39年間の吃音人生
この内容は賛否両論あります。
ひとりの人生内容を読んで思う事は人それぞれです。
幼少期は記憶が定かではないが親から変な期待をされ、幼稚園の塾みたいなとこに通わされる。非常に嫌な思い出である印象が残っている。外で遊ぶのが好きだった思い出が強く残っている為、机の上で読み書きをするのは苦痛だった気がする。その頃から吃るようになってきた。親は小学校受験をさせたいが、吃るのでめちゃくちゃ怒られた印象がある。当時は吃るのは悪との印象があり、子供ながらにして自分は他の人、普通の人とは違うのかなと感じていた。
小さかったので、そこまで重くは受け止めてはいなかった。
親から吃った時に怒られ、勉強させられた以外は欲しいものを買ってもらいその部分は甘やかされたと思う。
それから小学校になる時に引越しをした。
引っ越した場所は治安も良く、サッカーが盛んな地区だった。一年生になったが、ますます吃りが酷くなった記憶がある。当時はなかなか自分から前に出られなく、引っ込み思案で弱々しい一年生だった。ある転機が訪れる。クラスの7割がサッカー少年団に入っており、自分もは要らざるわを得ないかった。そこからサッカーを高校生まで続けることとなる。サッカーをすることで力強くなり、得をする部分も多かった。
一方、吃音は深刻さを増し、二年生の時には音読で当てられると一切喋れなくなってしまう。
今でも思い出すだけで、吃ってしまう。
学校の先生から吃音の学校に通った方がいいと言われ、水曜日に違う学校に通い出した。
当然、よくはならない。当たり前だと思う。
より一層、母親からのあたりは厳しくなり吃ったら外に出させられる。当然、勉強の面でも怒られてあまりいい思い出が一切ない。
正直、思い出したくない過去である。お父さんは帰ってくると一安心する。そんな環境で治ることはなくますます悪化する。クラスではいじめは運良くなかった。そこは救いだった。多分、スポーツが出来て、見た目もそこそこだったからだと思うが。でもみんなからは真似はされた。いつもいつも真似された。本当に嫌な思い出、記憶。社会人の今でもたまに馬鹿にされることはある。
中学校になり、びっくりしたことがある。
吃音者がいたことだ。自分ではなんとなくわかるが、自分よりも酷い。少し可哀想に見えてきた。初めて会った。
正直、なんとも言えないけど、辛い人生だったのかなと思ったりもした。そいつもスポーツ万能でいじめはなかった。
中学校では親からは吃りことは言われなくなった。自分自身でも軽減されたのかなと思う。
問題は高校からだ。高校ではサッカーの強豪高校に進学。自信を持っている奴が多くて馬鹿にされる機会も多くなっていてた。
自分も気にしないでなんとなく受け流してた記憶がある。案外、受け流すと楽になる部分もある。でも、初対面、言葉を発しなくていけない場面では必ず吃る。相手が不審がる。このルーティンは必ずある。慣れるものかなって思うけど、そんなことは無い。毎回、凹み、悩む。この繰り返し。
なんとか高校を卒業して大学に進学。大学も偏差値は普通だが有名大学に進学。都内の一等地にあったため、やっぱり自信がある奴がなぜか多い。性格もいじられキャラだった為、吃りをいじってくる。でも、実際は全くいじってこない人間の方が多い。これは39年生きてきたがはっきりと言える。性格がいいし、外見もいいんじゃないの?という考えをする人もいるがそれはない。結局、人と絡んでみると案外問題ないと自分では思う。色々な方がいるので一概には言えないが。
大学で最大の難所、最大の壁。それは就活。これは健常者でも嫌なのに、吃音者にとっては地獄。しかも、人生を左右する一大事。今まで偏差値の高い高校、偏差値の高い大学に行こうがここで失敗すれば人生は台無しぐらいに思えるぐらい人生の一大事。
就活の面接は吃音者にとってはどう考えても上手くいくとは思えないテスト。これをクリアしないと本当に厳しい人生が待っている。それは本当である。厳しい言い方となってしまうが、人生はここである程度決まる。
就活はみなさんが気になるところだと思う。どうやって乗り越えたのか?どう考えても吃音者が面接で上手くいかないだろとか思うのが普通。
自分の場合は誰にも相談せずに全て自分で決めて説明会、面接を受けに行った。その時は吃らなかったのか?たしかに吃りました。でも、普段よりも吃らなかった。なぜかというと、一言でいうと自分を勘違いさせた。自分は他の人よりも出来る。他の人よりと経験値が高い。他の人よりも色々なことを知ってる。他の人よりもすごい人と知り合いだ。こんな馬鹿げた洗脳ではあるがこれが上手くいった。
実は大学時代から地元に行きつけのダイニングバーみたいな店に通っていた。そこでいろんな人と出会った。年上の人ばかり、その中で色んな会話をする。それって案外自信がつく。これは本当に効果がある。ぜひ、おすすめしたい。コミュニーケーションも身につくし、社会人としてのマナーも身につく。
色んな人と話をしていると結果的に不思議と自信がついてくる。それが吃りを軽減してくれたような気がしていた。そこから自分を洗脳させ、勘違いさせ、就活を乗り切った。つまり、自信しかない自分を作ったのだ。
嘘だろと思うけど、自分なりには成功したと思っている。それから、会社人生17年。この社会人になってからの人生はどうなのかというとまた吃音の問題は沢山出てきた。人によるが社会人になると先生がいない。先輩がみんな先生みたいなものだから吃音、吃りを否定してくる先輩は沢山いた。ちゃんと喋れとか、後輩からも先輩は何を言っているかわからないとか。たしかに営業職なので話すことがメインなので上手く伝わらなかったら仕事に支障が出る。ただ、これも会社に長くいると自信がつき、吃音が減ってくる。今、これを読んでる方で色々なパターンの吃音がある。一概にこれをしたら治るとかはないと自分自身は思う。批判的な意見も沢山あるのは事実だ。ただ、吃音者が生きやすい社会をつくる。そのためには吃音を知ってもらう。
吃音を知ってもらう
世の中にはまだまだ吃音の認知度は非常に低いと思う。たしかにたまにピックアップされるが、周りにはそんな人いないし、そんなに気にしてはいない。
やはり、見た目では全く普通の人と同じで、多少喋ってもわからないパターンが多いとのこと。吃音を隠す為にあえて喋らない(ほんとは喋りたいけど喋る頻度を減らす)人が多い気がする。
重度の吃音者もいるのも事実である。ほんとに生きにくい社会な気がする。これは変えなくてはいけない使命感がある。
吃音を抱えながらでも社会人をやってますよ、ではなく吃音者が正々堂々と就活を行い、採用をしてもらう。お店に行って吃って注文しても店員さんが嫌な顔とか、びっくりした顔をしない。吃音者に対してあたたかい目で見てほしい。喋るのが少し苦手で、つっかえたり、言葉が出なかったりしないだけで、なんであんなに嫌な思いをしなくてはいけないのか。
たったそれだけ普通の人とは違うだけ、あとはみんなと変わらないし、それ以上のものを持っているかもしれない。
だから、諦めないでほしい。一例を上げると吃音者でもアナウンサーになりたい人は絶対にチャレンジした方がいい!あとで後悔する。チャレンジしたらそこには必ずチャレンジした人しかわからないことがある。それが大きな自信になる。これは吃音者も普通の人も同じだけどね。
この本を読んでる子どもが吃音者の親いると思いますが、そんな簡単には治らないと思う。吃音とどう向き合って行くか、どう自信をつけさせてあげるか。そこを考えた方がいいと思います。
吃音を改善させる為に
一つの方法としては何かを発する前に「えーっと」と心の中で言ってから発言する、もしくは相手に聞こえないぐらいの声で発してから発言する。この手法で改善するかはわからないが、もしかしたら多少良くなるかもしれない。
あとは自分がどんな時に吃り、吃らないかを研究するとも大事だと思う。そんなことやってるよと思ってる方もいると思うが、きちんとノートやスマホにメモを残して常に見返せるようにした方がいい。もしかしたら、そこにヒントがあるかもしれない。例えば、シュチュエーション、相手が年上、子ども、大勢(人数等)、気持ちの状況を詳細に書き留める。そこから上手く発言出来た場合の状況から改善のヒントが出てくるかもしれない。
さっきから「かもしれない」ばっかりではっきりして欲しいとの要望もあると思うが、実際に吃音は様々な原因があるため、言い切るのは無理である。
最後の改善策は「自信」である。
吃音者の大半は自信がない人が多いと感じる。
どうしてもネガティブ思考になってしまう、現に自分も今までそうであった。前にも書いたが「自分はできる」と錯覚させ、根拠のない自信が生まれる。案外、それが吃音を軽減出来る可能性がある。
これは個人的な偏った意見になってしまうと思うが、自信=お金だと個人的には思う。
やはり、お金持ち、お金に余裕があると人はこころに余裕ができ、人を見下すようになる。汚い言葉ではあるが現実的にはそうである。
お金持ちになり、心の余裕ができ、それが自信につながる。これは非常にハードルが高いと思う。でも、これが最大の吃音の改善策かもしれない。
私なりの結論です。
最後まで読んでくれてありがとうございます。
吃音の専門家ではなく、吃音者自身の今までの経験から導き出した答えでもあります。
様々な批判はあると思いますが、これを読んで何かしらの気づきにして貰えればと思っております。
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