全く感じませんでした。日本語上手な外国人が話す日本語、という感じが全くありませんでした。
しかも、英語もネイティブレベルでした。何故それが分かるかというと、ある国際会議での(英語での)発表を聞いていた時の経験からです。マイクが使われなかったので、小さな音しか聞こえてきませんでした。私にはほとんど聞き取れなかったのですが、同席した真のバイリンガルは、それを問題なく聞き取っていました。
仮に日本語で考えてみると、日本語ネイティブでなければ、ひそひそ話の日本語を聞き取ることは、難しいでしょう。なぜなら、はっきりしない音が聞こえてきたとき、人間の脳は自動的にその人にとって一番優位な言語の音として理解しようとしているように思えるからです。つまり、日本人なら日本語として、英語ネイティブなら英語として、はっきりしない音を補いながら聞いていると思います。ですから、日本語のひそひそ話を聞くときには、欠けた音を日本語として補いながら聞けば、意味が通じる音声になる可能性が高いと思われます。
英語ネイティブであれは、よくわからない音が聞こえてきたら、脳はそれを英語として理解しようとしているはずです。そしてその脳の働きは、音がとぎれとぎれであっても、英語の音声を聞いて理解し続けることを可能にすると思います。多分、真のバイリンガルはいずれの状況でも対応できるのではないか、つまり、英語のひそひそ話は英語として、日本語のひそひそ話は日本語として自動的に理解しているのではないかと思っています。
お金と時間を大量に消費して練習すれば、真のバイリンガルになるのも不可能ではないかもしれません。しかし、通常はそのようなことは無理です。現実的に可能な範囲内の努力では、このレベルになるのは不可能だと思っています。
・“伝わった”と感じる体験の重み
真のバイリンガルになれなくても、コミュニケーションのツールとしての英語であれば、十分にマスターできると思っています。英会話を学ぶ醍醐味の一つが、英語でコミュニケーションが取れたと思った瞬間です。仕事の種類によっては、英語でコミュニケーションをとる機会に恵まれない人もいると思います。しかし、私の場合は大学に努めていたため、学会出席の機会が多く、海外の研究者と接触する機会も大変多くありました。このことが大いに助けになっていたと思います。
こういった環境の中で、初期にコミュニケーションが取れたと感じた瞬間は、英語で質問をした時でした。最初は簡単な質問しかできませんでしたが、それでも自分の質問が理解されたと感じる瞬間はうれしい時間でした。但し、その頃は、質問文を考える時に最初から英語で考えるのではなく、日本語で考えてそれを英語に訳す、というパターンが多かったと思います。
・英語で質問するときに活かせる工夫
興味深いのは、“英語で質問する”というのはある程度パターン化することが出来るということです。これは誰でもすぐに気づくと思いますが、簡単な質問文から、徐々に複雑な質問文に発展させていくことが出来ます。そして、余裕ができれば、いきなり質問をするのではなく、自分の感想を最初に述べて、その後で質問する、という風に発展させていくことも出来ます。例えば次のような例があります。(英語に直してもいいのですが、ここは日本語で表記します。)
「〇〇は何ですか?」
→「○○の意味を教えていただけませんか?」
→「○○を私はこのように理解しましたが、貴方が言われた意
味を教えてください。」
つまり、「○○は何か?」を質問するのに、簡単なものから複雑なものまで、様々なパターンが有りうるということです。しかも、骨格は同じ文章を使いまわすことができますので、あらかじめその英文を準備しておくことが出来るのです。日本語で考えていたとしても、骨格になる英文は同じですから、毎回質問全体の日本語を考えてそれを翻訳するという必要はありません。ブランクを埋めるように、その時に重要な言葉についてだけ、日本語とそれに対する英語を考えればよいのです。このようなやり方をすると、徐々に、日本語で考えている時間が減っていきます。それに対応して、自分が英語を話しているという感覚が強くなっていきます。
読者の中には、私とは状況が全く違うので、前述の考え方は役に立たないと思われる方がいるかもしれません。しかし、誰でも生活の中で同じような表現を繰り返し使う場合があるはずです。そういった場で話されるかもしれない文章について予め英文を考えておくというのは、有益なやり方ではないでしょうか。
・日本語脳と英語脳の謎
ここで謎と書いたのは、次のような意味です。恐らく世界のどこかでこのテーマを研究している人はいるはずですが、私はそれを検索して探そうとしていないので、現時点では研究結果を知らないからです。その為、私にとっては謎(なぞ)のままになっています。謎ではありますが、次に述べることは、主観的には間違いないだろうと思っています。
最初、日本語しか話せないときは、言語を使うときに脳で働いている部分は全て日本語モードで働いているでしょう。そこから英語を話す練習を始めると、徐々に脳の中で英語を話すときだけ働いている部分が育ってくると思います。但しこの段階では、英語を話すときの脳の領域と、日本語を話すときの脳の領域は大部分が重なっている(つまり同じ場所を使っている)と思います。従って、英語と日本語を同時に使うことはできません。
しかし、練習を続けると、英語の時だけに働く脳の領域が増えていき、重なっている部分の割合が減っていくように思います。こうなってくると、挨拶などの簡単なやり取りは、英語でも、日本語でも同時並行でできるようになります。しかし、少し難しい話になってくると、英語と日本語とで同時に考えることはできません。それでも練習を続けると、この重なりの部分が徐々に減ってきて、英語と日本語で同時に考えることが出来るようになっていきます。ただ、初期の頃は簡単な話題しか同時に考えることはできませんが、重なりが減るにつれて、より難しい話題も同時に二つの言語で考えることが出来るようになっていくようです。
次の考え方も現状での私の仮説ですが、言語に関わる脳の領域は、①[英語だけで使う脳の領域]、②[英語と日本語の両方で使う脳の領域]、③[日本語だけで使う脳の領域]の三つからなっていると思います。英語を話すときは①+②を使い、日本語を話すときは③+②を使っているように思います。真のバイリンガルは②の部分が非常に小さく、①と③が同時に並行して働くことが出来ている状態のように思われます。
後から学んでバイリンガル的になった人の場合は、②の部分を小さくするのは大変です。それでも、英語を話し続けるにつれて、②を使う必要性がどんどん小さくなっていくように感じています。このように感じるのはそれなりの理由があります。それは、日本語字幕付きの外国映画を、音声は英語で聞きながら見たときに、自分の状態が変化していったという経験からです。あまり話せなかったときには、日本語字幕を読んでしまうと英語が聞き取れなくなっていました。逆に、英語の聞き取りに集中すると日本語字幕を読む余裕がなくなっていました。英語が上達して②の部分の割合が小さくなってくると、英語を聞き取りながら字幕を読むことが徐々にできるようになっていきました。この辺の詳しい考察は、映画に関する章で取り扱う予定です。
・ビール仲間との会話
まだまだ書きたいことが沢山ありますが、長くなってきたので、この章の最後に、初対面の英語ネイティブの人と英語で会話したときの経験を紹介しておきます。似たような状況でも、自分の英語のレベルが上がるにつれて、相手から返ってくる反応が違ってきたという経験です。
私はクラフトビールが大好きなので、いろいろなビールが飲めるビア・バーによく行きます。英語を話す人はエール(ale)という種類のクラフトビールを好む人が多いので、そういったバーに行くとネイティブに出会うチャンスが数多くあります。そして、時には、そういった見知らぬ人と英語で会話をする経験を持つことが出来るのです。注意して話し相手を選ぶ必要がありますが、選び方の説明をしようとすると長くなりますので、それについては別の機会に説明することにします。私にとってとても興味深いのは、自分が意識しなくても、自分の英語のレベルに応じて相手の反応が変わってくるという体験です。
初期の頃は、「今お話ししてもよいですか?」と私が尋ねることから始めて、簡単な自己紹介をすると、相手が「貴方は英語を話すのですね。」と返ってきていました。少し英語のレベルが上がると「貴方は英語が上手ですね。」に変わっていきました。さらに上がってくると、「貴方は英語がとても上手ですね。」と変わっていきました。そして、最近は相手の反応がもっと変わってきています。読者の皆さんは、どんな風に変わってきているか、想像できますか。最近は、実は、英語が上手かそうでないか、といったことについての相手からの反応はほとんど無くなり、話したいテーマの話題を最初から、いきなり英語で話し始めることが多くなってきたのです。
これは考えてみれば当然の話です。もしも貴方が、自然な日本語を話す外国人風の人から話しかけられたとしたら、いちいち「貴方の日本語は上手ですね」と言ったりしないでしょう。最近はハーフの日本人が増えており、西洋人風の風貌をした人で、自然な日本語を話す人も多いですから。そういった人であれば、いちいち相手の日本語のレベルについて話すことはせずに、他の日本人と話すときと同じように、尋ねられたことについて日本語で話を始めると思います。この考えが正しければ、それなりのレベルに私の英語も近づいてきているのではないか、と感じています。