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"ニガテ"がいつのまにか"かなりスキ"に変わっていた。
JoEです。
このnoteは、一大学生が日々の自分の頭を片付けること・何を考えて生きている人間なのかを伝えることの訓練として、ミライにかけて少しずつ綴り重ねていく、稚拙な日記です。
そういえば、自分がここ数年で好き・得意になったものは、その直前とか、小さい頃に苦手意識をもっていたものが多い気がする。
たとえば、今人生を賭けていきたいと思えている料理なんて、高校を卒業するまではカップラーメンぐらいしか作れないぐらいだった。
家庭科のときだって、キュウリを薄く切れなくて居残りさせられていたのがなつかしい。
勉強だったら、数学と英語。
数学は、中学のときにはせいぜい半分くらいしか点はとれてなかったし、
英語なんて、小学校高学年になってもまともにアルファベットすら書けないくらい好きじゃなかった気がする。
しかし、これが気付いたときには、どちらも高校生になってみたら1番点数が高くて得意な2つになっていたんだな。
今でも、どちらもワクワクする学問だ。
食べ物でとってみると、キノコ。
私の大のキノコ嫌いは、幼少期からの幼馴染でも覚えている人が結構多いという事実(最近知って正直びっくり)からも、うかがえるほど。
口に入れるだけで吐き出してしまうほど苦手だった。
でも、どうだろう。
10年後には、1年間休学して山にキノコを採りに行って、お客様にオススメし、自分でもウマいウマい…!と感動なんかしちゃいながら食べている有り様である。
本当に、どうしたものだろうか。
なんでこうなってしまったんだろう。
人生って、おもしろい。
たぶん、だが、
苦手だったからこそ、なにか1回でも1つでもうまくいった経験をすると、なんだ自分はこんなことできたんだといううれしさに到達するまでの、「よろこび」と「うれしさ」のあいだのギャップが大きいのだとおもう。
今までできたことができる状態がつづくのはうれしいが、できなかったことができたときは、なお、うれしい。
それで、うれしくてうれしくて、またトライしてみて、うまくできたらまたうれしい。
そうして、気付いたときには"好き"に変わっていて、その事実を自分で確認して、自分でオォ…とおもう。また、磨きたくなる。
そうして、"ニガテ"なものが"スキ"なものにすり替わっている。
一種の詐欺のようだ。
でもそれでも、イイ。
だから、この経験に沿うと、今現在苦手とか嫌いとか思っているものでも、10年とかしたら、それを好きになっている自分が待っているかもしれない。
ちょっと嫌だな、面倒だなとおもうことでも、まずはやってみると、もしかしたら、今の自分のように、世界が変わるのかもしれないな。
ご一読いただき、感謝致します。