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留学はもちろん、海外に住んだことのない私が英語を習得できた私の英語習得法09

第9章 英語習得に映画やTVドラマを活用する

 ※第0章~第8章を読まれていない方は、先にそちらを読まれるように勧めます。
 以前の章で、少しずつ映画が理解できるようになっていった様子を簡単に紹介しましたが、今回はもう少し詳しく私の経験を書いてみたいと思います。本章の後半では、日本語字幕について思っていることを書かせていただきました。

・英語習得の取り組みを始めた頃
 私は元々洋画を映画館で見るのが好きでしたから、以前から、日本語字幕を読みながら映画を見るのが普通のことでした。英語習得を始めた初期の頃は、ストーリーを理解するのは殆ど字幕を通してでした。少し努力して英語を聞き取ろうとしても、分かるのはせいぜい1~2割程度であり、英語を聞くだけでストーリーが概ね理解できる、というのは全くの夢物語でした。ましてや、英語と日本語字幕の意味のずれが分かるようになる日が来る、というのは全くの想定外でした。それにも関わらず、英語が話されている音そのものを聞きたいと思っていましたので、映画館に行っていました。
 この頃のことで他に印象に残っているのは、子供時代にTVで日本語吹替版で洋画を見ていた時に聞こえていた声優の声が、映画館で見たハリウッド俳優の本当の声とはかなり違っていたことでした。特に男優の声は、吹替では実際の声よりも聴きやすく、しかも少しピッチが高めの声になっているように感じました。実際に男優が話している個性的で男っぽい声を聞くのが普通になるのにつれて、吹替に対して次第に違和感を覚えるようになっていきました。今では、吹替で映画をみることに耐えられなくなっています。
 映画を字幕で見ることを続けていれば、字幕に頼らずに英語でそのまま内容を理解したい、と思うようになるのは自然な流れだと思います。しかし、英語習得の活動を始めてみて分かりましたが、通常の日本人にとっては、これは非常に高い目標であるということです。

・米国の人気ドラマに挑戦した頃
 英会話学校に行き始めてかなり経った頃で、私の英語がレベル的にはintermediateとadvancedの中間ぐらいであった時に、クラスの活動の中で、難しい英会話の聞き取りという課題が時々出されるようになりました。その時に出会ったのが、米国のTVで放送されていたsitcom (situation comedy)と言われる、30~45分間程度の1話完結型の喜劇ドラマシリーズです。そこから抜き出した短い会話の聞き取りが、与えられた課題でした。代表的なドラマに、“Frasier(邦題:そりゃないぜ!? フレイジャー)”や“Seinfeld(邦題:となりのサインフェルド)”がありました。今見てもとても面白いドラマです。ネットで調べていただければすぐに情報が出てきます。
 この時に実感したのは、聞き取り練習用の数分間の動画を100%集中して繰り返し聞いても、分からない部分が多いということでした。歯が立たないという印象を持ちました。まず、音の聞き取りができませんでした。その時の状況を思い出すために、確認の意味で、最近、実際にドラマを見直してみましたが、分からないのも当然だと思いました。ドラマのシーンは全て、本当の日常生活での普通の会話の一部分が切り出されたような内容ばかりです。従って、教科書的な英語では全くありません。英語の音のつながりや変化などが沢山含まれており、それらの変化になじんでいない日本人の耳には、とても理解できるようなものではなかったのです。その上に、ジョークやユーモア満載で、仮に意味が取れたとしても、”何故おかしいのか?“が分からないというものばかりなのです。
 ただ不思議なことに、聞き取れなかったわけですから、”自分はダメだ、まだまだだ“という気持ちはありましたが、完全に自己否定をしたわけではありませんでした。”何か楽しいことが行われているようだ。是非、それが分かるようになりたい“という、刺激を受けたような気持ちでした。

・「シャーロックホームズの冒険」のDVD
 次に必ず書いておかなくてはいけないのは、「シャーロックホームズの冒険」の英語の聞き取りに挑戦したことです。いつ頃やったのか今となっては正確な時期は忘れてしまいましたが、英語だけでどこまでドラマを理解できるのか、ということに挑戦してみたいという気持ちが強くなり、時間とお金をかける決心をしました。具体的なやり方は次の通りです。
 まず、NHK で放送されたグラナダ版「シャーロックホームズの冒険」のDVD全巻(24枚組で41話)を購入しました。そして、日本語字幕を非表示にして、第一話から順に見ていきました。数分単位の区切りのいい所で一旦止め、その部分の英語が完全に聞き取れたと思えるまで、同じ所を繰り返し聞き続けました。但し、10回以上繰り返しても聞き取れない場所が残っている場合は、適当な所で諦めて終了し、英語字幕を表示させてもう一度見直しました。そして、自分の聞き取りの正確度をチェックしました。こういうやり方ですから、遅々たる進み方でしたが、とにかくこうして一通り最後まで見ました。多分、数か月間かかったと記憶しています。この試行錯誤で、次のようなことが分かりました。

(1)繰り返し聞くことで分かるようになった所もあったが、いくら繰り返し聞いても分からない所も沢山あった。
(2)不思議なことに、理解したと思った台詞の意味が実際の内容に近かったものの、英語表現は正しく聞き取れていない所があった。つまり、その部分で誤って聞き取った台詞がたまたま内容的に一致していた。
(3)この時期は、英語表現を何とか聞き取るのに精一杯で、ニュアンスの違いが分かる程には、正確に理解することはできなかった。

 まず(1)についてですが、それまでに殆ど聞いたことがない単語は当然ながら、最初は聞き取れません。今思い出せる代表的な単語としては、absurd というのがあります。ホームズが口癖のように使っていたので、次第に聞き取れるようになっていったと思います。しかし、何度繰り返し聞いても、英語字幕と同じようには聞こえない所も沢山ありました。
 ここでお断りしておきますが、英語字幕は一般的に実際の台詞(セリフ)とほぼ同じ内容になっている(つまり、一致している)ように思われました。時には若干言葉の省略や置換が行われていることもありましたが、基本的には聞こえてくる台詞のままでした。そして、台詞以外の音や音楽についても [music] 等のように記載されていることがよくありました。多分、本来、英語字幕は聴覚障害者が使うことを念頭に置いて作られているからだと思います。
 何度聞いても分からない部分は、多分、音のつながりによる変化や音の省略などの影響が強かったところだと思います。残念ながら、この取り組みをした時期には、こういったことに対する私の知識や耳の訓練が十分ではありませんでした。
 (2)については、意外な発見でした。この現象は思っている以上に起こっている可能性があるのではないかと思います。ひょっとすると、気づいていない方もおられるかもしれません。本当に自分の耳が台詞の英語を正しく聞き取っているか否かは、映画のストーリーをちゃんと追うことができたかどうかでは判断できない、と思います。ストーリーが理解できたように思えても、英語が正しく聞き取れているとは限らない、ということを実感として経験しました。聞き取りの正確性については、脚本で台詞を確かめるなどして、慎重に判断する必要があると今でも感じています。そういえば昔は、有名な英語の映画の脚本が本になって売られているのをよく見かけたものです。
 (3)については、現在でも課題の一つになっています。ホームズはワトソンと頻繁に会話をしますが、その台詞の中には、もったいぶった言い方をしたり、英国人特有のユーモアを言ったりしている部分も多かったように思われます。しかし、そのニュアンスを理解するのは、とても高い能力が必要であり、この時期の私には不可能でした。

・どうしても日本語字幕が必要な場合
 以前にも書いたように、その後、英語習得が進むにつれて、日本語字幕の必要性は少しずつ低下していきました。映画の内容によっては、あまり難しい表現が出てこない映画もあります。その代表的なものが、以前にも書いたようにromantic comedyです。余程変わったユーモアや、特殊な人名や地名が出てこない限り、難しい単語やイディオムが出てくる可能性は低いと思います。仮にそういったものが出てきたとしても、ストーリーの展開はある程度予測できますので、日本語字幕を頼らなくても映画を楽しむのに困ることはありません。
 しかし、それ以外の映画、特にSF映画(scientific fiction/sci-fi movies)や戦争映画、そして法廷の場面が出てくる映画などのように、専門用語やjargon(同じ業界内で通じる職業語)が数多く出てくる映画や、日本人が全く聞いたことのないような人名や地名が沢山出てくる映画の場合は、どうしても日本語字幕の助けを借りる必要がある場面が数多く出てきます。
 こういった映画の聞き取りをする場合に、聞き慣れない音が聞こえてくると、一瞬それが自分の聞き間違いなのか、それとも専門用語や固有名詞なのか、を判断する時間が必要になります。本当に聞き取りミスの可能性もありますが、聞いたことのない用語だったり、人名だったりすることも頻繁にあります。後者の場合は聞き取れなくても構わないのですが、実際には映画を見ている時に、こういったことの判断の為に一瞬間ができてしまいます。その結果、その直後の音を聞き落としてしまうことが起こります。こういった時には、日本語字幕を見て、ストーリーに追いつく必要がでてきます。
 こういう事情がありますから、全く日本語字幕の助けを借りずに映画をみるのは、実際的には不可能かもしれません。ちなみに、固有名詞のようにその人名や地名を知らないので聞き取れなかった、という場合に、それを瞬間的に判断して、聞き取れなかったことを無視して、映画を引き続き見ていくことができる、というのは、実はかなり高度な聞き取りの能力ではないかと思っています。ちなみに以前、親しいネイティブに尋ねてみたことが何度かありますが、映画で話される英語の台詞が彼らにもすべて聞き取れるわけではないようです。

・聞き取りが上達してくるにつれて日本語字幕に対する違和感が増していった
 このようにして聞き取りの能力が改善していくにつれて、困ったことが出てきました。それは英語の台詞と日本語字幕のずれです。色々なずれがあると思いますが、私が困るずれには二通りあります。最も大きなものは、意味のずれです。そしてもう一つがタイミングのずれです。それぞれについて簡単に説明します。
 まず、タイミングのずれの方から説明します。重要なことが話されたり、冗談と思われることが話されたりするときに、往々にして、実際に英語の台詞が話されるよりも少し前に日本語字幕にその内容が示されることが多いようです。場合によっては、実際の会話よりも後になることもありますが、いずれにしても英語で話を理解しようとしている者にとっては、タイミングがずれた(冗談に対する)笑い声やため息のような雰囲気の変化は、映画を楽しむのに邪魔になってしまいます。但し、翻訳を工夫しても、これは避けることは難しいと思いますので、仕方がないと諦めるしかないでしょう。
 しかし、もっと気になるのが意味のずれです。これは実際はずれというよりも、意訳の仕方による影響だと思います。これから書くことは、字幕制作をしている方にとっては、侮辱的な意見と思われるかもしれません。私は彼らが、時間や字数の制約の中で、誠意をもって一生懸命努力して字幕制作をしているということは信じています。それを否定するつもりはありません。ただ、どうしても書いておきたいことがいくつかあるのです。
 日本語字幕は、はっきり言って翻訳ではなく、より正確に私の理解を表せば解釈だと思っています。従って、翻訳という枠組みの中で表現すれば意訳ということになりますが、それもかなり極端な意訳ではないかと思われます。その為、映画を見終わったときに、重要な部分で、自分の理解と字幕作者の解釈の違いに何か不全感が残ったりすることがあります。そういう場合に、ある映画が公開から時間がたって、それを自宅で見ることが出来るようになった時に、ずれは自分の誤解ではないか、と確認しようとしたことが何度もあります。しかし、ほとんどの映画で、私の第一印象から変わることはありませんでした。
 気になる点を上げ始めたらきりがありませんので、特に気になる点をいくつか挙げておきます。
 まずは、英語では同じ言葉が使われていても、字幕では同じ言葉が使われない、ということです。例えば、“No! No! No!” という台詞に対して、日本語字幕が「ノー! ノー! ノー!」のようになることはまずありません。1番目は「ノー!」となっていても、2番目と3番目は必ず違う表現が使われます。このような短い語句だけでなく、長めの語句でもこのような変化は頻繁に出てきます。
 次に気になるのが、方向性の逆転です。一例をあげます。英語では“Keep moving!” と言っているのに、日本語字幕では「止まるな!」となっているような違いです。英語では「(そのまま)進め!」と言っているのに、字幕では方向性が逆転し、しかも否定形になっています。英語では肯定的な文章を、日本語では否定的な文章で表したり、その逆だったりすることは、非常に頻繁に見られます。(注1)
 日本語字幕は原則として“見ている人に分からない部分があるのは良くない”、という立場で作られているようです。その為、英語では難しい専門的な表現が使われ、普通のネイティブにも何のことかよくわからないような場合でも、字幕では分かり易い表現に置き換えられることが多いようです。私が実際に経験したこととして、次のようなことがあります。
 英語の台詞のなかで“epidemiology(疫学という医学用語)”という言葉が出てきたとき、それが分かり易い日本語(医学研究のような表現だったと思います)に置き換えられていたことがありました。これも、あるネイティブに確かめたことがあります。つまり、“epidemiologyと聞いて、これが何の意味か、普通のネイティブに理解できるのか?”と尋ねてみました。その人は、“普通の人には分からないと思う”と答えていました。「疫学」と字幕に出せば、多くの日本人の観客には理解できないかもしれませんが、それはそれでよいのではないでしょうか。英語でも理解しにくい台詞の部分は、日本語でも理解しにくい訳になっていてよいのではないでしょうか。(注2)
 ひょっとすると読者の皆さんは、このくらいの違いは大したことではない、と思われるかもしれません。しかし、私の場合、中途半端に聞き取りの能力が上がってきたためか、少し余裕ができてきて、これらの違いに気づき易くなってきたのです。そうすると、こういったずれに気づく度に、“何故こんな訳にしたのだろう?”と気になってしまうのです。気づくようになってみると、上述のずれは多くの映画でかなり頻繁に起こっていると思います。
 このテーマについてはまだまだ書きたいことがありますが、細かくなりすぎますので、このくらいにしておきます。
(注1)私は心理療法を専門的に勉強しているので、このような方向性の逆転は特に気なります。例えば、仮に「そのまま進め、そのまま進め、そのまま進め~」と繰り返してみて下さい。その時の気分は、「止まるな、止まるな、止まるな~」と繰り返したときと同じでしょうか。僅かですが、気分に違いが出てくると思います。皆さんはKeep movingとDon’t stop が同じことを言っていると思いますか。
(注2)これに近いことで、ある映画で、その中に出てくる研究所の名前が英語では難しい名前だったのに、日本語字幕では分かり易い名前になっていたことがありました。実はその研究所で行われていることは、(英語では)最初は謎であり、後で分かるようになっていたのです。しかし、字幕では最初に聞いた瞬間に分かるような訳になっていました。

・英語字幕を使うようになってからの経験
 以上のような経験を積み重ねている間に、私たちのような普通の人にとっても、映画の見方が多様になっていきました。映画やドラマがいつでも見られるようになり、その中には英語字幕を選択できる場合も増えていきました。そういったことも影響して、ある時期から、英語で作られた(映画やドラマを含む)あらゆる動画を見る時に、英語字幕が選択可能なときは、英語字幕を表示させて見るやり方に変えました。
 その基本的な考え方は次のようなものです。仮に日本語字幕で映画を見たとしても、そのストーリーは字幕作者たちの解釈に影響されているので、私が本当に知りたいと望む“生のストーリー”になっているとは限らない。つまり、制限があり、映画の製作者や監督が伝えようとした情報が100%得られるわけではない。英語字幕で見た場合でも、読み切れなかったり、知らない語句が出てきたりして100%理解できないかもしれない。いずれも100%の情報が得られないのであれば、オリジナルの英語を選択しよう、と考えました。
 最初はYouTubeでの英語によるニュース動画を見る時に、できるだけ英語字幕で見るようにすることから始めました。ニュースキャスターの発音は標準的な方が多いですから、発音としては分かり易いものが多いと思います。ときにインタビューで癖のある英語が出てきますが、それも良い経験になります。それでも最初の頃は、難しい単語が出てくるとついていくのが大変だったのですが、重要な単語は繰り返し使われますので、次第に理解できるようになります。それとともに、好都合なことに、ボキャブラリーも増えていきました。(注3)
 英語字幕で映画を見る場合は、予想通り、内容によってはついていくのが大変になりました。知らない語句が出てくるという問題だけでなく、日常会話特有の問題もあります。日常会話の中で話されている英語は、時間的に短い言い回しでも、それを文字に起こしてみると結構な字数になり、早口で言われると、それを読み切れないことが頻繁に起こってきました。しかし、こういったことが起こることは最初から想定済みですので、今でも気にせずに英語字幕優先で見続けています。
 ここまで書いてきて、読者の中にある疑問が湧いてきているのではないだろうか、と気づきました。つまり、英語を聞きながら英語の文字を読むのは難しい作業なのではないのだろうか、という疑問です。確かに私の場合も、これを始めた初期には若干慣れる時間が必要でしたが、想像していた以上に短期間で慣れていきました。多分、英語の書籍を日常的に読んでいたことが役に立ったようです。
(注3)このようにして覚えた単語の一つに perjury があります。私たちの普通の生活の中でこの単語に出会うことは多分ないでしょう。

 映画に関わる私の経験を思いつくままに書いてみました。読者の中には反対意見を持っておられる方もいると思いますが、以上はあくまでも私見です。大目に見ていただきますようにお願い申し上げます。

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