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姓名判断師の君

前回の”猜疑心のない君”の義理堅さに感服。
マッチングアプリで出逢った婚約者と順調に結婚に向けて歩みだしているという朗報と共に、わたしへ紹介できる人を見つけたと連絡が入ったのだ。
直接会ったことがない人ゆえ心配ではあるが、SNSの情報で人となりを見て、危険人物ではないことは確かめたと。
言葉を失うほどの感謝で固まったわたし。ありがたくお会いすることに。

猜疑心のない君のお話はこちら↓



1対1の初対面

待ち合わせは、駅地下のカフェの前。
人通りはそれなりにある場所だが見通しがよく、地下にしては明るい場所。
5分前に到着。
カフェの前に到着したことと、服装と服装の色味をメッセージで伝えて待つ。

いつもこの瞬間が一番緊張する。
実際に顔写真は見ているものの、実際はわからない。
”この人があの写真の人⁈”と脳内で過呼吸起こしたことも数知れず。
こちらに向かって歩いてくる人たちを見ながら、
”えええ、あ、、あなたなのですか…違った.."の繰り返しで、ほんとに生きた心地がしない。
そんな中でも、”あんな人だったらいいのになぁ”なんて呼吸もしながら待つこと10分。

来ない。
遠くから見て逃げ帰るパターン⁈
知人の紹介でもそんなパターンあるのかな(笑)
と思いつつ、連絡してみると、、、
”カフェの中でコーヒー飲んでますよ”とお相手からのメッセージ。
はい?!
5分前にカフェ前に立って待っていると連絡したはずだが。
どこをどうくぐり抜けてカフェに入っていったのか。
わたしが見えなかったのか、わたしが見えていなかったのか、、
いや敢えてか。
会計を済ませて席に着くカフェのため、奢らないといけない気がしたのだろうか..?
しかしながら忍びのようなお相手に若干あきれつつ、急いでカフェの中へ入った。
いつお店の中に入るんだろうって思って見てました」とお相手。
”サ..サイコパス?”
「お待たせしてごめんなさい!でも声かけてくださいよ~!」
と、こころから消えた笑顔を絞り出してやっと席に着いた。

パーソナル情報交換

今回はアプリでの出逢いではないため、まずひと通りのパーソナル情報を交換した。
お相手は、非常にたくさんの顔をもっている方であった。
中でも特に気になったのは”役者”という顔。
地方のエキストラとしていくつか出演作品があるようであった。
その中で、地元でも有名な映画作品に出演していたようで、実際に出演場面も見せてくれた。
セリフもなく、しっかり意識していないと見逃してしまうエキストラ役。
このようなわずかなエキストラ出演に、多くの人の夢があるんだと改めて身近で感じることができた。
セリフをもらうこと自体ほんの一握り。
脇役や、ましてや主役なんてもっともっと一握りの世界だ。
わたしも母子家庭で育ち、幼いころから好きだった歌で芸能界を夢みたこともあった。
大人になるにつれ、世の中が利害関係でできている現実の厳しさと理不尽さに立ち向かう気力も失っていく。
そんな毎日の中で、夢をもって戦っている人をみると美しすぎて涙が出る。
笑われても、バカにされても、”夢をもつ人”の人生はすでに勝利だ。
人生は短いし、いくつになっても夢をもてる人でありたいと思った。
ぜったいに叶わない夢でも、すぐ叶いそうな小さな夢でもいい。
”夢をもつ”ことが生きる意味になる。そんな気持ちになった。

姓名判断師

話題は趣味の話へ。
お相手は、姓名判断が趣味とのことであった。
どうりで。
いや、実は紹介してもらう際に姓名の漢字を確認されていたのだ。
その時は、知人で同姓同名の人がいることで確認したいのか?くらいであまり気にも留めていなかったが、ここで合点がいった。

姓名判断には、”新字体式”と”旧字体式”があるらしく、お相手は旧字体式での読み解くとのこと。
「もしよければ今気になっている方や、過去のお相手など相性見ますよ?」
この時点で、”わたしとの相性は良くなかった”のだと悲しいかな悟ったが、この機会をエンタメとして楽しもうと切り替えた。
まずは、自身の姓名判断から。
お相手自身が、姓名判断に興味を持ったのは幼少のころの母親の影響と、有名な姓名判断師の方に指南いただいたことがきっかけのようであった。

実際に、お相手も字画をなりたい自分に合わせて名を改名したとのこと。
戸籍法107条の2によれば、名の変更については、「正当な事由」があれば、家庭裁判所の許可を得て変更することができるとのこと。
「正当な事由」とは、名が珍名・卑猥などの理由で、名の変更をしないとその人の社会生活において支障を来す場合や通称名として定着している場合などが当てはまる。
単なる個人の趣味や感情だけでは改名できないものだが、お相手は通称名で長年定着させた上でその「正当な事由」に該当させたようだ。

わたしは”名”をひらがなにすると、かなりやり手の経営者になるようだが、結婚できなくなるのでおすすめしないとのこと。
今のままの姓名でも悪くないが、「片山」という苗字にすることでかなり人生が豊かになり、お相手との相性も抜群とのことであった。

ちょうど1時間半が経過したころ、突然にお相手は時間だ!と帰って行かれた。
わたしはお相手が立ち去ったあと、”今日って何しに来たんだっけ”とぼんやりしつつ、”姓名判断師の君”の指南をいろいろ思い返しながら、”「片山」さんか…”とカフェでの時間をひとり過ごした。
血液型や干支、六星占術などの相性を占う統計学は数多くある。
そのような相性たるものがもちろん全てではないのだが。
今回の姓名判断で、これから出逢う人の苗字が”片山さん”であったとき、わたしは確実にひとりよがりの運命を感じてしまいそうだ…

数年後、お相手のSNSを開いてみると、改名に改名を重ねていた。
理由はもちろん不明である。
運気の上がる通称名をさらに作ったのかもしれない。
しかし、どちらにせよ有名な姓名判断師さんの指南を受けて改名した、
”最高の名”だけでは、幸せに満たされなかったのだろう。
いろいろな選択ができる自由な社会は、幸せであると同時に不幸でもある。

姓名判断師の君との出逢いに感謝 南無
次回もお楽しみに!









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