お店は"体験"を食べる場所にしたい。
JoEです。
このnoteは、一大学生が日々の自分の頭を片付けること・何を考えて生きている人間なのかを伝えることの訓練として、ミライにかけて少しずつ綴り重ねていく、稚拙な日記です。
最近は、夜に晩酌しながら、5年前に公開された『グランメゾン東京』を観て、気付いたら気絶したように寝てるというのが常。
木村拓哉演じる尾花夏樹の無意識に人を魅せる力と、料理人としての食材ひとつひとつに向き合う姿勢、どんな壁さえ乗り越えられる生き様は、何度見てもかっこよい。
尾花は、料理一つで、時には人を涙をもって感動させ、時には人を怒らせたり、嫉妬させたりさえする。
でも、これはどんな形であれ、食べた人のこころを動かしたという事実には嘘偽りないということ。
この感覚は、テーマパークや遊園地などで覚えるあの感覚に似ているな、と最近思う。
それを体験した人にその場の感動を与えるのみならず、その後のその人の思い出と人生にさえも余韻をもたらす。
その時のことを思い出すだけで、ほほが自然とゆるんで、こころがあったかくなる。
これがテーマパークとかの特徴だと思う。
尾花の料理にはこれと似たような感じの力があったんだと思う。
たしかに、レストランとかホテルとかには現実的な要素が必要なことは間違いない。
でないと、人は一歩近づきにくくなってしまうと思う。
でも、これに非現実的な要素を付け加えるだけで、一気に"食事をする場所"という領域からはみ出した"体験をする場所"になるのではないだろうか。
DisneyとかUSJとかは非現実的な世界だからこそ、人々は魅力され、実際に足を運んでみて体験に感動して、その体験の思い出と感動が長続きする。そして、また行きたくなる。
お店はこんな場所になってもいいんではないだろうか。
もちろん、親しみやすいとか、話しやすいとか、あの人と話すためとか、現実的な部分も必要不可欠。
だけど、そこに非現実性をちょっとでもプラスするだけで、より一層ひとりひとりのこころに残る光の色が濃くなるのではないだろうか。
振り返ってみても、また行きたい、また食べたいと心の底から思わせてくれる場所はそんなところだったように思う。
お店を"体験"を食べる場所にする。
またひとつ、自分のクリップに足しておこう。
ご一読いただき、感謝致します。
…今日は良い天気だなぁ。